黎明の祝福












 詳細な経歴は知らずとも、この年頃の子供がひとりで旅してるとみれば、やはり大抵のものは戦災孤児だと思うらしい。
 努めて無愛想に、人との関わりを避けるように過ごしてはいるが、この船に集う星はどうにもお人よしが多い。偶に部屋を出れば、こちらは顔も名前も覚えていない連中ですら、気さくに声を掛けてくる。
「おう坊主!今からメシか?しっかり食えよ。そんな細っこい身体じゃ、旅するのも大変だからな!」
「ずっとひとりでやってくのも、何かと不便だろ?欲しいものがあったら遠慮せずに言えよ」
「明日も戦闘メンバーに入ってるんだよな。頑張れよ!」
 やたら親切な言葉の裏に、同情の念が込められているだろうことは考えるまでもない。親もいないのによくぞひとりで、という訳だ。そういう目で見られてしまうのは仕方ないと理解していたが、何も知らないくせに、と思わずにいられないときも皆無ではなかった。
 食堂に食事を取りに行けば、やはり人の良さそうなまんじゅう屋の女将が、温かな湯気の立つトレイを手渡しながら笑顔で言う。
「今日は良いマグロが入ったからサービスしとくよ。だから、頑張ってね」
 ……頑張る?何を?これ以上どう頑張れと言うのか。
 形ばかりは従順にこっくり頷いてみせるも、胸中はひんやりと冷めていくのがわかる。
 何も知らないから、そんな無責任なことが言えるんだ。
 頑張ったってどうしようもないことが世界には確実に存在するのだと、アンタは思い知らされたことがあるのか。
 俺を縛る鎖は、正しくその絶望でしかないというのに。
 ……渡された食事は温かかったが、どんな味がしたかすら、テッドは覚えていなかった。




 頑張れよ、と高みの甲板から投げかけられた声に向かって、笑顔で片手を振りながら軍主は小舟に乗り込んだ。朝まだき、深く立ち込める霧の中、山塊の島は訪れるものを拒むように峻厳と聳え立っている。踏破するのが困難な地であることは知られていたが、軍主は躊躇う素振りは微塵も見せない。危険も伴うが、それを差し引いても得られる収穫を期待出来る行軍に、昨夜のうちから軍主に様々な激励の言葉が掛けられていたことをテッドは知っている。
 ……それが、今回だけのことではないこともまた。
 舫い綱が解かれ、小舟は島へと向かって漕ぎ出した。舳先に立つ女海賊の長い髪が、向かい風を受けて微かに靡く。朝靄の中にあってもラクジーの船頭は確かだった。岩礁を避け、ゆっくりとではあるが危なげなく進んでいく小舟の床に、テッドは不機嫌な表情のままに蹲った。
「面白くなさそうだね」
 揶揄とも苦笑ともつかぬ曖昧な笑みで、カルマはテッドの隣に腰を下ろした。内心を見透かされたような口調に軽く舌打ちが洩れるが、カルマは特に気にした風もない。軍主の表情は時に自然体に過ぎて、その身に掛かるはずの重圧を全く感じさせなかった。肩が触れ合うほどの距離であっても、彼が酷く遠いところにいるように思えるのは、決まってそんな時だった。何故自分だけがと思わないのか、とは、今でもテッドが彼に切実に訊いてみたいことのひとつである。
「……いい気なもんだ、と思ってさ」
 優しい沈黙に耐え切れなくなるのは、大抵テッドのほうが先だった。
「いい気って……何が?」
 カルマはおっとりした仕草で首を傾げた。
「頑張れ、って言われてただろ、おまえ。あれ聞いてうんざりしないのかってこと」
「何で?」
 返される台詞は、深刻さとは凡そ掛け離れた純粋な疑問符だった。全くわかっていない、という風な表情に、自分にとっては堪らなく神経を逆撫でする拘りが、彼には歯牙の間に置くにも足らぬ事柄であるのだと確信して余計に腹が立つ。
「だってそうだろ?自分がその立場に立ったことがないからこそ吐ける台詞だ。紋章の呪いだけじゃない、この海域の命運まで背負わされて、それなのに頑張れなんてよくも言える。おまえは今でも充分すぎるくらい身体張ってんだろうが。この上に一体何を期待してるんだか。安易に言われるほうの身にもなれってんだ。無責任にもほどがある」
 乗り合わせた他の人間には聞こえぬように小声で、だがそれでも堰を切ったように一息に告げれば、初めてカルマは驚いたように碧い瞳を瞠った。
「…そんな風には、考えたこともなかったな」
 あの船には本当に、それこそ首を傾げたくなるくらいにお人よしばかりが集っているが、その最たる人物は間違いなくコイツだ、とテッドは思う。それとも、魁が彼だからこそ、そういった連中ばかりが星に選ばれるのだろうか。巡り会わせというのは簡単だが、皮肉にしては残酷に過ぎるそれに、テッドは口許を歪めるしかなかった。
 けれど、隣に座った少年は、涼しい顔でにこりと微笑う。
「テッド、僕のこと心配してくれてるんだ」
「………そんなんじゃねーよ……」
 何処までも穏やかな表情で、少年はいつも、自身ではなく傍らの他人に瞳を向ける。
「ありがとう。でもね……僕は『頑張って』って言葉、嫌いにはなれないな」
 静かに語る横顔に気負いのようなものは何も見られないのに、それでも時折テッドには、彼が酷く遠く感じられることがある。
「彼らは別に、僕に何かを期待しているから、頑張って、と口にする訳ではないと思うよ。旨く言えないけど…それはきっと、祈り…みたいなものなんじゃないかな」
「…祈り?」
「そう、祈り」
 弱々しく吹き抜けていく潮風に目を細めてから、カルマは未だ朝靄に閉ざされた天を見上げた。
「相手の不幸や不成功を願って、頑張れって言葉を使う人はいないでしょ?つまりはそういうことだよ。手を抜くなとか、もっと尽力しろとかってことじゃなくて、ただ……満足のいく結果が得られますように、あなたの許に良い風が訪れますようにって…そんな思いを込めてくれてるんじゃないのかな。だからこれは…叱咤激励というよりは、祝福の言葉なんじゃないかって、僕はそう思うんだ」
 靄の隙間を縫って、微かに朝陽が差し込んでくる。
 思考の迷路に囚われた心に、直ぐな光が落ちてくる。
「……随分と前向きな解釈だな」
「いつも前を向いてばかりいられる訳でもないから。せめて人から貰ったものくらいは、好意的に捉えたいと思わない?」
 ―――投げつけられただけかも知れぬものを、そうやってごく当たり前に受け止めて。
 負わされたのではなく、与えられたのだと言い切れる眼差しの強さに、息の止まるような思いがした。
「……本当にお人よしだな、おまえって奴は」
「でも、それで自虐に陥らずに済むのなら、やってみる価値はあると思うよ?」
 助言というには些か自嘲めいた言葉に、初めて苦笑が洩れた。
 水を掻く音が止まる。ぎぃ…という振動と共に、小舟は白い砂浜にゆっくりとその身を横たえた。軽やかな所作で船より降り立つ女海賊の背を見送ってから、カルマは、とん、と弾みをつけて船底から立ち上がった。
「着きましたよ、カルマさん!!頑張って下さいね!!」
「うん。留守を頼んだよ、ラクジー」
 船頭の少年の無邪気な声に、カルマはやはり穏やかな笑みを返し。
「さあ、行こうテッド。頑張ろうね!」
 何でもないことのような、ごく自然な仕草で、蹲ったままのテッドに向かって手を差し出した。




 生まれたばかりの光が、世界を鮮やかな金色に染め上げる。
 闇と静寂に慣れた身に、その輝きは少しばかり鮮烈に過ぎるけれど。
 優しい祈りに背を押されるようにして、瞳を凝らした。
 けして、その導だけは見失わぬように。




 ―――どうか、あなたの許に良い風が訪れますように。




 届かないと諦めるには少しばかり近すぎる距離で。
 暖かな海からの祝福を、テッドはしっかりと握り返した。














リハビリ小話第3弾。
今は「頑張らない」という言葉が結構当たり前のように聞かれるような気がしますが、
私はやっぱり応援するときには「頑張れ」と言いたいし、自分にもそう言って貰いたいと思います。
「頑張れ」=「無理をして生きろ」ではないと思うのですよ…単に解釈の違いだろうとは思うんですけどね。




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