アナモルフォーズ












「カリョウ」
 柔らかい声がして、部屋の扉が開かれた。
 振り向かなくてもわかる。微かに鼻腔を擽る甘い香り。盆に載せた茶器のぶつかり合う軽い音。それらを支える不器用な手付きまで容易に想像出来て、僕は思わず軽く笑みを洩らす。
 そう、君が今、僕に向けている視線まで。今の僕には手に取るようにわかる。
「朝からずっと書類整理の為に閉じこもって、疲れたんじゃないかい?少し休憩しないか?お茶とおまんじゅうを用意してきたから」
 予想どおりの台詞に振り向いて、こくりと頷いてみせると、スノウは安心したような笑顔で、持ってきたものを卓の上に並べ始めた。
 労働に慣れていないスノウの仕草はぎこちない。おまんじゅうを取り分ける手付きも、ポットからお茶を注ぐのも、本当に不器用そのもので、見ていて却って微笑ましい。余計な手を出されるのを、今の彼が嫌うことを知っていたから、僕は何も言わずに見守るだけにする。
 取り分けたものを、どうぞ、と差し出す時も、スノウは笑っていた。ここに来てからの彼は、本当に穏やかな表情で笑うことが多くなった。以前の自信に満ちた、やや傲慢とすら思える態度はすっかり鳴りを潜めて、これが本当にあのスノウかと思えるくらい、殊勝な姿勢で物事に取り組むようになった。その中で、僕に向けられる眼差し。少しばかり、顔色を伺われているのかな?と思うこともあるけれど、大抵それは優しくて気遣わしげで、溢れんばかりの感謝と、僅かばかりの自責の念が含まれていた。幾多の過ちと擦れ違いを重ね、それでも許されたことに対する思い。繋いだ手の温かさ。共に立つこと、歩んでいくことの意味。それを見つけた彼の笑顔は、とても綺麗だった。かつて一緒にいたときなどよりも、もっと、ずっと。それが心からの信頼より生まれるものだとわかるから、僕も同じように、君に笑顔を返す。
「ありがとう、スノウ。気を遣わなくても良かったのに」
「いや、僕がこうしたいと思っただけだから。こんなことくらいしか僕には出来ないけど、それでも少しでも君の役に立てれば嬉しいし…」
「そんな風に思ってくれてたんだ。なんだか嬉しいな」
「喜んで貰えて何よりだよ…それは何の書類?」
「最近の交易品の価格変動一覧と、物資の流通ルート。嫌な話だけど、戦争するにはお金が掛かるからね。少しでも効率よく軍資金を稼ぐために、こうして腐心してるって訳」
「……そうか。僕に手伝えることがあったら、遠慮なく言ってくれ」
「その気持ちだけで充分だよ」
 そう言うと、スノウは益々嬉しそうに、目を細めた。長い睫の影に透ける、青灰色の瞳がとても美しいと僕は思う。
「さて、僕はそろそろ行かなきゃ。あまり根を詰めないようにするんだよ」
「……もう行っちゃうの?」
「うん、これから甲板掃除を手伝うことになっていてね」
「スノウ、そういう仕事ってあまりしたことないでしょう?大丈夫?」
「大丈夫…と胸を張って言い切れないのが情けないけど、でも何とか頑張ってみるよ。君にこれ以上心配掛けたくないからね」
「そうか…あまり無理しないでね」
「うん。ありがとう。君もね」
 優しさを込めて肩をポンとひとつ叩かれ、そしてスノウはそのまま部屋を出て行った。来たときと同じ、本当に柔らかくて温かい笑みのままで。
 消えたその面影を辿るように、僕は暫く扉に向けた視線を外せなかった。彼を見送ったときと、何一つ変わらない微笑を浮かべたまま。けれど、瞳の中の温度の下がる、すうっ、という音を、僕は確かに聞いた気がした。
「バカな君…僕が本当に、君を許したと思っているのかい…?」
 ―――君は僕の風だった。僕という船を凪の中から、無限に広がる大海へと導いた唯一の風。けれど航海途中で吹くことをやめてしまった風は、一度背を押したはずの船を簡単に、再び凪の中へと放り出した―――。
 それから。僕がどんな思いでここへ辿り着いたか、君に想像出来るかい?いつ吹くともわからぬ風を、二度と頼りには出来ないのだと自分に言い聞かせるしかなかった、僕の惨めさが君にわかるかい?
 君は僕を裏切った。だから、僕も君を裏切る権利がある。
 僕に与えられた許しも、取り戻したはずの信頼も友情も、全て偽りだと知らぬままに、絆を模した牢獄の中で永遠に微睡んでいるがいい。
 この命尽きるまで。僕は生涯、君を欺き続けるから。
 それが、僕が君に捧げる、唯一にして絶対の復讐。














おまえ本当にスノウファンか?と疑われそうなものを書いてしまった…。
カリョウがスノウに対して取っているスタンスはこんな感じです。
…言い訳させて頂くと、カリョウが本当に欺いているのは、スノウじゃなくて自分自身なんです。
大抵のことは器用にこなせるんだけど、一度感情を持て余してしまうと途轍もなく不器用になるタイプ。
…それは作品の中で表現しないといけないことなんですけどね…文才が欲しい…(涙)




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