天まで届け















 蒼穹を舞う巨鳥の翼が、大地に黒々とした影を刻む。
 遥か高みにその姿を認めると、キリルは腰を下ろしていた岩から徐に立ち上がって、大きく手を振った。彼の後を追うようにしてカルマも立ち上がり、天を見上げて瞳を凝らす。
 白いイワドリは翼を大きく羽ばたかせながら、彼らの前にゆっくりと降り立った。巨大な翼の起こす風に砂煙が巻き上がる。埃っぽい風にケホケホと咳き込みながらも、スノウは危なげなくイワドリの背から地上に飛び降りた。
「お疲れ様。どうでした?」
 駆け寄ったキリルが早速といった感じで尋ねてくる。スノウはカルマから受け取ったタオルで汗を拭きながら答えた。
「うん。ここから先にはクールーク兵の拠点になりそうなところは暫くないよ。尤も、皇都に近づくにつれて敵の警戒も厳重になってくるだろうから油断は禁物だけどね。伏兵を隠しておけそうな地点が二、三ヶ所ほどあったから、そこを通るときは特に注意したほうが良いかな」
「ありがとう。助かります。それじゃ僕は先にキャラバンに戻って、皆に報告してきます。今後の方針を決めないと」
「わかった。気をつけてね」
 キリルは二人に向けて軽く手を振ると、仲間の待つ野営地に向かって駆け出していく。その後ろ姿を見送って、スノウはしみじみと言った。
「凄いよね、キリル君は。あんなに若いのにしっかりしていて、大勢の仲間をうまく纏めていて。なんだか、二年前の君を見ているみたいだよ」
「とても一生懸命で、真っ直ぐで。彼を見てると何か手伝ってあげなくちゃって気にさせられるんだ。紋章砲が、本当にキリル君の言っているようなものなら、一刻も早く全て破壊しなくちゃいけないって僕も思う……でも」
「…でも?」
 急に口籠ったカルマに、スノウは怪訝な表情で首を傾げた。カルマは小さく溜息を吐いて、傍らで静かに羽を寛げるイワドリを見上げる。
「幾らキリル君の頼みだからって、一人で偵察だなんて危ないよ」
「仕方ないじゃないか。イワドリも、イワドリを扱える人も少ないんだから。ハーヴェイさんは後方の見張り役があるし、フレア王女やジュエルたち女の子に偵察をさせるわけにもいかないだろう?」
 スノウがそう言うと、カルマは悔しそうな表情になった。イワドリの柔らかな羽毛に手を伸ばし、労いをこめてその首筋を擦ってやる。鳥は甘えるようにカルマの手に頬を摺り寄せた。
「…僕も、イワドリに乗れたら良かったのに」
 その呟きがあまりにも無念な響きを含んでいたので、スノウは思わず苦笑する。
「そんなにも慣れてるんだったら乗れそうだけどね。鳥との相性は悪くないみたいだから、ちょっと練習すれば君だって…」
 そこまで口にしたところで俯いてしまったカルマを見て、スノウは自分の軽はずみな発言を後悔した。
 カルマは以前スノウを庇って、疾走する馬の背から落ちた経験を持っている。そのことはカルマの中にトラウマとして残ってしまったようで、以来彼は騎士団の乗馬訓練の時以外はそういった動物の背に進んで乗ろうとはしなくなった。動物そのものは嫌いではないので、世話のほうは喜んでやっていたが、それでもその背に乗ることには未だ躊躇いを感じるらしい。
 恐怖心を堪えれば乗れないわけではないのだろう。実際、乗馬訓練の時は人並みに乗れてはいたのだから。だが、ただ乗ることと乗ったまま戦闘をこなすのとでは、当然ながら話は大きく違ってくる。ましてイワドリの操縦は馬以上に難しく、うまく扱えるようになるにはコツが必要だった。少なくとも、トラウマを抱えたまま、一朝一夕で操れるようになる代物ではない。もし飛んでいる鳥の背から落ちることがあれば、それは即ち死に直結する。そのような危険を冒してまでイワドリに乗ることを、現在の軍主であるキリルが承諾するはずもなかった。
 イワドリは人に慣れやすく、乗用として扱うに便利な生き物だったが、そもそもの個体数が少ない為、騎乗技術を持っている人間もまた稀少であり、それ故軍のような場所では非常に重宝される存在だった。キリル達一行が所有しているイワドリは二羽で、今はそれぞれスノウとハーヴェイが騎乗要員に任じられている。スノウの戦闘能力と騎乗技術をキリルが高く評価した故の抜擢であるから、そのことはカルマも嬉しく、ここまでの成長を遂げた幼馴染を誇らしくも思った。だがその一方で、クールーク兵との戦闘になる度、巨鳥を繰って天空へと駆け上がるスノウの背中をただ見送るしか出来ないことが、カルマには酷くもどかしかったのである。
「空を飛ぶのって、どんな気持ち?」
 甘えてくるイワドリをあやすように尚も首筋を撫でてやりながら、カルマは背中越しにスノウに問いかける。スノウは少し考えてから口を開いた。
「風になったみたいな気持ち…かな。最初は何もない広い空間に一人で放り出されたみたいで少し不安になるけど。森や草原や、広い海や…いつも見ている景色がずっと遠くまで見渡せるんだ。それでも、どんなに高く飛んでも、世界の果てはこの目には見えなくて。この世界はなんて広いんだろう、生きているうちに一体何処まで行くことが出来るんだろうって…そんな気持ちにさせられるんだ」
「そっか…」
 カルマは少し寂しそうに笑った。
 空に焦がれる鳥の気持ちは、今のスノウにはなんとなく察せられるものだった。それ故、彼がイワドリに乗れない理由を作ってしまった責任の一端が自分にあることが後ろめたくもあった。当のスノウは特にトラウマを感じることもなく、イワドリにもツノウマにも普通に乗れるのである。
「イ、イワドリに乗るのだって、そんなに良いことばかりじゃないよ。ほら、なんとなく埃っぽいにおいがするし…」
「クェーッ!」
 慌てて言いつくろったスノウの言葉に抗議するかのように、イワドリが甲高い声で鳴いた。頭の良いこの鳥には交わされた会話の内容も全てわかっているのかもしれない。カルマは笑ってスノウのほうへ振り返りながら、宥めるように鳥の身体を軽く叩いた。
「あんまり悪口言わないほうが良いよ、スノウ。イワドリの機嫌を損ねると、次から乗せてもらえなくなるかもしれないから」
「う、うん…」
 焦ったように頷くスノウに微笑みかけて、カルマはまたイワドリのほうに向き直った。鳥の賢そうな黒い目がじっとカルマを見詰めている。恐らく、今すぐこの背に跨ったとしても、鳥はカルマを振り落としはしないだろう。そんな確信めいた思いすらあるのに、それでもそう出来ない自分の臆病さにカルマは腹が立つ。
「風が…僕の手の届かないところに行ってしまうのは、ちょっと心配…だな」
 イワドリに乗れるスノウと、乗れないカルマ。戦闘になれば二人の距離は嫌でも離れることになる。遥か上空にいるスノウに敵の刃が向けられても、地上より離れる手段を持たないカルマには、彼を守ることは出来ない。しかも、イワドリに乗っているものは当然のことながら地上を行くものよりもその行動範囲が広がる為、戦況によっては先行して、仲間の誰よりも早く戦火にその身を晒さねばならない。自分の手の届かないところで、スノウが危険な目に遭わねばならないのだと考えると、カルマはいても立ってもいられなくなる。
「…一緒に行けなくて…ごめんね」
 悔しさと申し訳なさに掠れた声で、カルマはポツリと呟いた。鳥は自分が語りかけられたと思ったのか、応えるように短く、クゥと喉を鳴らす。
 力なく落とされた肩に、その時、スノウの声が掛けられた。
「一緒に行こうよ」
 カルマは驚いてスノウを振り返った。青灰色の瞳に穏やかな微笑を浮かべ、スノウはカルマの頭に、ポンと手を置いた。
「君が乗れないなら、僕が乗せてあげるよ。一緒に乗れば、怖くないだろう?」
「…スノウ!」
 揶揄い混じりの口調に、子供扱いされたことを感じてカルマは抗議の声を上げかけたが、スノウの次の言葉に気勢はあっけなく挫かれた。
「君がイワドリに乗れなくて良かった。そのお陰で僕が君を乗せてあげられるもの」
「………」
「一緒に行けるよ。何処までだって…ね?」
 穏やかな青灰色の眼差しと優しい声の向こう側に、カルマは果てない蒼穹を見た。風になる、と言っていた彼の言葉を脳裏で反芻する。彼と共になる風であるならば、駆ける翼はもしかしたら、一人の時よりも力強く羽ばたけるのかもしれない。どれほどの高みに上っても見ることすら叶わないという世界の果てさえも、二人でならば飛んでいけるのかもしれない。
 地を越え、海を渡り、運命さえも届かぬほどに、遠く、遠く―――。
「約束だよ…」
 真摯に見上げてくる海色の瞳に、スノウは優しげな微笑と共に頷いた。
 いつか、戦いが終わったそのときに。
 風になった思いが昇華の時を迎えることを願って、今はまだ遠い空へと、カルマはそっと瞳を向けた。
















友人の出した本(完売済み)にゲストとして書かせて頂いた小説です。ラプソ初書き。
web再録にあたって、若干修正致しました(本当に少しですが)





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