〜第1章〜








   1.










 エリザベータ・ヘーデルヴァーリの精神は、今まさに不機嫌の絶頂を迎えようとしていた。
 目の前には、によによと不穏な笑みを浮かべた銀髪の青年。その背後には、見るからに人相の悪い数人の男たちが控えている。最悪だ、とエリザベータは思った。
 何だってこんな良い天気の日に、この世で最も見たくない顔に、往来のど真ん中で絡まれねばならないのか。
「だから、この街にとっても悪い話じゃねえって前々から言ってるだろーが。本っっっ当に頭固ぇヤツだな、おめーもあのお坊ちゃんも」
 行き交う人々も足を止め、心配そうな顔でこちらを見ているが、誰も近寄ってこようとはしない。だが、この男の立場を思えば仕方のないことだろう。それはエリザベータにもよくわかっていた。
 だからこそ、彼女は毅然と顔を上げ、いけ好かない男の顔を真っ向から睨み付けた。
「何度も言わせないで頂戴。あなたなんかに頼らなくたって、この街は今までどおり、ローデリヒさんと私で守ってみせます」
「そう言って、いつまでもビンボー全開のままやってくつもりか?今時農業なんて流行らねえって言ってんだろ。しかもこんな痩せた土地でよ。王都への税を払うのだけでいっぱいいっぱいなんだろ?俺様の言うことを素直に聞いてりゃ、ここはもっと豊かになるってのが何でわかんねぇんだよ」
「どうせ碌でもない謀(はかりごと)でしょ?確かにここは貧しいけど、私たちは、今の暮らしが気に入ってるの。あなたの言いなりになってまで豊かな暮らしが欲しいとは思わないわ」
「へっ。来る日も来る日も鳩時計作って……じゃねぇ、畑耕して畑耕して……そんな一生で本当に満足なのかよ。ローデリヒ坊ちゃんは良識ある領主として評判だが、本性は何てこたぁねぇ、ただの腰抜けだな」
 こいつ本気で殴りたい。エリザベータの我慢が限界に達しようとしていた時だった。
「……あ、あのー……」
 背後からおずおずとした声が掛けられる。振り向けば、いつの間に近付いてきていたのか、ひとりの青年がすぐ傍に佇んでいた。
 肩の辺りまで伸ばした栗色の髪。深い緑色の瞳。顔の造形はそれなりに整ってはいたが、特に目を引くほど秀麗でもなく、ごく平凡な印象の若者だった。腰に剣を下げてはいるが、見るからに人の良さそうな表情からして、進んで他者に喧嘩を売るようなタイプの人間ではないだろう。事情を知らない旅人が、この状況を見て親切心を起こしてくれたのだ、エリザベータはそう判断した。
「詳しい事情はわかりかねますが、この方もお困りのようですし、そろそろやめたほうが良いんじゃないですか?ここで言い争っていても、騒ぎが大きくなるだけですし…」
 気弱そうな顔で、それでもならず者に向かって果敢に言葉を重ねる青年を、エリザベータは慌てて制止した。
「私は大丈夫ですから、早くここから離れて下さい。この人たちには関わらないほうが身の為です」
「いえ、でも流石にこの状況を放っておくのは気が咎めますし…」
「何だよ。余所者が俺様に喧嘩売ろーっての?上等じゃねぇか」
「ギルベルト・バイルシュミット卿!喩えあなたでも、ローデリヒさんの街で狼藉を働くことは許しません!あなたが用があるのは私でしょう?殴り合いでも何でも受けて立つわよ!」
「あの…だから、お二人共、落ち着いて下さいって」
 困り顔で仲裁に入ろうとする青年の背中にぴったりくっ付くようにして、小柄な少女が隠れていることに、その時エリザベータは気が付いた。
 切り揃えられた淡い金髪の隙間から、若草色の大きな瞳が覗いている。連れの青年の平凡な容姿に対し、少女の面立ちはまるで人形のように美しかった。
 銀髪の男―――ギルベルトがひゅっと短く口笛を吹いた。
「女連れで俺様に意見しようたぁ、いい度胸だな」
「やめなさいっっ」
 ガコン―――曰く表現し難い鈍い音が、その場に響いた。
 脳天を殴りつけられたギルベルトが、くるくる回ってバッタリ倒れ伏す。エリザベータの手には、どこから取り出したのかしっかりとフライパンが握られていた。
「あなたたち、そこで寝ているど変態をさっさと連れて帰りなさい!今度変な真似をしたら、こんなもんじゃ済まさないわよ!顔の形が変わるまで殴って、真っ裸にひん剥いてから街道に晒してやるからね!」
 エリザベータの剣幕に震え上がった男たちは、ギルベルトを担いで一目散に走り去った。全くもう…毎日毎日鬱陶しい。大きな溜息を吐いてから、エリザベータは未だ立ち尽くしている青年を振り返った。
「お見苦しいところをお見せしてすみません。お怪我がなくて何よりです」
「あ…はあ、お強いですね」
 あはは、と苦笑する青年の背後から、少女がひょっこり顔を出した。去っていく男たちを目で追って、呆れたように口許を尖らせる。
「何なんあいつら。偉そうにしとる癖に情けないしー」
「えっ!?」
 エリザベータは思わず瞳を見開いた。少女の口から出た声は、多少高めではあるものの、紛れもなく男性のものだった。
「あ、あなた、男の子なの!?」
「そうだけど?ぷぷっ、もしかして俺のこと女だと思ってたん?」
「こら、フェリクス、失礼でしょ!」
 面白そうににやりと笑う金髪の少年を、栗色の髪の青年が嗜める。
 だが、エリザベータの脳内は既にそれどころではなかった。
「ちょっと!!あなたたち二人の関係を詳しく聞かせて下さい!旅する青年と美少年の組み合わせなんて、こんな美味しい設定、見逃す訳にはいきませんから!!」
「…………トー……、この人、何か怖い……」
 ぴゃっと、青年の背後に隠れた少年が、脅えた声を出した。
「だ、大丈夫だよフェリクス、きっと悪い人じゃないから…ってわあっ!?」
「さあ、詳しく聞かせて下さい。さあさあ!!!!」
 にじり寄ってくるエリザベータの手には、いつの間にかフライパンの代わりに羽ペンとメモ帳が握り締められている。訳のわからない危険を感じて青年が後退った時、蹄鉄の音が響いて一台の馬車がその場に滑り込んできた。
「エリザベータ、何をしているのですか」
 馬車から降り立ったのは、細面の輪郭に眼鏡を掛けた、見るからに貴族と言った出で立ちの青年だった。
「ローデリヒさん!」
 エリザベータは急いで馬車の許へと駆け寄った。その背後で、栗色の髪の青年が、助かったとばかりに大きな息を吐く。
「騒ぎになっていると聞いて、急いで駆け付けてきたのです。またギルベルトと遣り合ったのですね。怪我はありませんか?」
 心配そうに瞳を細めた青年貴族に、エリザベータはにっこり微笑んで見せた。
「大丈夫ですよ。あんなヤツに、ローデリヒさんの大事な所は、絶対渡しませんから。何べんだって殺ってやりますから」
「はあ…それはまあ置いといて…」エリザベータの、花のようでありながら何処となく威圧感に満ちた笑顔からそっと顔を逸らし、ローデリヒは傍らの二人連れへと視線を向けた。
「エリザベータ、彼らは?」
「ああ、すみません。旅の方…です。多分。ギルベルトと私が言い争っているところへ、偶然通り掛かられて」
「ええ、まあ…危ないところを、こちらのお嬢さんに助けて頂きまして」
 おっとりと言葉を返す青年の背後で、金髪の少年が、何か合ってるような違ってるような…と首を捻っている。
「こんな辺境の街に折角お出で頂いたのに、災難に遭わせてしまったようで申し訳ありません。領主の私の力が至らないばかりに…」
「そんな!ローデリヒさんが悪いんじゃありません!全部あの変態ギルベルトの所為ですから!」
 ガックリと肩を落とすローデリヒを力付けようと、エリザベータは拳を握り締めて声を張り上げる。そんな二人の遣り取りを見守っていた青年が、ええと…と遠慮がちに何かを差し出した。
「実は…そのことなんですけど」
 手渡されたのは書面だった。受け取って目を走らせ、ローデリヒは小さく息を呑む。
「これは…フォンヴォック公からの紹介状?」
「はい」
 青年は小首を傾げ、柔らかく微笑んだ。
「リナリア領主ローデリヒ・エーデルシュタイン伯ですね。お初にお目に掛かります。トーリス・ロリナイティスと申します。あなたにお伺いしたいことがあって来ました」






 案内された領主の家は、館とは名ばかりの小ぢんまりとした建物だった。だが、その飾り気のない佇まいは、古いながらもきちんと手入れが行き届いており、家主の誠実で几帳面な人柄を表していた。
 客間で出された茶は、館の主が手ずから淹れたものだ。ケーキも彼の手作りとのことだが、こちらは既に、甘いものに目がない同伴者の腹に二人分全てが収まってしまっている。
「それで―――」優雅な所作で紅茶をひと口啜ってから、ローデリヒは徐に切り出した。「私に聞きたいこととは、一体何でしょうか?」
「はい。実は他でもない、バイルシュミット卿のことなんですけど」
 単刀直入に答えるトーリスに、ローデリヒは眼鏡の奥の瞳を怪訝そうに眇めた。
「あなた方の訪問は王宮議会の意向ですか?」
「いえ、あくまで非公式のもの…というか、寧ろ完全に俺たちの私用ですけど」
「何であんなチンピラをのさばらせとるん?」
 フェリクスと名乗った金髪の少年が横から口を挟む。
 ローデリヒは小さくかぶりを振った。
「彼の横暴を止められるだけの力を持ったものは、このリナリアの街にはいないのですよ」
「領主のあなたの立場を以ってしても?」
「確かにこの街の領主は私です。ですが、この街を本当に守っているのは、私ではありません」
「ギルベルトは、王宮議会がこの街に遣わした巡見官なんです」エリザベータが続きを引き取る。「この街はローデリヒさん…エーデルシュタイン伯爵家による自治が認められていますから、王都の議会も内政に干渉してくることはないんですけれど……唯一の例外が、その巡見官です」
「王都が、彼を通じてこの街に圧力を掛けているのですか?」
「いえ……巡見官の派遣を王都に要請したのは、寧ろ我々の側なのですが……」
 ローデリヒは、苦りきった表情を隠しもしない。
「ご覧のとおりここは、痩せた土地でほそぼそと農業を営んでいるだけの貧しい街です。人口も少なく、男手が足りない為に、魔物から街を守る為の自警団を作ることが出来ません。そこで、王都より派遣された魔術師に街の周囲に結界を張って貰うことで、魔物の侵入を防いでいるのです」
「その魔術師というのが、王都から来た巡見官なんですね」
「ええ、そうです」トーリスの言葉に、エリザベータは忌々しそうに頷いた。
「先代の巡見官が高齢で引退されたので、代わりに派遣されてきたのがあいつ―――ギルベルトです。ずっと平和だったこの街は、あいつの着任と同時に一変しました。あいつは、王宮の権威を笠に着て、ローデリヒさんの大事な所を要求してきたんです」
 ―――何かその言い方やらしーし。フェリクスがぼそりと呟く。トーリスは頬が紅くなるのを自覚したが、咳払いをして誤魔化した。
「ええっと…つまり、リナリアの統治権を寄越せと言ってきた…ってことですか?」
「まあ、そんなところです」
 一瞬その場に漂った微妙な雰囲気をさらりと受け流し、ローデリヒは続けた。
「無論、お断りはしました。喩え力はなくとも、私にも数百年に渡ってこの街を支えてきた伯爵家の誇りがありますからね。ですが、私が応じないと見るや、彼は王都から自分の部下の兵士たちを呼び寄せて、しきりに私やエリザベータに対して嫌がらせを繰り返すようになりました。先ほども言ったとおり、この街は彼の作った結界に守られています。彼の力なくして、この街の存続は在り得ない。私たちには、ただ耐えることしか出来ないのです」
 フライパンで殴り付けるのは良いのかな…?…と、トーリスは思ったが、それは敢えて口にはしなかった。
「王都には報告しないのですか?」
「それが……」エリザベータは優美な眉を顰めた。
「あなた方も、噂くらいは聞いたことがおありでしょう?『白い悪魔』の話を」
「白い……?まさか、あの…?」
 トーリスの表情がふっと険しくなる。隣のフェリクスに至っては、苦虫を噛み潰したような顔をして、ふいと横を向いてしまった。
 白い悪魔……それは、フィオレ王国を震撼させる嵐とも言うべき存在だった。
 ここ半年ほどの間に、八ヶ所もの数の街や神殿が、突如として押し寄せた魔物の大群に壊滅させられていた。襲撃を受けた中には屈強な警備兵団を擁している街もあったが、それさえも闇の眷属たちの敵ではなかった。辛うじて難を逃れ、生き残った人々は口々に証言する―――魔物の群れを率いていたのは、白の長衣を纏った長身の魔術師であったと。
「ええ……ギルベルトは言うのです。彼らには鉄槌が下された。あのような目に遭いたくなければ、自分の意に従えと―――」
「―――それはまた……随分と不穏な忠告ですね」
「彼自身……そして、事によっては王宮議会そのものが白い悪魔と関わりがあると、そう受け取れ兼ねない発言ですからね。もしそれが真実だとすれば、迂闊に王都に報告することも出来ません。私たちとしても、慎重にならざるを得ない訳です」
 ローデリヒの重い溜息を打ち消すように、トーリスの穏やかな声が響いた。
「成る程。話して下さってありがとうございます。―――フェリクス、行こうか」
「ん」
 立ち上がった二人の顔を、ローデリヒは驚いた視線で交互に見遣る。
「お待ちなさい。何処へ行くつもりなのですか?」
「ええ、ちょっと。巡見官の館へ」
「……この御馬鹿さんが。私の話を聞いていなかったのですか?」
「聞いたから行くんだしー。つか、大陸最高のお尋ね者名乗ってる巡見官とかヤバくね?マジウケるんだけどー」
 全く臆する様子もなくころころと笑うフェリクスに、エリザベータも不安げな表情を隠さない。
「やめておいたほうが良いですよ。どんな変なことされるか、わかったものじゃありませんし」
 ……ああでもちょっと気になるかも…と続いた呟き声は、この際気にしないことにして、トーリスは苦笑交じりの笑みで頭を下げた。
「心配して下さってありがとうございます。でも、元々俺たちは、その為にここに来たんです」
「その為―――?」
「ええ……どうしても確かめたいことが―――確かめなければいけないことがあるんです。あなた方にご迷惑はお掛けしません。ですから……行かせて下さい」
 穏やかながらも頑として引く気配のないトーリスに、呆れ顔で仕方がないといったように溜息を吐いてから、ローデリヒは小さく微笑んだ。
「この御馬鹿……。ならば……さっさと用を済ませて早くお戻りなさい。夕食の用意をしておきますから」


















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ギルファンの方、初っ端から大変申し訳ありません(汗)





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