2.










 白壁の館は、王都の役人の根城としては質素な部類に入るだろうが、それでも清貧な領主のそれとは比べ物にならぬほど、頑健で贅を凝らした造りだった。
 警備は物々しく、迂闊に踏み込めば即座に斬り殺されそうな雰囲気である。巡見官への面会を申し入れてはみたものの、応対に当たった兵士は居丈高で取り付く島もない。粘り強く交渉はしてみたものの、結局は門前払いとなってしまった。
「どーするよ、トー?」
「うーん……別にちゃんとした会談の場を設けなくても、こっちは相手に会うことさえ出来ればそれで良いんだけどね……」
「何なら、こんなまどろっこしいことやっとらんと、正面切って館にどーん!!…って突撃かませば良くね?」
「いや、それはまだ早いでしょ。今の向こうの立場を考えれば、下手に騒げば不利になるのは俺たちのほうだよ」
 暫く議論を続けた末、こっそり忍び込むことで話が纏まった。館の周囲を伺い、兵士の目を盗んで塀を乗り越え、庭に降り立つ。ふと見上げると、二階のテラスに面した窓のひとつが、半開きになっているのが目に入った。
「………で、結局俺が登る訳ね……」
「トーのほうが俺より手足長いんだから当然だしー。つべこべ言わずにさっさと行くんよー」
 はいはい、とトーリスは肩を落とす。この小さな暴君に逆らったところで、どうせ敵いはしないのだ。フェリクスに繁みの陰に隠れているように指示すると、トーリスは雨どいに足を掛け、慎重に登り始めた。
 この館は天井が高く、たかが二階でも地上からの距離はけして近くない。つるつると滑りやすい雨どいに苦心しながら、それでも漸くトーリスの指がテラスの柵を掴む。そのまま身体を持ち上げようとしたところで、突然頭上から声が降ってきた。
「手ぇ、貸そうか?」
 ぎょっとして顔を上げると、目の前の窓枠に銀の髪の青年が腰掛け、にやついた笑みを浮かべてこちらを眺めているのが見えた。
「あ、あはは。いらっしゃったんですか」
 トーリスが乾いた声で笑うと、ギルベルトはケセセ、と何処か耳につく笑い声を立て、つんと顎を反らした。先程エリザベータに殴られたダメージからは、既に綺麗に回復しているようだ。
「まあ、ここは俺様の部屋だからな。窓からの侵入者だっつーから、どんな可愛い小鳥ちゃんだろうと楽しみにしてたのによ。こんな薄汚ぇネズミとは…やれやれ、興醒めだな」
「ご期待に添えなくてすみません」
 それ以上よじ登ることも出来なくなり、トーリスはテラスにぶら下がったまま、ギルベルトと対峙する破目になった。何とも無様な格好だが、この体勢では迂闊に動けば、叩き落されるのはこちらのほうだ。ここはジタバタせずに構えるべし、トーリスは腹を括った。ともかく、目標を引っ張り出すことには成功したのだ。フェリクスのいる場所からテラスの上は死角だが、声は聞こえているはずだから彼も事態には気付いているだろう。
「で、ネズミが俺に何の用だ?わざわざ人目を忍んで来るぐらいだ、くだらない用件で俺様を失望させるなよ」
「あ……いえ、エーデルシュタイン伯から、バイルシュミット卿が高名な魔術師であると伺って……それで、お会いしたいなー…と思ったんです」
「で?会ってどうするんだ?」
「えっと……ま、魔術を教わりたいなって…」
 階下のフェリクスが、ぷっと吹き出す声がトーリスの耳にまで届いた。ああそうだよ、わかってるよ、咄嗟の出任せにしたって大概な口実だよ。でも、何も笑わなくても。この絶体絶命な状態で踏み止まってる俺の頑張りを、認めてくれたって良いじゃないか。トーリスは地味に落ち込んだ。
「へぇ……」ギルベルトは片眉を上げ、瞳を眇めた。「……よく見りゃおまえ、さっき街で俺に因縁付けてきた女連れじゃねぇか。こんな所まで俺様を追い掛けて来て、何を言い出すかと思えば……馬鹿馬鹿しい。ネズミが魔術を習得しようだなんて、百年早ぇぜ」
 酷薄な声を合図とするかのように、窓のほうからひゅっと飛んできた何かが、トーリスの手を掠めてテラスの柵に突き刺さる。見ればそれは刃渡り10cmほどの短刀だった。
 一瞬硬直し、そして窓から部屋の中を見てトーリスは絶句した。部屋のあちこちに立て掛けてあった刀剣という刀剣が全て宙に浮いている。それらはギルベルトの手の動きに従って窓から外へと出て来ると、切っ先をトーリスに向けて空中で静止した。
「折角だから丁重に持て成してやるぜ。俺様は親切だからな。魔術の刃で串刺しなんて最期も、乙なもんだろうよ」
「………っ!!」
 トーリスは迷うことなく手を離し、テラスの下へと飛び降りた。僅かに遅れて剣が降り注ぎ、今し方トーリスが掴まっていた場所は、瞬時に巨大な剣山と化す。
「フェリクス、逃げるよ!!」
「トーの顔引き攣っとるー。マジウケるんだけど」
「〜〜〜笑ってもいいけど、逃げるのが先!!」
 騒ぎに気付いたのだろう、警備兵たちの声と足音が迫っている。尚も宙を舞い、追い縋ってくる無数の刃を、懸命に掻い潜りながら、二人は駆けた。






 警備兵を振り切って何とか塀を乗り越え、館から離れた裏路地へと逃げ込んだところで、二人は漸く足を止めた。ほうと大きな息をひとつ吐き、トーリスはフェリクスを振り返った。
「どうだった、フェリクス?」
「もうマジ最高だったし!!あのタイミングで魔術習いたいとか、超ウケるんだけどー!!」
「……それはもういいから………」一気に力が抜けて、トーリスはがっくりと項垂れた。「取り敢えず、不本意ながらも目的は果たせた訳だから…本題に入ろうよ…」
「トーはせっかちだしー。人生、どんな時も笑えるだけの余裕が必要だと思わん?」
 澄ました口調でそう言って、フェリクスは笑う。眉尻を下げ、口の端をにっと引っ込めるその笑い方は、元々童顔の彼の顔を更に幼く見せている。実際は、彼の年齢はトーリスと同じ十九歳なのだが。
「で、結論。やっぱりだしー。最初に会った時から、そーじゃね?とは思っとったけどー。あいつ、魔術師なんかじゃ全然ないし」
「本当?」
「ホントだしー。剣が浮いた時も、あいつからは魔力なんて欠片も感じんかったしー」
「じゃあ、さっきの、俺を攻撃してきた剣は…」
「あれ全部、魔導器じゃね?多分」
 魔導器とは、魔力を秘めた武器や道具の総称だ。魔術師以外の人間にでも扱いは可能で、使用することによって、魔術と同じ現象を起こすことが出来る。治癒系のものや低レベルの攻撃系魔導器等は、護身用として街でも普通に売られている。高位のものともなれば、並みの魔術師の魔力を遥かに凌ぐような強力な魔導器も存在した。
「警備兵あんだけ配置しといて、更に防犯用無人迎撃武器とか、用心深いにも程があるしー。どんだけ他人のこと信用しとらんのよ。寂しい奴だしー」
「そっか…」トーリスは少しばかり落胆したような顔で笑った。「情報をくれたエドァルドには悪いけど……やっぱり偽者だったんだね。まあ、彼の所為ではないし、最初から何となくわかっていたことではあったけど……」
「全くの空振りと決め付けるのは、まだ早いしー」
 トーリスとは対照的に、フェリクスの声と表情は、取って置きの宝物を見付けた子供のように生き生きとしている。
「どういうこと?」
「あいつ、この街に結界を張る為に議会から派遣されて来たって言ってたし。けど、あいつが魔術師じゃないなら、結界なんか張れる訳なくね?けど、俺の見た限りじゃ、結界はちゃんと作動しとるんよ。そこらで売ってる魔導器に、街ひとつ丸ごとOK的な結界張れるような強力なものはないはずだしー。これっておかしくね?」
「つまり……魔術師の共犯者がいるか、もしくはバイルシュミット卿が規格外の魔導器を所有している可能性が高いって……そういうこと?」
「…な?どっちに転んでも、調べてみる価値はあると思わん?」
「そうだね…。それにここまで来て、彼の横暴を黙って見過ごすことも出来ないし……もうちょっと動いてみようか」
「そうこなくちゃだしー」
 フェリクスがにこにことした顔で言う。重要な捜査というより、寧ろこの状況を楽しんでいる様子だ。
「……けど、今日はもう遅いね」
 周囲を見回しながら、トーリスは言った。いつの間にか、日が落ちている。黄昏は西の空の裾野に僅かに茜色を残すのみで、街は既にその大半が夜の帳に包まれていた。
「で―――続きは明日にするとして……何処に泊まるん?」
「うーん……迷惑は掛けないと言っておきながら、結局は騒ぎを起こしちゃったからね。…というか、さっきの兵が、俺たちを探してエーデルシュタイン伯の家に行ってなきゃいいんだけど……」
 トーリスが心配そうに眉を顰めたとき、背後から声が響いた。
「こんなところにいたんですね」
 ぎくり、と肩が強張った。首を竦めてそろそろと振り返ると、榛色の長い髪に花を飾った少女が、こちらに駆け寄って来るところだった。
「……エリザベータさん」
「良かった。ギルベルトの館に侵入者した輩がいたって聞いたから、多分あなたたちだろうって心配してたんですよ」
「すみません、お騒がせしてしまって。あの……エーデルシュタイン伯はご無事ですか?俺たちがヘマをしてしまった所為で、そちらにご迷惑が掛かっていないか気になってたんです」
 ヘマをしたのはトーだけだし…と、後ろで呟く声がする。足を踏みつけてやろうかと思ったが、トーリスが睨むより早く、フェリクスはさっと身を引いた。
「大丈夫です。こちらにはギルベルトの兵は来ていません。それよりも、あいつに見付かる前に、早くローデリヒさんのところに戻りましょう」
「え…?」トーリスは困惑顔で瞬いた。「いいんですか?俺たちを匿ったりしたら、今度こそ本当にご迷惑が掛かるかも…」
「気にしない気にしない。ギルベルトの嫌がらせなんて、こっちはもう慣れっこですから。本当はね、ローデリヒさんもお二人を探しに行きたがっていたんですよ。けど、こんな状況で馬車を出したら目立つし、却って動きが取れないし。徒歩で繰り出そうものなら迷子が一人増えるだけだから、大人しく待ってて下さいって言って、館に置いてきたんです」
「迷子?」
「ええ」エリザベータはくすくすと笑った。「ローデリヒさん、凄い方向音痴なんです。放っておいたら、一日中でも街を彷徨ってますからね」
「こんなちっこい街で迷子になれんの?それって一種の才能じゃね?」
 フェリクスも目を丸くする。今日ここに来たばかりの自分たちですら、大まかな地理は既に把握しているようなこんな小さな街で、しかも領主ともあろう人物が一体どうやったら迷子になれるのか。それは理解不能というより七不思議の領域かもしれない。
「まあ……そんな訳でローデリヒさんも待ってますから、館に戻りましょう」
「トー、来ていいって言われとるんだし、よくね?」
「……わかりました。すみません。お言葉に甘えさせて頂きます」
 下手に野宿をして兵に見付かる危険を思えば、素直に泊めて貰ったほうが逆に安全かもしれない、とトーリスは思った。明日になったら、早いうちに人目に付かないように館を出て、行動開始だ。
「そうと決まれば早く戻りましょう。こっちです」
 周囲を伺い、路地を先導する少女の背後について歩きながら、トーリスとフェリクスはこっそりと視線を交し合い、頷いた。
 間違いない。明日は長い一日になりそうだ。


















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