カメリア













1.


 地の果てに落ちてゆく夕陽にポツリと浮かび上がったシルエットに、今か今かと詰めていた呼吸も鼓動も一息に跳ね上がった。逆光でその顔もまだよく見えぬうちから、コルセリアにはそれが誰だかわかっていた。間違いない。私があの方を見間違える訳がない。やっと帰って来られたのだ。少女らしい熱情を抑えきれず、コルセリアはドレスの裳裾を絡げて走り出した。
「お帰りなさい、トロイ」
 漆黒の軍服を纏った青年は、息せき切って飛びついてきた少女を、その逞しい腕で難なく抱きとめた。
「只今戻りました。直々のお出迎えとは光栄です、殿下」
 息を弾ませて見上げた先には、優しく笑んでいる漆黒の光りがあった。コルセリアは慌てて身を起こし、乱れた髪と裾とを撫で付けた。いけないいけない、待ち侘びた人との再会とはいえ、いきなり抱きつくなんて淑女として失格だわ。前へと流した手を殊更に行儀良く重ねて、コルセリアは精一杯大人びた仕草で微笑んだ。
 普段は後ろでひとつに束ねている髪も、今日は丁寧に梳き解して直ぐに下ろし、花を模した宝石飾りが添えられている。薄桃色の絹のドレスは腰がきつく、裾は引き摺るほどに長く、豪華ではあるが動くのに邪魔なことこの上ない。堅苦しい式典の席でもなければ、けして袖を通しはしない衣装である。普段から少年のような軽装を好み、宮殿中を我が物顔で駆け回るお転婆娘に、どうやって一国の姫に相応しい威厳と気品に溢れた服装をさせるか。それは任務に忠実な乳母の、目下最大の悩みとなっている。
 しかし今日は、コルセリアは自分から進んでドレスを身に纏った。今宵は第一位艦隊艦長の帰還を祝して、王宮で宴が催される予定となっている。凱旋ではない為(群島との戦は長らく膠着状態が続いている)に、皇王と軍関係者が十数人ほど出席するだけのささやかなもので、実はコルセリアはそれに招かれてもいない。されど、久方ぶりに会えるかも知れぬとなれば、喩えそれが正式な場でなくとも、お粧しのひとつもしたくなるのが乙女心というもの。
(だって、好きな人には、やっぱり一番綺麗な自分を見て貰いたいもの…)
 姫君の殊勝な態度に、乳母が「トロイ様がこのままずっとグラスカに留まっていてくれたらねぇ…」と零したのは言うまでもないが、そんな訳でコルセリアは、早朝より着慣れないドレスを着込み、トロイの帰りをじっと待ち続けていたのだった。
(こんなに遅い時間になるなんて予想外だったけど…)
 窮屈な衣装と靴に長時間押し込められて、身体はそろそろ悲鳴を上げかけていたが、それを顔に出してしまっては淑女失格である。彼の前では常に淑やかに振舞っていたい。子供である自分を、コルセリアは甚く自覚していた。だからこそ、一刻も早く、彼に相応しい大人の女性になりたかった。
「……暫くお会いしないうちに、背が伸びましたね。それに…お綺麗になられた」
 嬉しさに、コルセリアの頬は黄昏の中でもそうとわかるくらい、はっきりと紅く染まった。彼はいつだって、コルセリアが一番欲しいと思っていた言葉をくれるのだ。
「ありがとう。…群島でのあなたの活躍は聞き及んでおります。暫くはこちらでゆっくりして行かれるのでしょう?また海の話を聞かせて下さいませ」
 弾む鼓動を懸命に宥めて、コルセリアは片手を差し出した。足元に跪き、恭しくその手に口付けを落としてから、トロイは幼い皇女の顔をすまなそうに見詰めた。
「いえ、こちらには報告と、補給の手続きの為に来ただけです。明日の朝にはエルイールに戻ります」
 そのたったひと言で、浮き立っていた気持ちは一瞬にして小さく萎んでしまった。
「そう……ですか…」
 この前にトロイに会ったのはいつだっただろう。南方の群島諸国との戦が始まってより、彼がグラスカの宮殿に足を運ぶことは殆どなくなってしまった。艦隊指揮官として前線に留まらねばならぬ彼の立場は理解していたが、それでも乙女の切ない恋心は千々に乱れた。加えて、最近は元老院に不穏な動きが目立つとの報告もある。南進政策によって、皇王派は議会での発言力を徐々に強めつつある。皇太子マルティンの失脚を願う長老派にしてみれば、面白くない事態であることは間違いない。ここ数年の不作によって、民衆の間に不満が広がっているのも知っている。宮廷の煌びやかさとは裏腹に、この国はいつ内乱が起こっても可笑しくはない程に揺れているのだ。長期に亘るトロイの不在は、コルセリアの小さな胸を不安でいっぱいにさせるに充分だった。
 落胆する少女の目の高さに視線を合わせ、トロイは静かに微笑んだ。
「殿下には寂しい思いをさせてしまっているようで申し訳ありません。もう少しだけ、お待ち下さい。群島との戦に決着がつけば、暫くは皇都に留まることも可能でしょう。その折は殿下が満足されるまで、毎日でも、海の話をお聞かせすると約束しましょう」
「はい!約束ですよ、トロイ!」
 駄々を捏ねて、彼を困らせるなど子供のすること。無念さを押し殺してコルセリアは微笑み、聞き分けの良い返事を返した。トロイは頷いて立ち上がり、ばさりと音を立ててマントを翻した。
「それでは殿下、私はこれで失礼致します。次に会うまで、ご健勝であれ」
「あなたもお気をつけて。ご武運をお祈り致します」
 トロイは小さく会釈すると、コルセリアの傍らを通り過ぎ、宮殿に向かって歩き出した。数刻に満たぬ逢瀬に、寂しさは極限まで募ったが、コルセリアは唇をぐっと噛み締めて堪える。恬然とした背中は一度も振り返ることなく、夕映えの宮殿へと姿を消した。
 ―――それが、コルセリアの記憶に残る、トロイの最後の姿となった。






「………避けられてるよね、絶対」
 行軍中にカルマの傍に近付いてきたキリルは、何を思ったのか突然にそんなことを言い出した。カルマは曖昧に笑って受け流すのみだったが、隣を歩いていたスノウは、わからないといった顔で首を傾げる。
「ん?誰が誰を避けてるって?」
「コルセリア。どう見ても、カルマのこと避けてるとしか思えなくて」
「ええっ、そうなの!?」
「しっ!声が大きいです…!」
 スノウは思わず素っ頓狂な声を上げる。キリルに諌められ、彼は慌てて声を落とした。
「全然気付かなかった…前からなの?」
 その問いに、カルマは苦笑を深くした。実のところ、スノウのように気付いていないものは、この一行の中では少数なのだ。コルセリアは素直で誠実な娘だったが、反面隠し事は苦手と見えて、その思考はなかなか忠実に顔や態度に表れている。彼女は意図的にカルマを避けているのだと、殆どの面々は気が付いていた。
 ある程度の人生経験を重ねたものなら、まあ色々思うこともあるのだろうと、大した詮索もせず放っておくところだろうが、年齢に比して大勢の人間と付き合った経験の少ないキリルは、擦れたところも少ない代わりに、他人の感情の機微には些か疎かった。見てみぬふり、ということが基本的に出来ない性分なのである。
「いつ頃からこうなのかはっきり覚えてないけど…まあ、避けられてるってのは間違いないみたいだね」
「彼女、明るいし、誰に対しても礼儀正しいし、とってもいい子だよね。何故、カルマのことは避けるんだろう?」
「何か、思い当たることはある?」
 両脇から視線の一斉放火を浴びて、カルマは少し困ったような顔で頬を掻いた。
「心当たり…と呼べるかどうか…何とも微妙っちゃ微妙なんだけど…」
「何だい?」
「お互いの立場と、それに付随する複雑な心境」カルマは口の端に皮肉めいた笑みを浮かべた。「彼女はクールークの皇女。で、僕は二年前にそのクールークと戦争やってた群島解放軍の軍主だ。今は停戦状態にあるとはいえ、コルセリアにしてみれば、敵国の大将を自軍の陣地に招き入れてるようなものだろうからね。成り行き的な部分が大きいとはいえ、割り切れない感情だってあるだろうし」
「でも」スノウが言った。「それならフレアだって、似たような立場だよね。オベルの王女なんだから。でもコルセリアはフレアには懐いてる。よく一緒にいるのを見掛けるし、戦闘でだって凄く息の合った連携を披露してるし」
「それに、コルセリアは、そんなことを気にする娘じゃないよ」キリルも真面目な顔で頷いた。「以前に敵対してたからって、今一緒に戦ってくれている人を差別するようなこと、コルセリアは絶対にしないと思う」
「そうだね。だからこそ僕も、心当たりというには微妙な線だと言ったんだよ。けど、これ以外には、思い当たるようなことは本当に何もないんだ。となれば、後は単純に相性が合う、合わないの問題じゃないのかな?そういったことは誰にでもあるし、仕方ないと思うよ」
 キリルは納得のいかないような顔で、少し前を歩くコルセリアの背中を見詰めた。山間の道は昼でも薄暗く足場も不安定で、皇族のしかも幼い少女が歩くのに、お世辞にも適した道とは言えない。そんな場所を、コルセリアは不満のひとつも洩らさず、額に汗を浮かべながらも懸命に歩を進めていた。時折転びそうになる彼女を気遣い、セネカやフレアを初めとして、大勢のものが代わる代わる声を掛けてやっている。その全てと屈託なく言葉を交わすコルセリアの姿に、キリルはやはり、彼女がカルマのことだけは避けるのは、何か特別な事情があるのではないかと考えずにはいられなかった。
「僕、コルセリアに訊いてみるよ。何か誤解があるのなら、解いておかないと。ちゃんと話し合えば、わかりあえるかもしれないし」
 今にもコルセリアのところへ駆け出して行こうとするキリルの腕を、カルマはぐいと掴んで引き止める。
「無理に聞き出す必要はないよ。言いたいことがあるのなら、彼女は自分から言葉にするだろうしね。それに家族が危険に晒されてるという時に、他のことを心配している余裕はないだろうから。今は余計なことにかかずらうよりも、目の前のことに集中させてあげたほうがいい」
「う、うん…わかった」
 結局キリルは不承不承ながらも引き下がった。本当にこれで良いのだろうか…そんな疑問を、カルマを見詰める視線に残したままに。スノウも心配そうな表情を隠さなかったが、カルマが良いと言うのだから良いのだろうと、これ以上は話を続ける気はないようだった。
 ―――だが、その数日後。それは、そろそろ陽も暮れようかという刻限のことだった。
 野営地に熾された焚き火のひとつ、その番をしていたカルマは、いつもは近くに感じたことのない少女の気配に顔を上げた。こちらを伺うような目付きで、躊躇いがちに近寄ってくる彼女の姿は、まるで警戒心を露わにしつつも人への興味を隠せない小動物のようで。微笑ましさについ笑みが零れそうになるのを、カルマは懸命に堪えた。
「どうしたの?何か用かい?」
「……隣、良いですか?」
 少女の声は、その表情と同様に固い。カルマが頷くと、コルセリアは人ひとり分ほど間隔を空けた隣に、遠慮がちに腰を下ろした。
「あの…えっと…」
 何と切り出したものか迷っているのだろう。普段の快活さはなりを潜め、少女は落ち着き無く、忘れな草色の視線を宙に彷徨わせた。
「お茶でも飲む?」
 カルマは火に掛けられた薬缶に手を伸ばしたが、コルセリアは首を振ってそれを遮った。そして、決心したようにふうと大きな息を吐いた。
「……この戦い……クールークの内乱が収束したら、カルマさんたちは、群島に戻るのですか?」
「そのつもりだよ」
「…クールークは……この国はこれから……どうなってしまうのでしょうね…」
「それは…残念だけど、今の段階では何とも言えない」
 明言は避けたが、皇国がコルセリアの望む姿を取り戻すことは、残念ながらほぼ不可能だろうとカルマは考えていた。イスカスの暗躍と長老派の暴走によって議会が破綻した今、この国は、懐に爆弾を抱えたまま、舵を取るものもなしに大海原を迷走している船にも等しい。しかも、乗組員の疲弊は既に限界に達している。無茶な航海で船体が傷み、浸水が始まっている可能性も高い。状況は限りなく最悪に近いと言えるだろう。
 この国は、もう後戻り出来ないところまで破綻してしまったのだ。だが、コルセリアは聡明ではあっても、故郷の滅亡を何の感慨もなく受け止められるほど、情に薄い性格はしていない。ましてや、彼女はこの国の皇女である。喪ったものを振り返るなと言うほうが酷だろう。
「たった二年で…この国はこんなにも変わってしまった…」膝を抱えて俯き、コルセリアは悲痛な面持ちで、目の前に揺れる炎を見詰めた。「二年前の群島との戦い…あれが全ての始まりでした。…あの戦いがあんな結末を迎えなければ、こんなことにはならなかったかもしれないのに」
 彼女の発言は早計と言えぬこともなかったが、カルマは口を挟まなかった。ただ黙って、手にした棒で焚き火を掻き回すカルマに、コルセリアは身を乗り出すようにして問いかけてきた。
「教えて下さい…!どうして…どうしてこんなことになったんですか?オベルを奪還した時点で、クールーク海軍はその力の大半を削がれ、完全に勢いを失っていました。これ以上の南進は無理だと、誰の目にも明らかだったはずです。停戦の交渉だって出来たはず…。なのに何故…わざわざエルイールまで攻め込んだりしたのですか?」
「エルイールの紋章砲を放っておけば…いずれは第二のイルヤが出ることになる。グレアム・クレイと紋章砲。群島が侵略の脅威を退ける為には、そのふたつを何としてでも排除する必要があった」
「エルイールにはトロイがいました。彼なら、意味もなくイルヤの惨劇を繰り返したりはしません!トロイと協力して、クレイを捕らえることだって出来たはずでしょう?」
「それは無理だね」カルマは困ったような笑みを浮かべ、肩を竦めた。「南進がクレイの進言で計画されたものであるなら、皇王直々の命がない限り、クールーク海軍士官といえどもクレイを手に掛けることは許されない。そしてトロイは、何があろうと皇王の命を違えるような真似はしない男だ。僕は、彼とはほんの僅かしか言葉を交わす機会を得られなかったけど、それだけはわかる。彼はけして、群島と手を結びはしない。そして、皇王自身が南進の意志を翻さない限り、喩えどれほど不利な情勢にあろうと、トロイはけして引き下がることなく群島解放軍の前に立ちはだかってきただろう―――何度でもね」
「だから……だから仕方なかったって、言うんですか?」コルセリアの声は、はっきりと怒りを帯びて震えていた。「あなたがエルイールでトロイを殺したのは、仕方のないことだって、そう言うんですか!?」
 カルマは思わず瞳を見開き、頬を紅潮させて自分を見上げてくる幼い皇女を見詰めた。想像もしなかった詰問に驚いたものの、同時に、彼女が自分を避け続けていた訳を漸く理解して、奇妙に安堵を覚えた。祖国を思う気持ちが理解出来ぬ訳ではないが、それを理由の全てにするには、国家というものはあまりに大きく形がなく、漠然とし過ぎていた。そのようなものの為にえも言われぬ視線を向け続けられるよりは、想い人の仇と憎まれたほうが余程納得出来る。
「要塞が陥落した時点で、エルイールでの戦闘は終結したのでしょう?その証拠に、第一艦隊所属の兵士の殆どが、生きてグラスカに帰ってきました。なのに……なのにトロイは…!どうして彼だけが、死ななくてはならなかったんですか!?」
 コルセリアの声は次第に高揚し、離れた焚き火を囲んでいる人々が何事かとこちらを振り返る。彼らに、何でもないよ、と手を振り返してから、カルマは小さく溜息を吐いた。
「彼は、比類なき武人だった。だけど…純粋すぎた。彼は最後まで―――その生命の最期の瞬間まで、剣を交えた相手に膝を屈することを潔しとしなかった。彼は恐らく、第一艦隊艦長に就任したその瞬間から、有事の際には旗艦と運命を共にすると決めていたんだろうね。武人であることに拘って命を疎かにするその姿勢は、僕にとっては腹立たしいものではあったけれど…それでも、彼が後悔など微塵もしなかっただろうことだけは間違いないと――僕はそう、考えている」
「彼が、私たちを見捨てて死を選ぶなんて…!」
「見捨てた訳じゃないと思うよ。きっと、彼は誰よりも深くクールークという国を愛していた。だからこそ…歪んだ意志と力に囚われ、少しずつ崩壊していくこの国の末路を見たくなかった…見ることが出来なかったんじゃないのかな」
「でも…!トロイが生きていれば…彼がお祖父様を守ってくれさえすれば…崩壊だって食い止められたかもしれないじゃないですか」
 遣る瀬無いといった態で瞬いて、カルマは揺らめく炎へ視線を投げた。
 国というもの、政治というもの、そして時代の流れというものは、彼女が思うほどに綺麗でも単純でもない。クールークという国はひとつしか存在しなくとも、その内部には無数の思惑が入り乱れ、複雑に絡み合って流れていく。喩え辿り着くその先が破滅であっても、既に奔流となったそれに、たったひとつの意志が逆らったところで、堰き止めることなど出来はしないのだ。コルセリアの言い分は単なる八つ当たりに等しい。
 しかし…人の足掻きなど世界の意志の前には無力でしかないと言い切れるほどには、カルマはまだ、世界に対して絶望を抱いてはいなかった。
 カルマの沈黙を肯定と取ったのか、コルセリアは眦を更にきつく吊り上げた。
「旅の間に聞きました。クレイが、お祖父様を利用してまで南進政策を推し進めた訳を…。彼は…あなたの持つ紋章を狙っていたのですね」
 誰がそれを洩らした?そう問おうかと考えて、しかしカルマは結局何も言わずに口を噤んだ。この一行の大半は、二年前に自分の旗下で戦っていた人々だ。しかも紋章の特性故にその存在は軍の末端にまで知らされ(軍主の命に関わる事柄である)、口にのぼらせることも特に禁忌とみなされてはいなかった。今更厳重な箝口令を敷いたところで、大した意味はあるまい。下手に噂の出処を追求したところで、仲間との信頼関係を損ねるだけである。
「ならば……あなたがそれをクレイに渡しさえすれば、戦争はもっと早く終わったのではないのですか?こんなに多くの犠牲を出すこともなく…」
「僕ひとりの犠牲で本当に戦争が終わるのなら、恐らくリノ王は最初からそうしていただろうね」
 聡い彼女は、その言葉の意味するところを正確に理解したようだった。困惑を滲ませて俯く横顔に一瞥をくれてから、カルマは足元に落ちていた小枝を拾い上げ、パキリとふたつに折って火の中に投げ入れた。
「それに……喩え彼が力を得たとして、果たして何を為すか―――君だって考えなかった訳はないだろう?……イルヤは復興までに二年の歳月を要した。もし『罰』がクールークに持ち込まれていたら、比べ物にならないほどの惨劇が彼によって引き起こされていたはずだよ。これは…この力は、紋章砲と同じだ。人が手にして良い力では、けしてないんだ」
「―――けど、あなたは持ってるじゃないですか…!人じゃない力を…今こうして手にしているじゃないですか!他の人間では駄目なのに、あなたなら良いんですか?そうやって他人を見下して、神にでもなったつもり…!?」
 表情を失くしたカルマに、コルセリアは言葉を途切れさせた。
「ごめんなさい、言い過ぎました……でも、やっぱり私…許せないんです…。あなたのことだけは、許せないんです…!」
 吐き捨てるように言い置いて、彼女はカルマに視線を戻さぬまま立ちあがり、脱兎の如くその場を駆け去った。まろぶように走り去るその背中を、やはりカルマは追わなかった。赤々と揺れる炎の照り返しを海の碧に閉じ込めるかのように、ただ静かに、瞳を伏せた……。




 行軍中、一行は度々長老派と見られる兵士たちと剣を交えた。足場の悪い浅瀬や、地形の入り組んだ岩場に、彼らは巧妙に陣を敷き、行く手を阻もうと襲い掛かってくる。
 それは草原での戦闘だった。背丈の高い草の生い茂るそこは、酷く見晴らしが悪い。物陰から突然現れる兵士を必死で振り払いながら駆けてゆくうちに、コルセリアはいつの間にか、本隊から離れた位置へと流されてしまった。慌てて周囲を見回すも、自分の身長よりも高い草に視界を遮られ、誰がどこにいるのか全くわからない。心細くなって、コルセリアは叫んだ。
「キリルー!どこにいるの!?」
 だが、その呼び声に応えて草叢から現れた影は、キリルではなかった。
「きゃっ!!」
 喉元に突き出された白刃を、コルセリアは紙一重の差でかわした。殺意に目を血走らせた兵士の頭を、半ば反射的にロッドで打ち据える。兵士は昏倒したが、次の瞬間、コルセリア自身も重心を失った。
「えっ!?―――きゃああっ!!?」
 草陰に阻まれ気付けなかったが、彼女の傍らには崖まがいの大きな坂があったのだ。踏み出した足の下には地面がなく、不安定に揺らいだ身体を支えてくれるものは何もない。慣性に従って、コルセリアの小柄な身体は奈落の底へと引き込まれていく―――。
 その時、悲鳴に気付いたのは、偶々コルセリアに一番近い場所で戦っていたカルマだった。瞬時に事態を察知し、声の聞こえた場所へと飛び出すまでに掛かった時間は、恐らく呼吸五つ分にも満たなかっただろう。それでも、精一杯に伸ばした指先は、彼女の服の裾を擦り抜けて空を掴むばかり。届かない―――そう判断するや、カルマは一瞬の躊躇いもなく、その身を宙へと躍らせた。

 
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