2.




  ―――人が人に、救いを与える資格はあるのだろうか?
 果てのない紫紺の闇の中に、カルマは佇んでいた。
 ここに立つといつも、恐怖と懐かしさが綯交ぜになったような不思議な感覚に襲われる。魂が引き寄せられるような――と思うのは、自分の左手に宿った紋章を背負ってきた人たちとの、邂逅を果たした場所であるからだろうか。あの頃は、この空間も罰の紋章の作り出した悪夢のようなものだと思っていたが、実はそうではないのかもしれない。
 今でもカルマは、時折何かに導かれたかのようにして、この場所に迷い込む。無念のうちに逝った過去の亡霊たちの姿はもうここにはなかったが、その代わりだろうか、カルマはいつしか、ここで別のものと対峙するようになっていた。
 人の感じる思いは千差万別であり、その人が是とするものが、別のものにとっては否であるなど当然のことである。幸も不幸も、結局それを決めるのは本人でしかない。それとわかって手を伸ばすことが、果たして救いになるのだろうか?いや、そもそも救いたいという思いこそが傲慢なのではないか。「救いを与える」などという行為は、自分が相手より上の立場であるとの優越感を満たす為のものでしかないのではないか。
「―――僕は、神じゃない。誰かに救いを与えられるほど、偉くもないし、大きい存在でもない……だけど…」
『―――よく言うよ』
 自分と全く同じ声が、耳に木霊する。
『神の存在など、信じてもいないくせに』
 紫紺の空間に、嘲笑が響く。汗ばむ掌をきつく握り締めて、カルマはぎりっと奥歯を噛み締めた。
 迷いはいつも、自分と同じ姿でやってくる。自分と同じ顔を、勝ち誇ったような笑みに歪めて。それはいつも、どこからともなく、カルマの傍に忍び寄る。
『いないはずの神になど、祈ったって仕方がない。だから自分を救うのは自分でしかない。そう自分に言い聞かせているくせに、何で他人にはそうあっさり手を伸ばすのさ?』
「……誰かの為に、自分に出来ることをしてあげたい。そう思うのは、いけないことだろうか?」
『自惚れるなよ』蒼い視線が、矢のように突き刺さる。何から何まで同じ造形のこの相手の、ただ一箇所違うところがこれだった。全てを見透かすような鋭い瞳。この稲妻のような強い光に撃たれる度、まるで金縛りにでもあったかのように動けなくなる。
『自分は神じゃないって、今言ったばかりだろ?そうやって手を差し伸べて、感謝を貰って自分を満足させたいのか?それとも、誰かの幸せの為なら仕方ないって、安易な自己犠牲に逃げて自分に陶酔したいのか?笑わせるなよ、自分の為に泣くことが出来ないような奴が、他人の為になど泣けるわけがないじゃないか』
「……僕は…そんなつもりじゃ…」
『じゃあ、どんなつもりなのさ?』稲妻色の瞳がすっと細められる。『似てる…って思ったでしょ?相反する感情に苛まれて、思考の迷路に囚われてる姿に、他でもない自分を重ねたでしょ?だから放っておけなかった。彼を救うことで、自分も救われた気になる。勝手に自己投影されて、彼のほうこそいい迷惑だろうね。頼んだわけでもないのにさ』
 身体が震えるのがわかる。無意識のうちに、カルマは両手で自分の身体を抱き締めていた。
「…君は誰だ?」震える声で、カルマは呟く。「何が目的で、僕の前に現れる?」
『偉そうな口を利くんじゃないよ』忌々しそうに口許を歪めて、迷いの使者は、カルマの瞳を覗き込んだ。『綺麗な感情だけ振りかざして、醜いものからは目を背け続けてきた偽善者が。わかってるんだろう?ここはおまえの中だもの。おまえが否定し続けてきたもの、捨てようとしてきたものが、ここにあったって可笑しくはないだろう?』
 カルマと同じ姿をしたものは、そう言って、左手を中空に差し出した。
『ほら、例えばこれだ』
 示した先に、ぼんやりと光が浮かび上がる。そこに映し出されていたものは、遥か彼方の記憶。翡翠色の礼服に身を包み、憎しみに満ちた視線を投げかけてくるその人は。
「………!?」
 息を呑むカルマを見て、使者は唇の端を吊り上げた。
『おまえのことを殺したいほど憎んだ相手だよ。だけど、そんな奴をおまえは拾い上げ、仲間として遇した。コイツがおまえを裏切ったのは、自分の所為だからと自分自身を責めて。そうやって何もかも自分の中だけで解決してしまえば、難しいことなど何ひとつ考えずに済む。そうして自分の醜い感情には蓋をして、何事もなかったかのように仲良しこよしだ。全く、ふざけてるよ。自分の本当の気持ちをわかっていない奴が、人を許すことなど出来るはずがないだろう?』
 使者は勿体ぶった仕草で、カルマの耳の傍に唇を寄せた。
『言えよ……スノウを、憎んでたんだろう?』
「………憎んだよ」
 淡々とした声が、カルマの唇から転がり落ちた。「スノウを憎んだ。叫んだ声が届かないのが悔しくて、差し出した手を振り払われたことが遣り切れなくて。わかり合えないもどかしさに、いっそ、彼と出会ったこと全てを無かったことにしてしまいたいと…そんな風にさえ思った」
『ふん』勝ち誇ったような顔で、使者はくすくすと笑った。『認めたね。それじゃ、何で、そんな相手を許そうなんて気になったのさ?自分は寛大なんだってことを、他の連中に見せつけでもしたかった?』
「……確かに僕は、スノウを憎んだ。でも…嫌いにはなれなかった」
 カルマは僅かに目を伏せ、自嘲気味に微笑んだ。
「いっそ嫌いになれたら、どれほど楽だっただろうかと思う。でも、どれほど憎んでも、少しも気は晴れなかった。どれほど憎んでも、気が付けばスノウのことを考えていた……憎いと思ったのは、それだけ彼のことが好きだったからだ。そう気が付いたら、途端に楽になった」
 そこまで言ってカルマは顔を上げ、剣呑な稲妻に笑いかけた。
「好きだから、もう一度手を取りたいと思った。気付いてみれば単純なことだった。でも……僕にはそれで充分だった」
『上等』使者はカルマから身体を離し、顎をしゃくった。『最初からそう言えば良かったのに。煩わしい言い訳ごちゃごちゃ並べて、自分を卑下するのもいい加減にしなよ。鬱陶しいし、そんな感情で手を伸ばされたんじゃ、相手だって迷惑だしさ』
「僕は…」カルマは肩を竦めた。「差し伸べた手を、取って貰えなかった辛さを知っている。そのくせ、自分が手を差し伸べて貰ったときには、意地を張って拒んだりもした…。自分を助けるのは、結局は自分自身でしかないと思い込んで…矛盾してるよね。彼も同じだ。今にも倒れそうなのに、それに気付かない振りをして、自分を傷つけ続けている…そうだね。スノウのときとは違う。確かに僕はゼファに、自分の姿を重ねてる。だからきっと、これは僕の自己満足だ。僕が傷つけてしまった人への、罪滅ぼしのつもりなのかもしれない」
『やっと認めた。そういうのが迷惑なんだって。わかる?』
「けどね」穏やかな瞳で、カルマは静かに言った。「彼、笑ったら多分、とても可愛いと思うんだ」
『………は?』
「嫌いだったら、最初から手なんか出さないよ。今は知ってる。僕はひとりで立っていたつもりで、実はけしてひとりなんかじゃなかった。拒んだつもりだったのに、気が付けばもっと大きな力で支えて貰っていた。それは多分…皆が僕が想ってる以上に、僕のことを想っていてくれたからなんだって。誰かと本気で向き合うことなんて、嫌いだと感じた相手と出来ると思う?スノウのときとは確かに違うかもしれない。でも、独善的かもしれないけど、僕は彼に手を貸してあげたいと思った。それ以上の理由なんて僕は知らない。けど今は、僕は自分の思ったようにやってみたいんだ。それだけじゃ…駄目…かな?」
『………』使者は呆れたような表情で、大袈裟に溜息を吐いた。『駄目かな?…な〜んて、何で僕に訊くのさ?そんなものに正しい答えなんて、あると思う?ホントにバカだね、おまえは』
「バカだバカだって、テッドにも散々言われたよ。あれから150年以上も経ったっていうのに、未だに進歩がないのも悔しいけど。けど、こんな僕だからこそ、掴めたものもある…それでいいのかもしれない」
『ふ〜ん………?』面白くもなさそうに瞳を眇めて、カルマの姿をしたものは頭の後ろで手を組んだ。『考えても、出す結論が偽善的なのは相変わらずだね。そこまで頑固だと、いっそ天晴れだよ。僕はおまえなんか大嫌いだけど、それでもまあ一応、おまえは僕の一部だからね。精々頑張るんだね、くらいは言ってやるよ』
「僕が……君の一部?」カルマは目を丸くして、自分と同じ姿をしたものを見詰めた。
『そう、おまえは僕。言ったはずだよ、ここはおまえの中だって。もしもおまえが今までに、ほんの少し違う選択をしていたら、もしくは受け取ってきたものに対して、違う解釈を施していたら。ここにいるのは僕じゃなくて、おまえだったかもしれないってことさ』
「じゃ、君は……僕が気付かなかった、もうひとりの僕…?君こそが、僕の本心…本当の僕…なの?」
『だから、どうしてそうやって、何でもかんでも頭で考えようとするのさ?偶々ここにいるのが僕だからって、おまえの全てが僕だと思うなよ。僕だって一部に過ぎないのさ。本当のおまえが誰かなんて、誰も知るわけないじゃないか。大体、この世の中に、自分のことを正しく理解している奴が、果たしてどれくらいいると思う?まして、その中に真実と偽りとの境界を引こうだなんて、くだらないにもほどがある』
「僕のことを嫌ってる君が、どうして僕の前に姿を現したりしたの?」
『おまえは質問ばかりだよね。そんなのわかるわけないよ、僕だって神サマじゃない。敢えて言うなら…最後に自分を助けるのは、結局は自分でしかない…それもまた、真実だってことかな。自衛も自虐も、おまえの中に等しく存在しているように』
 目の前の稲妻がふっと揺らいだ。驚いて手を伸ばせば、それは手応えもなく相手の身体を擦り抜けて。
 高く低く。歌うような声が、紫紺の空間に響き渡る。
『人は矛盾する生き物だ。忘れるな、それを正誤で判断しようとすること自体が傲慢だ。忘れるな。人は神じゃない。人の運命を決めるのは、人でしかありえないのだと……』
「待って!!」
 自分の声が耳に届いたかどうか、確認する間もなかった。消えゆく声を引きとめようと、手を伸ばした刹那、カルマの視界は暗転した。


 夢の切れ端が羽のように、広げた両手の上に舞い降りる。不意に鮮明になった視界に、海の碧が心地よく沁みた。
 隣には、いつからいたのか、青い外套の少年が立っていた。今はもう夢でしか届かない、遠い遠い記憶の欠片。
「おまえって、真面目だよな」
 揶揄…というよりは憐憫に近いものが含まれたような声に、些かむっとして、カルマは唇を尖らせた。
「そりゃそうだよ。僕たちがやっているのは遊びじゃないんだから」
「そーゆーことじゃなくてだな……」
 苦笑を浮かべて、テッドは船縁に背を預けるように凭れ掛かった。柔らかな金茶の髪を、海風が弄ぶ。
「前にも言ったよな、俺。おまえは軍主は強いのが当たり前だと思ってるだろうって。覚えてるか?」
「………覚えてるよ」
「けど、周りが思ってるほど……というより、おまえがそう見せようとしているほど、おまえは強くない。…違うか?」
「………違わない」
 僅かに逡巡した後、しかしカルマは悔しそうにそう呟いた。
 陽光を弾いた琥珀の視線が、穏やかに見詰めてくる。
「何で強くなりたいんだ?」
「強くなくちゃ、守りたいものを守ることは出来ない」
「強くたって、守れないものだってあるだろう?逆に強くなくたって、救えるものだってある。この船の連中がおまえを軍主にしたのは、おまえが強かったからか?おまえに守って貰うことを望んでいたからか?」
「テッド………」
 何と答えて良いのかわからず、カルマは困惑する。
「……この船の連中全てが、おまえの虚勢を見抜いてないわけじゃない。なんで誰にも頼ろうとしない?自分以外は誰も信用出来ないとでも言いたいのか?」
「そうじゃない……」
 海色の瞳が、自嘲に翳る。
「歩けなくなってしまうのが、怖かっただけだ…」
 虚勢を突き崩されること、それは嬉しいと同時に、何より恐ろしいことでもあった。差し伸べられた手の優しさに、縋り付きたいと思ってしまう。その居心地の良さに慣れてしまえば、それを当然のこととして捉えてしまう。そうなれば、いつか失ったとき、自分の足で立つことすら出来なくなってしまうのではないか。カルマには、それが恐ろしかった。
「バーカ」
 優しい力が、頭をポンと撫でた。
「そんなことで歩けなくなるほど、おまえは弱かねえよ。ただ弱いだけの奴が、他人の弱さを認めて受け入れてやるなんて出来るわけない。おまえは何よりもまず、おまえ自身を信じるべきだ。俺は自信過剰な奴は嫌いだが、あまりにも自分を過小評価するのもどうかと思うぜ」
 ま、俺もどうこう言える立場じゃないかもしれんが、と最後は独り言のように呟いて、テッドは突き抜ける蒼天を仰いだ。
「おまえの優しさに、救われた奴だっているんだ」
 歌うように響く潮騒。鼻腔を掠める潮の香り。ああ、懐かしい海の風景は、今も忘れることなくこの胸にあるのに。
 君が言うべき次の言葉を、思い出せない僕がここにいる。だってこれは、記憶の中の出来事じゃない。
 ―――会いに…来てくれたんだね。
「だから…泣きたいときには、泣けばいい」
 150年前の彼の前では流せなかった涙が、自然に頬を伝って落ちた。
「逃げたっていい。弱音を吐いたって構わない。また前を向けるだけの強さを、おまえは持ってる」
 涙は止めようもなく溢れてくるというのに、心はこんなにも温かい。
「おまえは充分頑張ったろう?――許してやれよ、自分を」
 優しい言葉に、視界が淡く滲む。
「大丈夫。おまえは……おまえたちはひとりじゃない。辛いときには思い出せ」
 ひとりじゃない―――その言葉を最後に、彼の姿は光の中に霞んで消えてゆく。
「ありがとう―――」
 真白の光に包まれた空間で、濡れた頬もそのままに、カルマは力強く微笑んだ。
 この胸を温かく満たす感謝と惜別が。どうか、どうか。彼に届けと祈りながら。




 カルマはゆっくりと目を開いた。
 窓から仄白く差し込んでくる朝日が、部屋の中をぼんやりと照らし出している。二人分の荷物が無造作に置かれている以外は、家具も何もない殺風景な部屋。隣で寝ていたはずのゼファの姿もなかった。彼の出て行く気配に気が付かないほど、自分は深く寝入っていたのだろうかと少し驚く。
 余りにも鮮明すぎる夢に、思考が追いついていない気がする。身体は起きているはずなのに、未だ幻の中にいるような。夢の続きを見ているような。
 ―――夢の続き。
 もし…あれが、夢でなかったとしたら?
 不意に込み上げてくる何かに背を押されるようにして、カルマは毛布を跳ね除けると、小屋から飛び出した。頂上までの道を、脇目も振らずに駆け上がる。凍りついた水晶が夜明けの光を受けて、谷全体をどこか虚構めいた、不可思議な輝きで彩っていた。崩れかけた水晶の破片に幾度か足を取られながらも、走って走って……そしてカルマはその場所に辿り着いた。
「ゼファ……?」
 吹きすさぶ風に緋色の衣服をはためかせて、少年はひとり、佇んでいた。その漆黒の瞳は、まるで何かに憑かれたかのように、ある一点を凝視している。瞬きはおろか、呼吸をすることすら忘れてしまったかのような、呆然とした顔で。手から棍が滑り落ち、からからと乾いた音を立てる。駆け寄ったカルマは、ゼファの視線の先、雪と水晶に覆われた無彩色の空間の中に、ポツリと一箇所、陽だまりのように明るい色彩が落ちているのを見付けた。
「タンポポ………?」
 普通ならばありえない。真冬の、下草すらまともに育たないような過酷な大地。種子など落ちるはずのない、下界から切り離されたこの場所。それでも何故か、不思議だとは思わなかった。そう、それはまるで、彷徨い人の訪れを待っていたかのように、余りにも自然に、そこに在ったから。
 ―――ああ、やっぱり、君だったんだね。
「………俺は以前、テッドに言ったことがあるんです……この花は、まるでおまえみたいだって」
 掠れた声で、ゼファは言った。
「陽光のように明るいのに、けしてそれは目を覆いたくなるような眩しさではなく、気が付いたら傍にいて、癒してくれるような…そんな温かなところが。当たり前のようにそこに在るのに、いつの間にか風と共に、どこかに消えてしまいそうな雰囲気まで…」
 踏んづけても枯れそうにないしぶとさの間違いだろ?彼にはそう混ぜっ返されたけど、とゼファは小さく微笑む。
「………タンポポの花言葉は『真心の愛』だよ」
 遥か昔に、仲間のひとりが教えてくれた記憶を辿りながら、カルマは言った。
「君がタンポポに、彼の姿を重ねたのだとすれば、それは彼が心から、君を愛していた証じゃないのかな…?」
 全てを拒絶するかのような閉ざされた谷で、それでも狂い咲きの太陽はきらきらと輝いていた。
 凍りついた心を溶かすように。
 どんなに冷たい大地にも、必ず春は来るのだと告げるように。
「君に伝えに来てくれたんだよ」
 大丈夫。大丈夫。おまえはひとりじゃない。
 これからもきっと思い出す。
 風に揺れる花を見る度思い出す。
 俺の想いはいつも、おまえと共にある。
「君の進む道に、幸多かれと―――」
「テッド―――!」
 置いていかなければならないものが出来ることは、遺されたものの幸せを祈ることだけだから―――。
 ゼファの目から、一筋の涙が零れ落ちる。それを拭いもせず、ゼファは静かに厚い雲の天蓋で覆われた空を仰いだ。
 未だ朝と夜との境界を漂っているかのような空に向かって、ゼファはゆっくりと右手を翳す。
 それはまるで、誓いの儀式のように。
 指の合間から透ける空の向こうにテッドの笑顔が見えた気がして、濡れた瞳のままに、ゼファは口許を緩やかに綻ばせた。




「あなたは……これからどこへ行くんですか?」
 街道沿いの宿場町。最初に邂逅を果たした場所へと、二人は戻ってきていた。
「海へ……群島へ、行ってみようと思う」
 そろそろ帰らないと、いい加減拗ねられそうだからね。息を吐くように、カルマは微笑った。テッドには会いに行ったのに、僕のところへは来てくれないのかい?と、親友の苦笑混じりの声が聞こえる。やっと決心が着いた。今なら、あの懐かしい碧を前にしても、俯くことなく、『ただいま』を言えそうな気がする。
「君は?」
「一度グレッグミンスターに帰ってから―――レパントに見付からないように、こっそりと、ですけど―――俺も、海に行ってみようと思います。テッドが俺に教えてくれた希望の姿を、この目で確かめる為に」
「……一緒に、行くかい?」
 カルマはそう言ったが、ゼファは首を横に振り、慈しむように右手の甲に触れた。
「二人で行くのが、彼との約束でしたから。俺が彼に応えられることは多くはないから、せめて、それくらいは果たしたいんです」
「意地っ張りだね」
「お互い様です」
 悪戯っぽく、彼は笑う。初めて見せた、年相応の少年らしい笑みだった。釣られたようにカルマも笑う。
 ―――彼は大丈夫だ。こんな風に笑えるのだから。
「それじゃまた、どこかで」
 片手をあげて去っていく後ろ姿を見送って、カルマは、ゼファに言えなかったタンポポのもうひとつの花言葉を、胸の中で呟いた。
 ―――『さよなら』
 どれほど強く望んでも、失ったものが戻ってくることはけしてない。過去は未来への礎なれど、それに囚われたままでは、生きていくことなど出来ない。捨てろとは言わない。けれど、乗り越えなくてはならない。テッドがあの花に託した、もうひとつのメッセージ。
 大丈夫。いつかはきっと彼にも届く。だって、彼は君の親友だもの。
 さよならは悲しい言葉じゃない。別離は喪失じゃない。だから、これから先もずっと、彼も僕も、君を覚えて生きていくだろう。
 束の間瞳を閉じ、小さく祈りを捧げてから、カルマもまた歩き出した。懐かしい場所へと続く、この道を。




 歩き始めた僕を、海になった親友はどんな風に迎えてくれるのだろう?
 君をずっとひとりにしてしまった罪悪感は、きっと消せないだろうけど。
 ―――遅かったね。でも、いつかは必ず帰ってくると信じてたよ―――そう言って笑う彼の姿が目に浮かぶようで、自然と唇が弧を描いた。
 草原を渡る風に、ふと潮の香りが混じったような気がして。春待ちの優しい大気を、カルマは胸いっぱいに吸い込んだ。

 















タンポポのもうひとつの花言葉は、本当は『別離』なのですが、まあニュアンスは一緒…(適当人間…)

敬愛する「4テッド愛★祭り」様に、最後に捧げさせて頂いた作品です。
もう色々な意味で書くのが苦しかった作品でした。時間的にも精神的にも…。
支離滅裂な内容になりましたが…それでも書きたかった話なので、書けて良かったです。
坊ちゃん初書きですが、あまり思うように書けなかったので、機会があったらまた書いてみたいです。取り敢えず神様待ち(苦笑)
時間軸的にはトラン解放戦争とデュナン統一戦争の丁度間くらいのイメージ。
4主、そして2主との出会いを経て、坊が少しずつ笑顔を取り戻していってくれたら嬉しいな…と。





戻る?

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送