陽の当たる場所













1.


 ここでの待遇は悪くない。
 いや、悪くないどころか、今までの俺たちの生活環境を思えば、破格と言ってもいい。ベッドはふかふかだし、武器は王子さんの従者が何も言わなくても手入れしてくれるし、着る物にだって困らない。飯も毎日きちんと三食、しかも美味い。何を当たり前のことを、なんて思われるかもしれないが、レインウォールで悪さしてた頃じゃ、獲物が手に入らなくて一、二食食いっぱぐれるなんてこたぁ珍しくもなかったからな。王宮で何不自由なく育ってきた王子さんに取っちゃあ、ここでの生活なんざ質素の極みなんだろうけど。内乱の真最中なこのご時勢に、自分だけでなく周りにもこれだけのものを与えられるっつーのは、やっぱりアンタは恵まれてるご身分ってことなんだろうぜ、王子さんよ。
 ここでは足りないものは何もない。レインウォールの吹き溜まりとは大違いの、整えられた箱庭のような場所。何の取り柄もない薄汚ぇ孤児の俺が、まさかこんなところに来られるなんて考えたこともなかったから、最初のうちは素直に浮かれてたさ。
 けど、日が経つにつれて、何か釈然としないものが心の中にあることに、俺は気が付いた。居心地が良ければ良いほど、周囲から掛けられる言葉が優しければ優しいほど、違和は大きく深く広がっていく。俺の中でもうひとりの俺が叫んでいる―――『ナニカガチガウ』。
 考えて考えて、そして唐突に理解した。
 ああ、そうか。
 ここには『俺』は存在しない。必要とされているのは『ロイ』ではなく、『王子の影』としての俺。
 城の連中の温かい言葉や眼差し――それはあくまでも俺の向こう側にいる王子さんに向けた誠意や期待なんであって、けして、俺自身に向けられたものではないのだと。
 ―――心のどこかにポッカリ穴が開いたような感じがした。
 そう、俺は王子の『影武者』。ただの身代わり。わかっていて、この任を引き受けた。
 ………けど、わかったつもりで、俺は全然わかっていなかったのかもしれない。
 気付いてから―――急に全てが疎ましくなった。
 向けられる笑顔も厚意も、何だかどうにも空々しく、薄っぺらく感じられて仕方がない。
 周囲の連中が変わったわけじゃない。ただ俺が素直に受け取れなくなってしまっただけ。与えられたものに嘘があるわけじゃないと理解しているのに、その笑顔の裏にあるかもしれないものを、勘繰らずにはいられなくなってしまっただけ―――。
 今更、任を放棄するつもりはなかった。
 けれど『どうでもいい』という思いも、芽生えつつあった。
 俺が死んだところで、どうせ誰も悲しみゃしない。ヤツらは王子さんさえ無事ならそれで良いんだから。
 子供じみた、くだらない嫉妬だと、自分でもわかっていた。
 自分の狭量さ加減にうんざりしながら、それでも一度自覚してしまった感情をどうすることも出来ずに、俺はくさくさした気分のまま、何となく毎日を過ごしていた。




「はぁ………」
 浮かない溜息を吐いて、俺はベッドの上に、ごろりと仰向けに倒れこんだ。
 外は今日も良い天気だ。半開きの窓から忍び込んだ風が、俺の前髪をふわふわと揺らしている。目を閉じて深呼吸すれば、甘い花の匂いがした。これは多分…沈丁花。
「もうそんな季節か……」
 温かな風と穏やかな陽射し。旅日和ってのはこういう天気のことを言うんだろうか。レインウォールに居ついてから結構な年月が経つが、元はといえば親無し宿無しのお気楽な身の上だ。この戦が終わったら、新天地を求めて旅に出るのもいいかもな…なんて、俺はぼんやり考えた。
 視線を動かせば、卓の上に放り出しておいた革の背嚢が目に入った。薬やら携帯食やら、旅に必要な様々なものを詰め込んである。俺はベッドから起き上がると、長年連れ添ったそれを手に取って眺めた。
 使い込んだ革の感触は、すっかり手に馴染んでいる。だが、持ち手はもう擦り切れかけてボロボロだし、ポケットにも穴が幾つか開いていた。よく見ると小さな染みもあちこちに付いている。使い勝手が良くて気に入ってたものだったんだけど…これはそろそろ買い替え時かもしれねぇな。
 必要なものがあれば、何でも遠慮なく言ってくれ―――俺をここに連れて来た時、そう言って微笑った王子さんの顔が目に浮かんだ。新しい背嚢が欲しい、とひと言言えば、アイツはきっと部下を総動員して、おあつらえ向きの品を探し出してくるだろう。
 でも、本当に欲しいものは、やっぱり自分の目で見て買わないとな。買ってきて貰った物が、俺のシュミに合わなかったら意味ねーし―――尤もらしい言い訳を心の中で並べてみたけど……要は王子さんの世話になるのが面白くないだけだ。わかっていながら俺は、そんな自分の本音に気付かないふりをした。
 だが、自分で買いに出ると言っても、ひとりで城の外に出して貰えるとは思っちゃいない。何たって俺は王子さんの影武者だ。勝手に出歩いて怪我でもされて、いざと言う時に使いものにならないようじゃ困るってことで、護衛の三、四人はつけられると見て間違いねーだろうな…。
 ったく、冗談じゃねぇ。そんな落ち着かねー状況で、買い物なんざ出来るか!
 絶対ひとりで行ってやる。
 息巻いて、俺は部屋を飛び出した。王子さんに迷惑を掛けることになるかもしれないという後ろめたい思いに強引に蓋をして、表向きは平然を装って、正門とは逆の方角―――船着場を目指す。
 ログのおっさんは、今日ものんびりと煙管をふかしながら、釣り糸を垂れていた。
「よお、ロイじゃねぇか。どうした?暇なら釣りでもしてくかい?」
 人の良さそうな笑顔を見せるおっさんに素早く近寄って、俺は声を潜めた。
「悪りぃけどおっさん、ちょいと頼まれてくんねぇかな?」
「何をだ?」
「ちょっと街まで買い物に行きてぇんだよ。つー訳で、舟を出して欲しいんだ」
「おまえひとりでか?流石にそれはマズイんじゃねーのか?王子様に怒られるぜ?」
「勿論タダでとは言わねぇさ。ほら」
 小ぶりの布袋を、俺はおっさんの手の中にねじ込んだ。袋越しに金貨の感触を確かめて、おっさんは心得たとばかりににんまり笑う。
「そこまで言われちゃ、男として断れねぇな。内緒にしといてやるから、さっさと乗りな」
 鼻歌交じりで舟に乗り込むおっさんの背中に視線をくれて、俺は口許だけで笑った。へっ、ちょろいもんだぜ。
 だが、おっさんの後に続いて舷梯に足を掛けた瞬間、背後から予想外の声が降ってきた。
「あれー?ロイ君。どこに行くのかなぁ?」
 …心臓が止まるかと思った。ぎくっと首を竦めて、それからそろそろと振り向けば、船着場を見下ろせる石段の上から、厄介な顔がこちらを眺めていた。
 王子さんお抱えの女王騎士のひとり。金髪のキザなタラシ野郎。
 うへっ。寄りにも寄って、こんな奴に見付かっちまうとは…。
「うひょ〜、カイルの旦那!!丁度いいところに!!実はロイの奴がひとりで出掛けたいなんて抜かしやがるもんで、やめとけって説得してたところなんでさぁ」
 ……大人って汚ぇ………!!
「ふ〜ん。で、袖の下をちらつかされて、逆に説得されちゃったって訳?」
 手に持った袋をズバリと指されたときの、ログの野郎の引き攣った笑顔ったらなかった。けっ、ざまみろってんだ。
「ロイ君」キザ男がもう一度さっきの問いを繰り返す。「どこに行くつもりだったの?」
「別に…。アンタにゃ関係ねぇだろ」見透かすような視線に、俺は決まりが悪くなって早口に言い募った。「夕方までには戻る。王子さんに迷惑は掛けねぇ」
「ふ〜ん……」金髪野郎は意味深に眉を聳やかすと、石段の上から身軽に飛び降りてこっちに歩いてきた。まともに目を合わせることが出来なくて、俺は俯くしかない。
 見付かっちまったんだから、諦めるしかないのはわかっていた。口先三寸で言いくるめられる相手じゃない。コイツは王子さんの味方なんだから、俺を城内に連れ戻しはしても、見逃してくれるだなんてことはあり得ない。
 だから、コイツの口から出た言葉に、俺は自分の耳を疑った。
「仕方ないな〜。王子には黙っておいてあげるよ。ロイ君だって偶には息抜きが必要だろうしね」
「旦那!!いいんですかい!!?」
 思わず大声を上げかけるログをしぃっと黙らせると、カイルはまるで悪戯を思い付いたガキのような笑顔で、片目を瞑ってみせた。
「ただし、俺も一緒に行く。これ、交換条件ね」
 げっ!!?
「街に出るのにこの格好じゃ流石に目立つな。着替えを取って来るから、ちょっと待っててね。ああログ、俺がいない間にロイ君が逃げたりしないよう、しっかり見張っててくれる?」
「へいっ!!合点承知!!」
「だっ、誰が逃げるかよっ!!つか、勝手に決めるな!!」
 俺の必死の反論など気に留めた風もなく、キザなカイル野郎はひらひらと手を振って、大股に城内へと戻っていく。
「良かったじゃねーかロイ。カイルの旦那が一緒なら、文句を言う奴もいねーしよ」
 他人事だと思ってお気軽に言ってくれんじゃねーよ、おっさん……。
 ボヤいてみたところで、この状況じゃ最早どーしよーもねえけど…まあ、同じ付いて来られるにしても、今回は『護衛』じゃなくて『共犯者』ってことになる訳だし。もしバレたにしても、責任の半分を押し付けることの出来る奴が現れたと思えばいい。
 どんな形ででもいい…『王子の影』じゃない、俺が俺自身として過ごせる時間と場所が欲しかった。
 息の詰まりそうな現実から解放されたい―――ほんの少しの間しか許されなくても。
 半ば祈るような気持ちで見上げた空は、雲ひとつなく晴れ渡っていた。




 レルカーに来たのは初めてだった。
 河のど真ん中に、でん、と横たわった三つの中州を、橋で繋いでひとつの街としたもんらしい。地の利を活かして発展した商業都市らしく、大きな荷物を一杯に乗せた艀がそこかしこに浮かんでいる。勿論地面の上にも色とりどりの看板を掲げたたくさんの店が軒を並べていて、大して広くもない通りは大勢の買い物客でごった返していた。
 レインウォールもそれなりにデカい街だが、あちらがつんと取り澄ましたお貴族様の街といった雰囲気なのに対して、レルカーはもっと雑多な、庶民的な匂いのする場所だ。焼きたてのパンだの菓子だのの香ばしい匂いや、干した肉や魚の匂い。客引きの声に見世物小屋の呼子、お客の賑やかな話し声に笑い声。幾つもの音と匂いが混ざり合って蠢いているその様は、まるで巨大な生き物の胃袋を覗き込んでるみてぇだ。
 解放軍のお膝元のラフトフリートやロードレイクにゃ、王子さんの顔(つまりは俺の顔だ)を知ってる連中が多くてリラックス出来ねぇだろうからってことで、わざわざ城から離れたこの街まで足を伸ばした訳だが、こりゃ確かに正解だな。この人混みじゃ、うっかり見覚えのある顔と擦れ違ったって、そのまま気付かず通り過ぎちまう可能性のほうが高そうだもんな。
「ね。ちっとばかし五月蝿いけど、なかなかいいトコでしょ?」
 雑踏を巧みにすり抜けながら、カイルは俺にニコニコと話しかけてくる。いつもの金ぴかド派手な騎士装束じゃなく、簡素な町人服を着た奴さんは、どっからどう見てもただの遊び好きの優男にしか見えない。何でもここはコイツの出身地だとかで。なるほど、確かにお祭り騒ぎの大好きな、不良騎士サマにぴったりの街だぜ。
「革製品を扱ってる店なら、この通りの先にお勧めのところがあるよ。はぐれちゃうといけないから、手を繋いで歩こーか?」
「気色わりーこと言うな!!」
「えー。折角のデートなのに、つれないなぁ」
 ……何が悲しゅーて男なんぞとデートせにゃならんのだ……。
 とまあ、げんなり気分も多少はあったが、こんな賑やかなところに来たのは初めてで、俺は内心浮き立っていた。大小さまざまな種類の刀剣や繊細な硝子の細工物、見たこともない魚や果物、変わった香りのする茶葉や面白い形の酒瓶…店の軒先にずらりと並べられた品物は、どれもこれも珍しくて目移りする。
 アクセサリーを売ってる店の前を通りかかったときに、ふと、蝶の形をした宝石細工の髪飾りが目に入った。一瞬、リオンに似合いそうだな、と思い……すぐさま俺ははっとして、その考えを頭から追い払った。いかんいかん、今日は城の連中のことは忘れるって決めたんだ。喩えリオンであっても例外じゃないからな…今日だけは。
「何?リオンちゃんにお土産買うの?」
「うっせーな!余計なこと言うんじゃねーよ!!」
 時折、鬱陶しい茶々を入れてはくるものの、コイツの案内は実際役に立った。それに…認めるのは癪だが、道々コイツが口にする話は実に多彩で面白くて、俺を飽きさせることがなかった。意地を張って興味ねぇって顔で知らんぷりして歩いてたんだけど、耳はついついコイツの声を追いかけちまう。あの厳しい顔したヴォリガのおっさん(俺は知らなかったんだが、あのおっさんはこのレルカーの顔役のひとりらしい)が、女房と喧嘩してパンツ一丁で家をおん出されたってエピソードを聞かされたときには、俺は思わず声を上げて笑っちまって、慌てて口を押さえた。不覚。
 悔しいが、いつの間にかすっかりコイツのペースに乗せられてる。そして、それがけして嫌な気分ではないことに、俺は少し戸惑いを覚えていた。
「ほら、ここだよ。俺のお勧め。ね、なかなかいいトコでしょ?」
 カイルが俺を連れてきた店は、さほど大きくはなかったが、お勧めだというだけあっていい品を取り扱っていた。背嚢、下げ鞄、煙草入れ、財布…大きさも形も様々に取り揃えられたそれらは、どれも丁寧に鞣した上質の革で出来ていた。
「じゃ、早速お目当てのものがないか探そうか。長く使っていくことを考えたら、それなりの大きさのものが良いよね」
「勝手に決めんなよ」
「ひとりよりもふたりで探したほうが、絶対良いものが見付かるよ。あ、ほらほら。これなんかどうだい?」
 ひょい、とカイルが取り上げたのは、表面を艶々とした赤茶色に塗られた矩形の背嚢だった。あまり大ぶりじゃないが襠が大きめに取られてあるし、ポケットも何箇所かついてて、見た目よりはたくさん物が入りそうだ。縫製も丁寧でしっかりしている。手に取ってみると、思いのほか軽かった。これなら長時間背負ってても、肩にはあまり負担が掛からないだろう。
「………悪くない」
 精一杯の負け惜しみで、ぶっきらぼうに言い放ったのに、カイルは如何にも嬉しそうににっと笑った。
「でしょ?この赤茶色が、ロイ君の髪の色によく似合うと思ったんだよねー」
「なっ………!?」
 止める間もない。カイルがにこにこの笑顔で店の親父に背嚢を差し出すのを、俺は唖然とした顔で見守るしかなかった。ぼけっとしてるうちに支払いまで済まされてしまい、綺麗に整えられた紙包みを、はい、と手渡されて、俺は漸く我に返った。
「い、幾らだ?」
 慌てて財布を出そうと道具袋を弄る俺の頭の上に、大きな手がポン、と乗せられる。
「お代はいいよ。これは俺からのプレゼント♪」
「ちょ……!!野郎にプレゼントされる謂れはねぇっ!!」
「んー。ロイ君いつも頑張ってるからね。ご褒美。素直に貰っときなさい。子供ってのは、もっと大人に甘えるものだよ?」
「ガキ扱いしてんじゃねーよ……」
 真っ直ぐに俺の顔を覗き込んでくる蒼い瞳から、居た堪れなくなって俺は目を逸らす。思わず胸元に抱きかかえた包みからは、真新しい革の匂いがした。

 
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