ア・カペラ















「―――君、どうしてそう爺むさいんだ?」
不思議そうにちょこんと首を傾げて見つめてくるのは、自分より肩ひとつ分小柄な少年。
父親譲りの漆黒の大きな眸が、今にも泣き出しそうに思えるほどに潤んで澄みきっている。美しい、としか言いようがない。時に緋色を帯びて見えることがあるが、そういう時は殊更に美しく見える。
戸外を走り回ってばかりいるのに、どうしてこう肌が白いのか。
特に手入れをしている風でもないのに、どうしてこう艶やかな髪をしているのか。
断言できるが、うんざりするほどに長いこと生きてきて、老若男女全てに選択肢を広げてなお、こいつ以上に綺麗な人間にお目にかかったことがない。
はあ、とテッドは溜息をついた。
溜息をついた自分を、ハリウはまた邪気のない眸で見上げてくる。
「そら、また溜息をつく。小間物屋のフォス爺だって、それはもう酷くリューマチを病んでいて気の毒な風だけど、君ほどにふうふう溜息はつかないぞ」
人差し指を立てて(またその指のほっそりと長く白いことときたら!)笑う彼に、いったい何をどう言ったものだろう。
 爺むさい、というのはある意味的確な表現だった。老成した生意気な子供は幾らもいる、だが自分に向けられるのは可愛げがない、ではなく爺むさい、だ。自分の抱えた年月が見え隠れしているせいだろう。隠し切れていない、即ち油断だ。
「……幸せを逃すって言われたことはある」
「ああ、それは正しい。テッドはもう少し、しゃんとしていた方がいい」
「………」
訳知り顔で納得して頷かれても。
大体お前、俺がどうしてここにいるか、何を待ってるかなんて知ったら、そんな呑気なこと言ってられやしないだろう。
黙ったままで歩調を速めたテッドに合わせ、ハリウもすぐに足を速めてまた横に並んだ。
「正しいことを指摘されて怒るのは、度量が狭い。目下の者からの言葉であれ、真摯に耳を傾けて自分に照らし、謙虚に受け止めるべきだ」
「お前、それ意味判って言ってるか?」
む、と桜色の唇が尖った。
「当たり前だ。聞きかじりの意味も判らない言葉を、僕が口にすると思うのか。学舎で学べと押しつけられる事柄は多いけれど、本当に学ぶべき事柄は、実はそんなに多くない」
これは覚えるべき人生の至言のひとつだ、と胸を張った相手に、テッドは短く笑って返した。
「授業じゃないだろ、その出典は」
帝国の大将軍であり、典型的な武人を絵に描いたようなハリウの父。いかにもあの人の言いそうなことだ。
「それは……そうだが、でも正しい言葉だ。テッドはとても損をしている」
一瞬詰まったものの頑固に繰り返し、全く譲る気のない顔が見上げてくる。
つい笑いそうになる口許を、テッドは意識して引き締めた。
「今日のことは、一方的に彼らが悪い―――下らないことを言う彼らの方が本当は情けないんだが、僕にだって判る。テッドはわざと手を抜いている。語学も、歴史も数学も紋章学も剣術も槍術も杖術も、何もかも全部。君がいい加減にしているから、彼らの僻みも妬みも酷くなるんだ」
「………」
「どうして本気を出さないんだ。僕達は、君の本気に値しないのか」
「―――お前曰くの『しゃんと』やったところで、連中が論(あげつら)ってたのは俺の出自だ、関係ないと思うがな?」
「君に、本気になってほしいからだ」
「リウ」
不意にぴたりと足を止めたテッドは、僅かに行き過ぎて慌てて振り返ったハリウの顔を見つめ、深く深く溜息を落とした。
「それはお前の腹ン中だろ。連中をいたいけな生き物にするなよ、ホラーだろ」
あの貴族根性と選民思想と上流志向と僻みと妬み嫉みのミックスブレンド濃縮チルドレンが、まさかそんな。本気で意識が遠くなる。
爪の先ほども考えてほしくない、そんな可愛らしいことは。
むう、と考える顔で親指の爪を噛んだハリウは、ややあって不承不承頷いた。
「……確かにそうだ、僕は自分が言いたいことを言うのに彼らを利用した」
卑怯なふるまいだった、と毅然とした態度で認めるその様子はもう、かの大将軍の血筋の成せるもの以外の何物でもない。ちい将軍、と他の将軍達に可愛がられる理由がよく判る。
きっと彼の父親が小さい頃は、丸きりこんな風だったんだろう。
幸か不幸か、ハリウの容姿は髪と眸の色を除いて母親似だそうだ。本人は父のように立派な体躯でないことを密かに気にしているようだが、あの体躯にこの可憐な貌が乗っているのもまたホラーでしかない。
「ま、お前が連中を負かしてくれてスッとした」
「ああまで侮辱されて、喧嘩を買わずにおいたら男じゃない」
「はは、女だったらお前に告白モノの台詞だな」
「……判りにくかったかな、今僕は嫌味を言ったつもりだったんだが」
剣呑に見つめてくる眸を涼しく笑い、テッドはまた歩き出した。
「あいつらの親父、貴族議会のメンバーじゃないか。揉め事を起こしてテオ様に迷惑をかけるのは御免だ」
「そんなこと!父上が気にするわけがない、大体自分の卑小を父親に告げ口する子供も、子供同士の喧嘩に口を出す父親も馬鹿げている」
「………」
真っ直ぐで綺麗なハリウ。
あれだけ俺の巻き添えで口汚く罵られてなお、相手の汚濁を理解できない魂。
人の心の闇がどれほどお前に痛手を齎すか、きっと幾ら説明してもお前は理解しないだろう。
気が滅入りそうになるのを、テッドは何とか堪えようと努力する。
傍にいるのは間違いだ、今ならまだ間に合うと、ただでさえもう一人の自分は、ずっと旅立ちを急いて背を押し続けている。
「なあ、もし」
「ちい〜!何だ、今アカデメイア帰りか?」
不意に背後から響き渡った声は、う、と息を詰める暇もなく横抱きにハリウを攫った。
「……シューレン将軍……」
事態の掌握と同時に浮かんだ生ぬるい笑みが、テッドの良心を押し流す。
「―――ッ、やめてくださいキラウェア様、僕はもう子供じゃないって何度言えば」
「その大きなお目目と眉間の皺を愛してやまないぞちいv本当にお前はどんどんミサカに似てくるなー、可愛い可愛いvvv」
「母上と一緒にしないでください!!」
「ははは、一緒も何も、そうやって食ってかかってくる時の顔まで似ているぞ」
大らかに笑って頭をくしゃくしゃと撫でる手から逃れようとハリウは必死にもがいているが、それは成功した例しがない。
「〜〜〜っ」
「ほらどうした、頑張れ頑張れ」
「〜〜〜〜〜〜ッ」
「お、テッドか。相変わらず将来有望な面構えだ♪」
「ご無沙汰しています、シューレン将軍」
「しかし相変わらず爺むさいなぁお前。少しは年相応に悪ガキっぷりを満喫しとかないと、大人になったらストレスの逃がし場がないぞ?」
「十分満喫していますのでご心配なく」
抑え込みながらも片手を上げてみせる余裕を示すキラウェアに、テッドもにこやかに一礼して答えた。抑え込まれている親友の苦境は見て見ぬふりだ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッツ!!」
一頻り抵抗が続いた結果、遂に頭巾がとれて落ち、髪紐まで解けて漆黒の髪が陽に舞うに至って、やっとキラウェアは羽交い絞めにしていた身体を解放した。
ぜいぜいと荒い息を吐きながら、涙目で気丈に睨みつけてくるハリウの頭をもうひとつ撫でて、彼女はにっこりと微笑んでみせる。
「修練が足りんな、もう少し組み手の時間を増やした方がいいぞ」
「〜〜〜何のご用ですか、父に何か伝言でも!?」
「いや、遠征から帰ってきたところだ。あの仏頂面を拝む前にお前を愛でられたのはラッキーだったな。……ああ、そうしていると本当にミサカの面影がある」
懐かしそうに目を細められ、ハリウはぐっと唇を噛んだ。真っ直ぐな髪が背の半ばまで零れている様は、確かにどう見ても少女じみている。これで金の髪にアプリコットの眸だったというから、こいつの母なる人は天使か妖精かという風情だったに違いない。
「ま、陛下に報告が終わったら家に寄せてもらうよ。ソニアも久しぶりにお前に会いたいだろうし」
「多分僕の顔より、母上のお顔を水入らずで見ている方が嬉しいだろうと思いますよ」
「ぶっちゃけうちのコックより、お前のとこのグレミオのシチューの方が美味いしな」
そんな理由、と悲壮感を顕わにしたハリウに、女将軍はきららかに笑った。
「冗談だ。まあその内うちに遊びに来い、遠征の土産話を聞かせてやろう」
「………はい、では近々伺います」
息を詰めた後、渋々といった顔で返したハリウが、父からはなかなか聞かせてもらえない戦場の話に目がないことを、二人はよく知っている。その気乗りのしない顔は、残念ながら必死に作った感が否めない。多分明日明後日の内には彼女の屋敷を訪なうことになるだろう、とテッドは内心苦笑した。
ではな、と来た時と同じく風のように去って行った彼女を見送ってから、テッドは耐え切れなくなって笑い始めた。
「……どうもお前、あの人に弱いな」
「キラウェア様がめちゃくちゃなだけだ」
「俺は好きだけどな」
「それはどうもお生憎だ、爺むさいと言われては望みがない」
あの状況で聞き分けていたかと、少し感心してしまう。
むくれた顔でずんずんと歩いていくハリウの背を、今度は小走りにテッドが追った。横に並んだ自分をちらりと相手が見たことを確認して、テッドは気楽な調子で話しかけた。
「遠征か、どこまで行ってきたんだろうな」
「水軍の長でも、必要がない限りあの方は騎馬も駆る。最近水軍が動いたという話は聞いてないし、多分、ハイランド辺りじゃないかな」
機嫌を直した風でハリウも素直に返す。
「あそこ隣国とキナ臭いって言うじゃないか。下手に関わらない方がいいだろうに」
「陛下と将軍達の考えだ、大丈夫だろう……にしても、本当に爺むさい。君の平和主義はよく判っているが、変に取られないよう気をつけろ。殊に軍属に進むなら」
「別に誰にどう取られようが構わないさ、それに俺は平和主義ってよりただの過保護だ」
「……テッド、僕は心配しているんだ」
「俺もお前を心配してる」
機嫌を直した顔がみるみる不機嫌になっていくのを、テッドは真顔で見つめていた。
「僕は軍人になる。それも父上の名に恥じない、立派な」
「向いてない」
「君も僕を侮辱するのか!僕は絶対にこの国を守る力になってみせる!」
「―――お前の棍の腕は一級だ。魔法はもっといい。俺がこれまで会った純正の魔法使いに比べても、お前の才能は遜色ない。血筋はいい、気立てもよくて何より真面目だ、人にも好かれる。次代の将軍になるのに何の問題もない」
不意に並べ立てられた美辞麗句に、ハリウはあからさまに当惑した。意図を図りかねる視線を向けられ、テッドは軽く笑って肩を竦めた。
「お前の基本性能をどうこう言ってるんじゃない、俺は過保護なんだって言ったろ」
 本当は。
決してハリウは認めないだろうが、歴史の授業の時間に見せるきらきらした眸、殊に熱心な姿勢をテッドはよく知っている。キラウェアの話にしても、世間の子供のように何人兵を斬った、何人殺したのと血生臭い話に嬉々とするのではなく、行った土地はどんなだったか、どういう戦術を使ったのか、どういう利害で国が衝突したのかとそんな話を聞きたがる。史家の目をしているのだ。
「……僕は軍人になる」
頑なに繰り返す彼に、テッドは苦く笑った。
「ああ、そうなりゃそうなったで、お前は上手くやってけると知ってるよ」
それはもう間違いなく。
そして国という巨大な沼に呑み込まれ、自身に纏わりつく汚泥を目の当たりにして酷く傷つくだろう。
「そう、だから……僕の、傍に」
ぼそ、と呟かれたそれは、ハリウにとって精一杯の告白にも似たものだろう。
テッドは軽い酩酊すら覚える。
視線を向けない先で、彼は唇を噛み、頬を染めて俯いているだろう。




 俺が死神だ、と言ったら。




お前の手に、全てを狩り取らせる鎌を委ねる者だと言えたら。
そうしたら、お前は少しは俺を憎んでくれるだろうか。警戒してくれるだろうか、遠ざけてくれるだろうか。
「君みたいな爺むさい偏屈者、ずっと一緒にいたいなんて思うのは僕くらいだぞ」
驚いて横を向くと、頭の中で可憐に頬を染めて俯いていた筈の少年は、毅然とした顔で真っ直ぐに自分の顔を見上げていた。
「だから諦めて決めてしまえ」
きっぱりと言い放つその貌。胸が締めつけられる痛みというものを、何百年も生きた自分に初めて教えたその愛おしさ。
「―――とっくに諦めてるつもりだよ、俺は」
その言葉をどうとったか、ハリウはそれこそ花が咲くように、それでいてどんな花も色褪せるほどに艶やかに笑った。
よし、とひとつ頷いて歩き出したハリウと、今度は並んで歩いていく。




 許さなくていいから。




いつかお前を絶望の底に叩き込むと知ってなお、お前の傍にいたい。
歩いて歩いて辿り着いた場所でお前が待っていてくれたことがどんなに嬉しかったか、いつかお前に伝わることがあるだろうか。




 ―――っ、足が、速いの……昔っからなんだな。
自分を追って走る少年が真っ赤な顔で息を切らして笑った時。
 一緒に帰ろう。
 大丈夫、今度こそ君を護る。絶対、だから帰ろう。
何もかもを炎の中になくした俺の手を取った、彼の手の震えと力を感じた時。




あの時、自分の中で何かが変わった。
あれはお前にとって何年先のことになるんだろう。
呪いをその手に刻んでなお、その原因を作った相手を前にしてなお、帰ろう、と言ってくれたお前の心を想う。
 ごめんな。ずっと一緒にいてやれなくてごめん。
 傍を離れられなくてごめん。




紋章を受け継いだことより、何もかもを奪っていった魔女への憎悪より、そんなものより何より、俺を変えたのはお前だった。









 ほどなくあれほど壮健だったキラウェアの病死が伝えられ、それが真実であるかどうかもあやふやなまま闇に葬られてから。
涙に濡れた頬を乱暴に擦り、うら若い一人娘が統領の座を引き継いでから。
それからのことだ、テッドが年相応の生意気で無鉄砲な子供の振る舞いを見せ始めたのは。












2009.8.27『ア・カペラ』
SING BY YUDU AKISHIMA















〜〜〜〜〜メッチャ可愛い嫁が来ましたよ嫁が!!
誕生日プレゼントに、秋嶋さん宅の坊ちゃんハリウ君とテッドのお話をリクしたら、
こ〜んな可愛いお話が手元に届きました!!テド坊!!
というか、ホントにけしからんですなリウ君のこの可愛さは。こんなの見せられたら、
テッドじゃなくたって傍を離れられなくなりますよ…!!
ふたりのほのぼのな遣り取りが拝めて幸せですvv
ありがとうございました秋嶋さん、大好きだvvvv





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