Dear friend













 喩え、同じものを同じように識ることは出来なくても。






 紆余曲折、とは恐らく、自分の人生のようなもののことを言うのだろう。ケネスはそう思っていた。
 船乗りを生業とするものの多いラズリルにおいて、海難遺児は深刻な問題のひとつとなっている。保護施設は無論存在したが慢性的な資金不足により、衛生面や食事等の環境はけして良いとは言い難く、病や栄養失調によって命を落とす子供は少なくなかった。それでも居場所を与えられただけ、彼らはまだマシなほうかもしれない。様々な事情により施設に入ることすら出来ず、捨てられた犬のように路傍で震えるしかない子供も、ここには確実に存在するのだから。
 ひとりで生きていくことを余儀なくされたのは十一の時だった。母が流行り病で亡くなって後、ずっと男手ひとつで自分を育ててくれた父が、海難事故で帰らぬ人となった。他に身寄りはなく、施設からは「空きがない」のひと言で門前払いされた。裏通りの廃屋の軒下に蹲って、寒さと空腹に耐えた。日雇いの仕事で小銭を稼ぎ、酒場の残飯を漁って食い繋いだ。
 そんな日々が、もう三年近く繰り返されている。
 どん底としか表現の仕様のない生活も、それしか続かないのであれば慣れるしかない。楽になったとは言えないまでもそれなりに要領は覚え、誰に頼らずとも何とか生きていけるだろうと思えるまでになっていた。
 だが、それでもどうしたって食料が手に入らない日はある。そんな時は盗みも働いた。気の進むことではなかったが、生きる為には致し方ないと割り切っていた。綺麗事では腹は膨れないのだ。
 この日ケネスが目を付けたのは、市に買い物に来ていたふたり連れだった。ひとりはひょろりと背が高く、頼りない印象の中年の男性で、もうひとりは自分よりも少し年下だろうと思われる栗色の髪の少年だった。一見親子のようだが、顔立ちは全く似ていない。男のこざっぱりした身形に対して、少年の身に着けている衣服は少々草臥れかかっている。更に可笑しなことに、手に抱えた荷物の量は少年のほうが男のそれよりも遥かに多い。何ともちぐはぐなふたり組だった。
 ケネスはそっとふたりの後をつけ、周囲に人が少なくなったのを見計らって行動を開始した。後ろから男に近付き、急いでいる風を装って追い越しざまに体当たりをかける。ぶつかった衝撃に男性が気を取られている隙に、素早くポケットから財布を抜き取り、自分の懐へと捻じ込んだ。上手くいったと内心ほくそ笑んで、そのまま歩調を緩めず立ち去ろうとした時に、手首を強く掴まれた。
「待って」
 驚いて振り返れば、男の連れの少年が大きな瞳でじっとこちらを見詰めていた。心まで覗き込まれそうな澄んだ碧にドキリとして、ケネスは思わず上擦った声を上げた。
「な…何だよ?」
「それは僕たちのものじゃなくて、お館様から預かったお金なんだ。だから、返して欲しい」
 咎めるというよりは諭すように、少年は言った。あどけなさの残る面立ちとは裏腹に、その口調は酷く大人びている。咄嗟に手を振り切って逃れようかとも思ったが、身体は意志に反して全く動いてはくれなかった。
 傍らの男は暫くポカンとした表情で遣り取りを見守っていたが、ここへ来て漸く事態を飲み込んだようだった。慌てふためいた様子でズボンのポケットを弄り、財布がなくなっていることに気付くと、「こいつ…スリか!」焦りと怒りが綯い交ぜになった視線でケネスを睨み付けた。
 観念したと気配で伝えて手を放させ、ケネスは懐から財布を取り出すと、少年に手渡した。
「ありがとう」
 少年のほっと息を吐くような声に被さるようにして、男の怒声が響き渡った。
「おまえ…!騎士団に突き出してやる!こっちへ来い!」
「ニコルさん、待って」
 ケネスの襟首を掴もうとした男を、少年が遮った。
「カルマ、邪魔するな!」
「乱暴はやめて下さい。財布は無事に戻ってきたんだから、それでいいじゃないですか」
 男は尚も不満げな表情を崩さなかったが、不承不承引き下がった。男に向かって、ありがとうございます、と頭を下げてから、少年は自分のポケットを探った。
「これは、お館様のじゃなくて僕のお金だから。良かったら」
 ケネスは今度こそ言葉を失った。少年はケネスの手を取ると、銅貨を二枚そっと握らせたのだ。額は僅か20ポッチだったが、大切に仕舞われていたことを示すかのように、それは少年の体温を残してほんのりと温かかった。
「カルマ!おまえ、何でこんなヤツにそこまでしてやるんだ!」
 連れの男が再びがなり立てたが、少年は意に介さなかった。
「ひとつ向こうの通りにあるパン屋さん、あそこの干し葡萄のパンはとっても美味しいから。是非行って食べてみて」
 そう言って微かに―――はにかむように向けられた笑みを目にした途端、居た堪れなさと悔しさと気恥ずかしさと…様々な感情の波が一気に胸に押し寄せてきて、ケネスは銅貨を強引に少年に付き返した。
「誰がいるか。ガキから施しを受けるほど落ちぶれちゃいない」
「…貴様!いい加減にしろ!」
「やめて下さい、ニコルさん!」
 再びケネスに掴みかかろうとした男を少年が必死に押さえている隙に、ケネスはその場から駆け去った。
 後ろも見ずに全力で走って表通りから裏通りに逃げ込み、追いかけてくる気配がないことを確かめて、大きく安堵の息を吐く。
(誰なんだ、あいつは…)
 粗末ではあったが綺麗に洗われた服を身に着けていたことから考えて、少なくとも自分と同じ境遇の孤児ではないのだろう。だが、あのやけに大人びた目も、連れの男性に対する態度も、とても両親のいる家庭で普通に育った少年のそれとは思えなかった。
(そう言えば…お館様、とか言ってたっけ)
 先ほどの会話の片鱗をぼんやりと辿っていると、背後から唐突に声が掛かった。
「ケネス」
 廃屋の壁に凭れてにやついた笑みを浮かべていたのは、浮浪児仲間のルーイだった。窃盗の常習犯として悪名を馳せている少年だが、ケネスにとっては同じ境遇を分かち合う貴重な友人だ。
「見てたぜ、ざまあねぇな」
 ひゅっと、ルーイは尻上がりの口笛を吹いた。
「何びびってんだよ。伯爵家のボンボンの腰巾着相手にさ。あんな奴簡単に振り切れただろ?盗ったモン馬鹿正直に返したりしねぇで、さっさとズラかりゃ良かったんだよ」
「腰巾着って…あいつは伯爵家の人間なのか?」
「何だよ、おまえ知らなかったの?俺たちと同じ親なし子のクセに、ちゃっかり伯爵家に居座ってる生意気なガキだよ。全く、人畜無害そうな顔しといて、上手いことやったもんだぜ。あそこに潜り込めりゃあ、将来は安泰だもんな。ボンボンのご機嫌取りして楽な生活を手に入れようだなんて、ふざけた野郎だよ」
 ルーイは忌々しげに道端に唾を吐き捨てた。
 先ほどの遣り取りを思い出し、ケネスは右の掌を見詰めた。ふんわりと温もりを宿した銅貨の感触は、まだそこに鮮明に残っている。そして、それを手渡したときの少年の瞳―――まるで晴れた日の空を映した海のような碧。
 だが。
『伯爵家の人間』。
 そんな高みにいる奴が、掃き溜めの浮浪児に手を差し伸べる理由なんて決まっている。
(―――馬鹿にして)
 同じ孤児でも現在の境遇には天と地ほどの開きがある。優越を誇れるのは、さぞ心地良いことだろう。
 はにかむように笑んでいた、穏やかな顔を思い出す。
 それならいっそ、同情や憐憫を露わにした眼差しを向けられたほうが、まだ良かった。そうすれば何の躊躇いもなく、殴り飛ばしてやることが出来たのに。
 受けた屈辱を思い返せば、怒りは自然に溢れるはずだった…が、浮かんでくるのは全く別の感情だった。それが許せず、ケネスは殊更意識して眦を吊り上げ、不機嫌そうな表情を作った。
 自分は怒っているのだと、自分自身に言い聞かせる為に。
 そうでもしないと―――忘れられなくなりそうで。
「ありがとう―――」と、息を吐くように微笑ったあの顔、あの声。
 振り切るようにくるりと踵を返し、肩を怒らせ、ケネスは大股に歩き出した。「おい、待てよケネス!」ルーイの呼ぶ声が背後から聞こえたが、振り返らなかった。
 そうでもしないと―――認めてしまいそうで。
 きっと忘れられやしないだろう……そう確信している自分が、自分の中に確かに存在していることを。
 



 夜半から降り出した雨は、翌日の昼になっても止む気配がなかった。
 誰かが置き忘れた傘を雑貨屋の店先から拝借して、ケネスは裏通りを歩いていた。角を曲がったところで、見覚えのある人影に気付いて足を止める。
「あいつは…」
 今にも崩れ落ちそうな庇の下、辛うじて雨の掛からない場所に、あの少年が蹲っていた。傘も持たずに来たのだろう、髪も衣服も雨にしとどに濡れている。彼の足元には小さな猫がちょこんと座っており、彼が差し出したものを熱心に頬張っていた。
 伯爵家令息の腰巾着―――先日のルーイの言葉を思い出し、ケネスは軽く唇を噛んだ。
(野良猫に食べ物をやる余裕があるのか。いい身分だな)
 視線を引き剥がして歩き去ろうとした時、ぐぅと腹の鳴る音が響いて、ケネスは形の良い眉を顰めた。今のは自分の腹ではない。
 呆れ顔で傍らに歩み寄って来たケネスに、少年は驚いた様子もなく、「また会ったね」と顔を上げた。
 よく見れば、猫には片方の後ろ足が無かった。多くの野良猫が住み着き、生存競争の激しいラズリルの裏通りで、よくも今まで生きて来れたものだ。この少年に出会わなければとっくに息絶えていたことだろう。だが、与えてくれる手の優しさを知ってしまった猫は、恐らくこの先ひとりで生きるに足りる糧を得ることは出来まい。
「………何やってんだ」
「見ればわかると思うけど」
「自分の食事を抜いてまで?」
「全部じゃないよ。少しは食べた」
「腹のほうは不足を訴えているようだが?」
「この子は二日前から空腹に耐えてたよ」
  少年の手が、猫の頭を撫でた。みぃ、と弱々しい声で鳴いて、猫は少年の手に汚れた身体を擦り寄せる。
「……毎日来てるのか?」
「ううん。本当は毎日来れたらいいんだけど…仕事の都合でどうしても無理なときもあるから」
「飼えないのなら、中途半端な情けを掛けるべきじゃない。足が無いんじゃどの道先は見えている。下手に餌を与えたところで、苦しみを長引かせるだけだぞ」
「……わかってる」
 急に声を落とし、少年は口許に小さく自嘲めいた笑みを浮かべた。猫の前に置かれた皿はとっくに空になっていたが、少年はその場から動こうとせず、猫のやせ細った身体を擦り続けた。
「―――どうしたらいいんだろうね。僕のやってることは確かに偽善だ。一時的にこの子の苦しみを取り除いてやることは出来ても、根本的な救済にはほど遠い。でも、不自由な身体に生まれたというだけの理由で、住処を追われ、飢えて死んでいくしかない命を、仕方のないことだからと放っておくことが正しいことだと……僕は思いたくない」
 思わない、ではなく、思いたくない、という言葉に、彼の微妙な心理が透けて見えた。
 恐らく、彼自身もこれまで散々自問を繰り返し、結論が出せぬまま――それでもやはり、放っておくことは出来なかったのだろう。
「優しいな」
 ケネスは呟いた。それは嫌味ではなく、自然に口をついて出た言葉だった。
「そんなんじゃない…。君も言ったように、本当は無理に命を引き伸ばすような真似をしないで早く逝かせてあげたほうが、この子の為にはいいのかもしれない。何が正しくて何が間違っているのか、僕には答えが出せない。僕に出来ることは限られているし、どんな結論を出したところで、それがただの独善でしかないのはわかってる。誰も傷付かず、誰もが幸せになれる方法なんて、存在する筈ないのだから」
(なんだ)
 少年に対して抱いていた憤り――否、憤りを抱いているのだと思い込もうとしていたことが馬鹿らしく思えて、ケネスは僅かに表情を和らげた。
(意外に、面倒くさい奴だったんだな)
 おまえも俺も……とは声に出さずに呟いて、ケネスは腰の革袋を弄った。昨日、靴磨きの仕事をしたときに、客のひとりが代金と一緒にくれた菓子が入ったままになっている。綺麗な紙に包まれたそれを差し出すと、少年はその瞳に初めて驚きに近い感情を揺らめかせ――ややして、首を横に振った。
「焼き菓子は嫌いか?」
「そうじゃない…」
「じゃあ、何故だ」
「君は受け取らなかったよ」
 意趣返しか、と思わず軽い舌打ちが洩れたが、答えた本人にその気はなかったらしい。真っ直ぐケネスを見詰めてくる視線に翳りはなかった。
「…何故、あの時俺に金を渡そうと思った?」
 気恥ずかしさを覆い隠すように淡々と告げた問いに、少年は微かに俯き、自分の思惟を確認するかのように訥々と語りだした。
「わからない―――。いや、理由がないって意味じゃなくて。理屈をつけようとすれば、きっと幾らでも言い様はあるんだろうけど、でも…どんな言葉で言い表そうとしても、あの時感じた気持ちの、そのどれとも違うような気がする。厚意と同情の境界線なんて僕にはわからないし、どちらも、あったともなかったとも言えない。ただ…受け取って貰えたら嬉しいな―――って、そう思ったことだけは間違いないんだけど」
 僅かに小首を傾げる姿に、苦笑が洩れた。
「おまえ、色々難しく考えすぎる性質だって言われたことないか?」
 呆れたような口調で、ケネスは言った。自身を棚上げしての台詞であることは無論顔には出さない。
「………よく言われる……」
 釣られたように少年も肩を竦め、困ったように笑った。
「こいつのこともな」
 少年の足元で安心しきったかのように、のんびりと毛繕いを始めた猫に視線を落とす。
「こいつにとって幸せが何かなんて、見ればわかるだろう?こうしておまえを信頼しきって甘えてくる。それがこいつの答えだ」
「……………」
「あとはおまえが、こいつを裏切りさえしなければ、それでいい」
「――――ありがとう」
 応えて微笑った声はあの時と同じく、凍えた手に吐きかける息のように温かかった。
(そうだ、何も難しく考えることはなかったんだ)
 困っている人がいる。だから手を差し伸べる。たったそれだけのことなのだ。同情も理性も打算も飛び越えて、脊髄反射のみでそれが行われたとして、一体何の不思議があるだろう。
 同情されるのは嫌いだが、それに拘りすぎて疑心暗鬼に陥っていた自分が、今は酷く可笑しかった。
 包み紙を解いて取り出した焼き菓子を半分に割って、片方をケネスは少年に差し出した。やはり素直に受け取ろうとはせず、困惑した表情で菓子とケネスの顔とを代わる代わるに見遣る少年の様子に、彼は人から物を貰うことに慣れていないのだと漸く気付く。腰を下ろし、蹲ったままの少年と視線を合わせ、ケネスは薄く微笑んだ。
「『受け取って貰えたら嬉しい』―――だろう?これも難しく考える必要はない」
「―――?」
「『友達にならないか?』……そう言えばいいんだ」
 碧い瞳を一瞬、零れ落ちそうなほどに大きく見開いてから、少年はおずおずと腕を伸ばした。不器用に割られた半欠けの菓子を手にして、彼は酷く嬉しそうなのに今にも泣き出しそうな―――そんな顔で笑った。






 ルーイが死んだ。
 宵の帳に寝静まった街の片隅で起きた、それは小さな悲劇だった。盗みを働いたところを巡回中の騎士団員に見付かって、追われた男が逃げ込んだ先の路地に、偶々居合わせたのが彼だった。出会いがしらに斬り付けられ、声もなく崩折れた小さな身体を、漸く男の身柄を確保し終えた騎士団員が発見したのは明け方近く。ほの白い月明かりに晒された骸は、既に冷たくなっていた。
 身寄りのないものの葬儀は領主の責務であり、通常は騎士団がその役目を代行することになる。形ばかりではあるは身元の確認も必要な為、館より派遣されてきた数人の騎士が、裏通りの廃屋に残されていた僅かな遺品を全て運び出して行った。悼みも何もなく、ただ事務的な所作で、彼らはひとりの少年が生きていた証を、彼の生きていた場所から跡形もなく奪っていった。
 錆付いた鉄扉に背を預け、力なく座り込んだ体勢のまま、ケネスは既に何度目かすらわからなくなった溜息を吐いた。
 寂れた廃屋は、もう何年も前から住むものなどなかったかのように静まり返っている。最後に声を掛け合い、別れたのは昨日の夕刻のこと。「最近物騒だからな、おまえも気を付けろよ―――」――そう言って手を振った彼の姿が、今は夢のように遠い。
 ルーイは夜釣りに行くのだと言っていた。おまえもどうだと言われたが、共同井戸の補修工事の手伝いを終えたばかりで疲れていたケネスは誘いを断った。あの時俺が一緒に行っていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。後悔は重い。詮無き自問と知りながら、ケネスは立ち上がることも顔を上げることも出来なかった。
 誰がいなくなっても、世界は何も変わらない。街は騒動に沸いたが、数日も経てば忘れ去るだろう。最初から何事もなかったかのように。
 きっと―――俺がいなくなったときも。
 自虐めいた思考を嘲うかのように、唇が酷薄な笑みの形に歪んだとき。パタパタと切羽詰ったような足音が、細い通りに響き渡るのをケネスは聞いた。次第に大きくなるそれは、自分のすぐ傍でピタリと止まった。
「………………カルマ」
 全力で駆けてきたのか、汗で濡れた髪を頬や額に纏わりつかせ、肩ではあはあと息を吐く少年の顔は、酷く青褪めて強張っていた。
「―――昨夜…殺傷事件っ、が、あったって…」
 懸命に呼吸を整えながら、カルマは言った。
「男の子が、ひとり…死んだって、そう聞いて……」
 カルマは事件の報を聞いて、被害に遭った少年がケネスではないかと考えたのだろう。安否を確認し、緊張の緩んだ全身から安堵の気配が滲むのがわかる。
 心配してくれた、その気持ちがケネスには嬉しかった。
「ありがとな………来てくれて……」
 それでも―――俯いたままの顔を上げる気にはなれず。情けないと思いながらも、身体は指一本すら動かすことが出来ず、掠れた声でそう返すのが精一杯だった。
「――――うん…、君が無事で…」
 良かった、と続けなかったのは、恐らく彼の思いやりだろうとケネスは思った。
 良くはないのだ。ここで人が死んだという事実は変わらない。それがケネスではなかったというだけ。ただそれだけのことなのだ。
 カルマは暫くの間押し黙ったまま立ち尽くしていたが、ややしてケネスの隣に膝を抱えて座り込んだ。
 静寂の落ちた路地を、時折乾いた風が寂しげな音を立てて吹き抜けてゆく。見ず知らずの誰かの足音が、こちらを見るでもなく近付いてきては遠ざかる。迷い込んできた羽虫がふらふらとそこいらを飛び回っては、気紛れな風に流されて姿を消す。そんな何でもないようなことが、幾度か繰り返され―――黄昏が落ちかかる頃、ケネスははたと気が付いた。
 隣には相変わらずカルマが、やはり何も言わぬままに蹲っている。
 ………こいつは一体、いつまでここにいるつもりなのだろう?
「―――おまえ、仕事は?」
「急ぎのものは済ませてきたから、いい」
「そろそろ帰らないと、心配されるんじゃないのか?」
「スノウ様なら、お館様と一緒に中央(ガイエン本国)を旅行中だから」
 何でもないことのように、カルマはさらりと答えた。それ以上は何も口にしようとはせず、再び沈黙が落ちる。
「………別に…俺に付き合わなくたって良いんだぞ」
「僕がここにいたいだけだよ」
 カルマは、その穏やかな外見に似合わず、時に驚くほど強情な一面を見せることがある。
「俺なら……大丈夫だから」
「うん、そうだね」
 わかりきったことのように答えて、それでもここを動こうとはしない。ケネスが動かない限りは、梃子でも動くつもりはないと言うように。
 震える口許に、漸く、自嘲でない微笑みが浮かんだ。
「友達―――だったんだ……」
「うん」
「鼻つまみものだなんて言われてたけど…いい奴だったんだ―――」
「うん……」
 隣から返ってくるのは短い相槌だけで、慰めの言葉も、励ましの言葉もなかった。そんなものに意味はないと知っている。どんな言葉を掛けようが、喪われたものが帰ってくることはない。遺されたものはただ喪失の痛みに耐えるしかなく、それは他の人間が肩代わり出来るようなものではないし、安易に触れて良いものでもない。
 なら、傍にいるしかない―――というのが、カルマの出した結論だった。
 無論、喪われたものの代わりになることなど出来ないし、端からそんなつもりもない。けれど…覚えておくことは出来る。カルマは亡くなった少年と面識はなかったが、それでも少年の死を悼むケネスの傍にいることで、彼がこの世界に確かに存在していたのだと覚えておくことは出来る。彼がケネスにとってどれほど大切な存在だったのか、覚えておくことが出来る。その痛みの何分の一かだけでも、心に留め置くことは出来る。
 君の涙も後悔も自責も寂しさも。
 同じものを同じように識ることは出来なくても。
 君がひとりでも立ち上がれる人間だということを僕は知っているけど。それでも。彼を、そして君を覚えている存在は確かにいるのだと伝えることで、それで―――少しでも、君が楽になれるのなら。
 不意に伸ばされた腕にぐいと抱き寄せられ、カルマはケネスの肩に身体を預けるように凭れ掛かった。重いだろうと身体を退けようとすると、ここにいるんだろ?と低い声で囁かれて動けなくなる。
 宵の風に身体は冷え切っていたが、それでも寄り添った肩からは温もりがじんわりと沁みてくる。
 もし―――と、ケネスは思った。
 もし、これから先、こいつがひとりになるようなことがあったら。
 その時は、喩え何があろうと、俺だけはこいつの傍にいよう。
 喪ったものが戻ってくることはない。誰かが誰かの代わりになれる訳でもない。
 それでも、新しく出会うことは出来るから。だから人はまた、前を向いて歩いて行けるのだろう。
(どれほど自分がちっぽけだと知っていても)
 それでも寄り添うことで確かに、人は強くなれるのだ。
「―――あのパン屋の葡萄パンな、俺も気に入った」
 呟くと、ふわりと笑う気配が肩越しに伝わった。
「じゃ明日、朝一で買いに行こう。三人分」
「ああ―――そうだな」
 小さく笑い返し、ケネスは肩に回した手に力を込めた。












 ひとりじゃ寂しいときには、寄り添えるように。
 だからきっと、人はこんなにも温かいのだ。




















ウチの4主にとってはスノウは家族ポジションなので、本当の意味での親友はケネスなのかもしれません。
彼も孤児だったとのことなので、同じ境遇の4主とは騎士団に入る前から仲良しだったら良いな……、
ということで、ふたりの出会いを書いてみました。ケネス14歳、4主12歳くらいの設定で。
ケネス大好きだ!!




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