Wise Apple












 船は、日付の変わる少し前に無事に入港を果たした。沖に停泊したときに比べて、港の中は波が少ない分、船の揺れも少ない。そろそろ海上の生活に慣れてきた頃ではあったが、やはり寝台は揺れないほうがいいに決まってる。今夜は久々に落ち着いて眠れそうだと安堵した。
 明日は久し振りの陸だ。船の中の数少ない娯楽に飽きた連中の浮かれた気配が、扉の向こうからこの狭い部屋の中にまで伝わってくる。騒がしいのは御免被るが、祭りの前の高揚感のようなものを含んだ静かなそれは、俺も嫌いじゃない。何となく微笑ましい気分にすらなって、俺は穏やかな気持ちのまま寝台に転がった。
 ミドルポートは交易都市なだけあって、店の数も品揃えも他の島よりも抜きん出ている。そろそろ身の回りの備品にも不足が出始めた頃だし、明日は俺も買い物に行こうと、天井を見上げてぼんやり考えた。揺れない地面を歩くだけでも良い気晴らしになるだろう。微睡みの一歩手前の領域で、明日のちょっとした楽しみに思いを馳せるのは、ささやかながらも中々の贅沢だと思う。
 ―――静かな夜だった。
 だが、こんな夜でも、災厄は来るときは遠慮なくやって来る―――俺の気分や感傷になどお構いなく。
「テッドーーーー♪」
 勢いよくバターンと開かれた扉に、もはや起き上がる気力もなく、こっそりと切なさ混じりの溜息のみ洩らす。ああ、自分の罪深さは充分に認識しているけれど、神サマは俺にこの程度のささやかな贅沢すら許して下さらないのか。
「テッド、折角のミドルポートだし、明日は一緒に買い物に行こう」
 寝台に伏せたままの俺に向かって、カリョウは嬉しそうに誘いの言葉を投げかける。断られるなどとは露ともにも考えていない口調だ。俺が寝入っていて、話を聞いていないかもしれないとは考えないのだろうか…いや、違うな。俺の狸寝入りなんぞ、コイツにはとっくにバレているんだろう。
 無視が通用する相手でもない。諦めて、のそりと寝台の上に起き上がった。
「何だっていちいち俺に誘いを掛けにくるんだ。俺でなくたって、買い物の手伝いくらい喜んで、ってな連中なら、この船に幾らでも乗ってるだろう?」
「狭い部屋に引き篭もりっぱなしの君のことを考えて、わざわざ誘いにきてあげたんだよ。乗員の健康と精神状態に気を配るのも、軍主の大切な務めだからね」
「生憎とその御立派な軍主サマの計らいで、やれ戦闘だやれ交易だと振り回されて、引き篭もる暇なんぞこれっぽっちもねえから。余計な気遣いは無用だ」
「なら、一回くらい誘いの回数が増えたところで、大して変わりないよねぇ」
 ……全く。ああ言えばこう言う。まるっきり子供の我侭だが、折れてやるまでコイツは何時間でも粘り続けるだろう。それこそ御免被りたい。
「……わかったわかった。付き合ってやるから。その代わり、さっさと済ませてすぐに引き上げるからな」
「ふふっ、そう来なくっちゃ♪じゃ、明日の正午に中央広場で待ってるから」
 ……は?
 予想だにしなかった言葉に、思わず目が丸くなる。同じ船に乗ってて、同じ街に買い物に行くってのに、何だってわざわざ船の外で待ち合わせなんぞする必要があるんだ?
「おまえ、何考えてるんだ?そんなまどろっこしいことしなくたって、船から一緒に行きゃいいじゃねえか」
「そう?偶にはこういうのも新鮮でいいじゃない」
「……何が新鮮なんだか、俺にはサッパリわからねぇ…」
「まあ、細かいことは気にしない気にしない。じゃ、そういうことで明日♪必ず来てね。約束だよ」
 ご丁寧に指切りまでしてから、無邪気な笑顔の悪魔はご機嫌な足取りで退出した。アイツの気紛れはいつものことだが、毎度ながらに考えてることはサッパリ読めない。振り回される周りの身にもなってみやがれ、とは思うものの、いつの間にかそのペースに引き摺りこまれてる我が身が情けない。しかもそれが最近では、まんざら嫌でもなくなってきてるような…。
 げっと短い悲鳴を上げて、俺は寝台に潜り込み、毛布を頭から引っ被った。不吉な考えは、とっとと寝て忘れちまうに限る。けれど、気紛れな嵐に引っ掻き回された心に、眠りは中々訪れてはくれなかった。




 寝不足で赤い眼を擦りながらも、翌日俺はミドルポートの中央広場まで出向いた。指定された時刻の数分前には着いたが、カリョウは既にそこにいた。ベンチにふんぞり返って、行き交う人を眺めている。
 俺が来たことを気配で察したのだろう。声を掛けるより先にこちらを振り返って「やあ」と片手を上げてみせる。今日はまた一段と機嫌が良いようだ。溜息を吐きつつも伸ばされた手を掴み、ぐいと引っ張ってベンチから立たせた。
「良かった。来てくれなかったらどうしようかと思っちゃった」
 小首を傾げてにっこり微笑む姿は、相手の訪れを胸をときめかせて待っていた恋人…としか例えようがなくて、正直眩暈がする。知らないものなら一発で騙されるだろうが、既にコイツの本性を嫌というほど知り尽くしている俺には、その仕草のひとつひとつが外連味掛かっているように見えて仕方がない。
「心にもないこと言うな。もし本当に俺が来るかどうか心配だったんなら、首に縄でもつけて引っ張って来るぐらいのことはしただろ、おまえ」
「酷いなぁ。まあ、あながち間違っちゃいないけど」
「………あのな……」
「んー、けどさ。純粋に憧れてたりもするんだよね。誰かと待ち合わせてどっか行くのって。僕の今までの境遇からいって、あんまりそういうこと、した経験ないからさ。ラズリルにいた頃も、今も、共に行動する相手は大体すぐ隣にいて、逢瀬の約束なんぞする必要もなかったからね。だから、偶には体験してみたくもなるじゃない?来るか来ないかわからない相手を待ち焦がれてそわそわする、付き合い始めた頃の恋人のような初心な気持ち♪」
「やめんか、気色悪い」
「えー、冷たいなぁテッド」
 笑顔のまま、大袈裟な素振りで泣き真似などしてみせてから、カリョウは、行こ、と顎をしゃくった。促されるままに歩き始めたのは良いが、隣を行く足取りが不自然なまでに軽いのに、どうにも釈然としないものを感じる。
 …ふと思いついて訊いてみた。
「おまえ、いつからあの場所で待ってた?」
「えーと……一時間くらい前からかなぁ…?」
「ちょっ…!?正午って言い出したのはおまえだろ!?そんな早くから来るつもりだったんなら、最初からそう言えよ!!」
「あ、待たせたこと気にしてくれてるんだ。嬉しいね」
「あのな…!!」再び大声を上げかけたところで、漸く気が付いた。「………もしかしておまえ、俺を試したのか?」
 足を止め、露店の軒先に積み上げられた林檎を手にとって検分を始めたカリョウに、いらっしゃい、と店の主人が声を掛ける。愛想の良い笑顔でそれに応えてから、カリョウは弾んだ声で言った。
「面白いと思わない?待ち合わせってさ、本当に『約束』の基本中の基本みたいなものなのに、その果たし方にその人の人間性とか、相手に対する感情がモロに出るんだよ。到着の時間が早いか遅いかってだけじゃない。待たせたとき、待たされたときの反応の違い。初歩的な約束なだけに、違えた時の理由や態度によって、相手の中での自分の位置がこれ以上ないほどはっきり見えるんだ。相手の本質を見極めるに、最も単純で効果的な方法だと思うよ」
「…おまえ、まさかあの船に乗ってる連中全員、そうやって試した訳じゃねえだろうな?」
「まっさか。そこまで暇人じゃないよ」面白そうにころころと笑い、カリョウは手の中の林檎をぽんぽんと軽く放り投げて弄んだ。「……いい林檎だね。これ下さい」
「じゃ、何で俺のことは試そうと思ったんだ?」無意識に詰問めいた口調になる俺に、カリョウはふっと笑いを収めると、感情の見えない静かな声で答えた。
「僕が、知りたかったんだ」
「……え?」
「ほら、テッド!!」
 勢いよく振り返ったカリョウの手から、林檎が弧を描いて飛んでくる。すかさず受け取ったそれは、陽の光をそのまま写し取ったかのように、艶やかな色をしていた。
「さ、早く行かないと陽が暮れちゃうよ」
 自嘲のようにすら思えた雰囲気はそれこそ一瞬のもので、こちらに向き直ったカリョウの表情は、もういつもの子供じみた笑顔に戻っていた。
 何となくはぐらかされたのを感じながらも、手に収めた陽だまりそのままのような笑顔に、追求する気も失せて、俺は溜息と共に肩を竦める。
「…で、満足いく結果は得られたのか?」
「―――ん、まずまずの点数で合格ってとこかな」
「あのな……合格ってのは何だ。試験じゃあるまいし」
「軍主たる僕が直々に、一緒に行動する人間を見極めようっていうんだよ。寧ろ光栄に思って貰いたいくらいなんだけど―――で?」
 疑問系の語尾の意味が読めずに首を傾げた俺に、カリョウは、鈍いなぁ、と苦笑を洩らした。
「テッドから見て、僕の点数はどうだったの?って意味だよ。待ち合わせ相手としてのさ」
「ああ、そういうことか…ってかおまえ、自分から言い出した時間のくせに、何だってそんな早くに来てたんだよ。待たされるのわかってただろ?苦痛じゃないのか?」
「別に。人待ちって好きなんだ。通りすぎる人を見てたり、風の音を聞いたり。同じように待ち合わせしてる人を見つけたりすると、ああこの人はどんな気持ちで相手を待ってるのかなぁなんて考えたりしてね。中々楽しい時間だと思うよ。まあ、どうでもいいことで待たされるのは嫌いだけどね」
「じゃおまえ、待ち合わせの約束するたびに、こんな早くから相手を待ってるのか?」
「そうそう相手に感情を読ませるような真似はしないよ、僕は。時間は常にきっかり。誤差は前後一分のみ。どうしても間に合いそうにないときは代理を立てる。基本に沿ったことしかやらない。言い訳を考えるのも、相手の感情を推し量るのも面倒だから」
 きっぱりと言い切った横顔は、どこか誇らしげなようにも見えて。思いも寄らなかった展開に、俺は思わず間抜けな声を上げてしまう。
「……え?ってことはおまえ…?」
「だから言ったでしょ?光栄に思ってくれる?」
 甘えるような声で、上目遣いに覗き込んでくるその表情は、軍主らしくもないまるっきり子供のそれだった。もしかしたらカリョウにとって、試すなんてことは最初からどうでもよく、先に語ったように、ただ待ち合わせを楽しんでみたかっただけかもしれない。
 狡猾で計算高いくせに、変なところで純粋な、我侭な子供。
「…さっさと行かないと陽が暮れるんだろ」
 そう呟いて先に立って歩き出すと、くすっと微笑った気配が弾んだ足取りのまま、素直に後についてきた。
 振り向いてなどやらない。
 今日だけはとことん我侭に付き合ってやってもいいか、と考えてしまったなど、コイツには絶対教えてはやらない。


 微笑ましい気持ちそのままに、手にした林檎に齧り付く。
 口中に広がった甘酸っぱい香りが、まるで陽の光のようだったから。それにもやっぱり何となく愉快な気持ちを覚えて。
 生意気な子供に背を向けたまま、俺はひっそりと笑った。














リハビリ小話第2弾―――久し振りにカリョウ書いたよ〜。
プロットはかなり前から出来てたのに、中々キャラが思うように動いてくれなくて難産の一作でした…むう。
「Wise Apple」は直訳すれば「賢い林檎」ですが、通俗として「生意気な奴」という意味もあるそうです。
某サイトで紹介されていたオリジナルカクテルのお名前を拝借致しました。




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