〜第2章〜








   1.










 通信が入ったのは、ローデリヒの館での待機を指示されてから、二日目の夜のことだった。
「―――来たか」
 トーリスが見守る中、客間の小卓の上に置かれた水晶球が淡い光を放ち始める。光は徐々に強くなり、やがて球はその中に一人の青年の姿を映し出した。
 フェリクスのそれよりやや褐色掛かった金色の髪を短く整え、理知的な双眸に眼鏡を掛けている。肩に羽織った黒いケープを留めているのは、王立魔導院のシンボルである五芒星を象ったブローチ―――紛れもない宮廷魔術師の証だ。
「遅くなってすみません、トーリス―――フェリクスは、一緒ではないんですか?」
 怪訝そうに眉を顰めた青年に、トーリスは穏やかに笑い返した。
「フェリクスなら、さっきエーデルシュタイン伯に、ケーキが残ってるから食べないかって言われてすっ飛んでっちゃった。今この部屋にいるのは俺だけだよ」
「そうですか。戻ってくるまで、待っていたほうがいいですか?」
「いや、フェリクスには後で俺から伝えておくから。先に話してくれていいよ、エドァルド。それで―――どうだった?」
 トーリスが訊ねると、青年魔術師―――エドァルドは小さく頷き、眼鏡を指先で軽く押し上げた。これは仕事の話を始める時の、彼の癖だ。
「結論から言いましょう。ギルベルトの使用していた結界鏡―――あれは未認可の魔導器です。魔導院の研究者達が調査を続けているところですが、まず間違いないでしょう」
「―――やっぱり」
 トーリスは膝の上に置いた手を、軽く握り締めた。
 魔導器の製造や販売を、王立魔導院に承認された施設以外で行うことは違法である。また、新たに開発された魔導器も、その効力や安全性に関して王立魔導院の審査を経て、使用に問題なしと承認される必要があった。承認を受けていない魔導器は未認可の魔導器と呼ばれ、開発実験の許可を得た魔術師以外の人間は、使用はおろか所持するだけでも犯罪となる。
「彼は一体、何処からそんな魔導器を手に入れたの?」
 魔導器の開発には多大な費用と、魔術に関する詳細な知識、そして、器となる無機物に魔力を吹き込めるだけの強大な力を持つ術者が必要だ。王宮と何の繋がりも持たない一般の人間が、簡単に作れるような代物ではない。
「残念ながら、その点に関しては、ギルベルトは黙秘を続けています。ただ、街の住人に聞き込みを行った結果、リナリアの北東にあるアンスリウムからの使者が、最近リナリアに頻繁に出入りしていたことがわかりました。アンスリウムと言えば―――」
「そうか、あの街には東部で一番大きな太陽の神殿があったね」
 この国で最も広く信じられている宗教は太陽と月信仰である。その為、大陸中の至るところに、太陽と月を祀る神殿が存在する。農業を司る神とされる太陽は内陸部に、航海を導く神である月は沿岸部に、それぞれ多くの神殿が建立されていた。
「確かにあそこなら、王宮の目も届き難いはずだから。秘密の取引をするには打って付けの場所かもしれない」
「ええ。そして、ギルベルトの館から押収された書類によると、どうも彼はリナリアに太陽の神殿の建設を計画していたようなんです。彼が魔術師を騙ってまでリナリアを得ようとしたのは、恐らくこの街を、魔導器売買の中継地点として利用したかったからだと思われます。人口も少なく、しかも主要な街道からは微妙に逸れた位置にある為、王都の近くでありながら周囲からの目が届き難いリナリアは、密売人たちにとっては絶好の穴場だった訳ですね。更に、この神殿建設計画にも、アンスリウムの有力者から多額の献金が行われていた疑いがあります。――――ですが……」
 流暢に語っていたエドァルドの口調が、突然歯切れの悪いものに変わった。
「何か……あったの?」
「アンスリウムは先日―――襲撃……されたんです。例の『白い悪魔』に」
「――――!!?」
 トーリスは思わず、椅子から腰を浮かせ掛けた。
「い、いつ!?」
「君とフェリクスが、リナリアの街に入ったその日―――です」
 思いも寄らなかった悲報に、トーリスは唇を噛み締めた。ここリナリアの街とアンスリウムは、徒歩でも三日あれば辿り着けるほどにしか離れていない。自分たちの目と鼻の先で、再び悲劇が起きたのか……遣る瀬無い思いが憤りの炎となって、胸の内を激しく焦がす。
「街も神殿も、壊滅的な打撃を受けたそうです。今、生き残った人たちを救うべく、王国軍から救援部隊が派遣されています」
 生き残った人たち――救援――。その言葉が、トーリスの俯いていた顔を上げさせた。
「エドァルド、俺たちも行くよ。助けを必要としている人たちがいるなら、少しでも力になりたいし、それに……」
 そこで一度言葉を切り、何かを確かめるように胸に手を当ててから、トーリスは強い口調で言った。
「未認可の魔導器と関係があるかもしれない街に、白い悪魔が現れたということは―――もしかしたらそこに、宝珠に関する手掛かりが、何か残されているかもしれない」






 『太陽』と『月』の宝珠―――それは、今はもう知るものさえ殆どいなくなった、古の伝説に登場する魔導器だった。
 遥か昔、この大陸の覇権を掛けて、二人の兄弟王が熾烈な戦いを繰り広げた。
 兄弟は互いに覇者としての力を求め、それを手にするべく強大な兵器を作り出した。兄王は、七つの街を一夜にして焼き尽くす『太陽の宝珠』を、弟王は、七つの街を一夜にして湖の底に沈める『月の宝珠』を。
 二つの魔導器の力は大陸中を蹂躙した。街という街は戦火に包まれ、大河は水の代わりに血で大地を潤し、生きとし生けるものはことごとく絶望と恐慌の只中へと引きずり込まれた。
 長い戦乱の末に、兄弟は互いに刺し違えて果て、そして、唯一争いに加わらなかった妹姫が、新たな王としてこの地に君臨することになった。
 そして、太陽と月の宝珠もまた、激しい戦乱の中に、人知れずその所在を眩ませたとされている―――。






 最早、いつの時代のものなのかもわからぬほどの、古の伝承の一つだ。
 だが、もしこの物語が真実なら。
 行方不明となっている太陽と月の宝珠が、実在するものだとしたら。
 その強大な魔導器の持つ魔力を、今の世に利用出来るとしたら。
 未認可の魔導器を巡る事件は、ここ半年の間に急速にその数を増やしており、トーリスが知っているだけでも二十件近くにも登る。魔導器の開発条件の厳しさを考えれば、これは異常な件数だ。しかも押収された未認可の魔導器はどれも、正規開発された魔導器とは比べ物にならないほどの高い魔力を有していた。
 これらの魔導器と宝珠が関係していると、トーリスが確信する理由は、もうひとつあった。『白い悪魔』の存在である。
 各地で破壊活動を繰り返すこの正体不明の魔術師が、最初に姿を現したのは半年前―――未認可の魔導器による事件が起こり始めた時期と一致している。
 そして、白い悪魔も、ただ無差別に襲撃を行っている訳ではない―――ターゲットとなるのは必ず、王立魔導院に関連した施設か、太陽もしくは月の神殿…そのどちらかと決まっていた。
 白い悪魔は、間違いなく宝珠を狙っている。
 彼が何の目的で宝珠を欲しているかはわからないが―――このまま放っておく訳にはいかない。トーリスはそう考えていた。
「何も……残っていないかもしれませんよ?」
 心配そうな顔を見せるエドァルドに、トーリスは笑ってかぶりを振った。
「何もないかどうかは、行ってみなくちゃわからないよ。少なくとも、他に何の手掛かりもない以上、ここに賭けてみるしか道はないからね」
 エドァルドは苦笑し、軽く肩を竦めた。
「君のことだから、そう言うだろうと思ってましたよ。馬車を手配してあります。明日の朝にはそちらに着くでしょう。使って下さい」
「……ありがとう、エドァルド。何から何まで……」神妙に頭を下げてから、トーリスはふと表情を改めた。
「ところでエドァルド、ひとつ気になっていることがあるんだけど…。何故、王宮議会は、魔術師でもないギルベルトをリナリアの巡見官に任命したの?」 
「純粋なる人手不足の所為ですよ」
 エドァルドは再び眼鏡に手をやった。
「白い悪魔の襲撃で、魔導院関連の施設が大被害を受けましたから、宮廷魔術師は皆、処理や復旧作業の為に各地を奔走しているところなんです。その為、地理・産業的に防衛価値の低いリナリアに、貴重な人材を割くことを渋る声も多かったんですよ。そこへ名乗りを上げたのが、第三騎馬隊の隊長だったギルベルトです。彼は私兵を多数抱えてましたから、魔術の結界に頼らずともリナリアを守備出来るだろうと、議会はそう判断したんです」
「それがまさか、未認可の魔導器を使って魔術師を騙るとは思ってもみなかったと…」
「そういうことです。リナリア側が、派遣されてきたのは魔術師だと思い込んでいたことと、ギルベルトが白い悪魔の名を脅迫に使った為に、発覚が遅れたんですね。議会は近々、新しい巡見官を、リナリアに派遣する予定です。勿論、今度は議会お墨付きの宮廷魔術師を」
 苦い溜息を、エドァルドは漏らす。背後にどういう事情があったにせよ、リナリアでの一件は完全に議会の失態だ。議会側に属する人間として、遣り切れない思いが多々ある。
 だが、エドァルドの矜持を救うかのように、トーリスは、だけど…と言った。
「…エドァルドは、かなり前から彼の不正に気付いて、色々捜査してたんでしょう?でなきゃ、幾らなんでも俺たちが報告を寄越した次の日に、彼を罷免するなんて無理だもんね」
「まあ、情報というものはどんな形にせよ、人が関わっている以上は完全に遮断することは不可能ですから。注意深く網を張ってさえいれば、いつかは掛かるものです」
「それで……俺たちが動くのに合わせて、彼を失脚させられるように準備してくれてたんだよね」トーリスは瞳を伏せて俯いた。「ごめん……嫌な仕事をさせて。君の立場や力を、こういう形で利用するなんて、本当に申し訳ないと思ってる」
「これも議会に籍を置くものの仕事の内ですから、気にしないで下さい。こちらこそ、本来ならば議会がやらなくてはならないはずのリナリアの実態調査を、君とフェリクスに押し付ける形になってしまった訳ですし。父からも、議会の不甲斐なさを詫びておいてくれと言われましたよ」
「うん……でも」顔を上げ、エドァルドの瞳を真っ直ぐ見据えながら、トーリスは言った。
「それでも……やっぱり謝らせて欲しい。……ごめん。俺たちの勝手な事情に、君を巻き込んで」
 謝罪の言葉を穏やかな沈黙で受け止め―――エドァルドはふっと笑った。
「構いませんよ。こんなことは、とっくに覚悟していましたから。そう―――君が、血塗れのフェリクスを抱えて、僕のところに転がり込んできたその時から」


















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