儀式












 鼓動が止まってから既に数刻が経過していた。青褪めた面に死の兆候を色濃く宿し始めた娘の胸を、しかし若き医師は必死の形相で圧迫し続けていた。手を止めれば、心臓はたちまちその動きを止める。もはやそれに自発的な動きはなく、医師の手によってのみ支えられていることは明白だった。娘の命はとっくに死神の手に委ねられている。右手に宿った紋章が、新たな糧を手にした喜びに熱く打ち震えるのを、テッドは痛いほどに感じていた。
 胸を病んでいたというその娘は、それでも昨日までは幸せそうに笑っていたのだ。一夜の宿を借りたその家の一人娘だという彼女は、嫁ぎ先である山向こうの村から出産の為に里帰りしているところだった。病弱な身体ゆえになかなか子に恵まれず、やっとのことで授かった命に、彼女は心からの慈しみの眼差しを向けていた。出産を危惧する声も周囲にはあったとのことだが、それでも私はこの子と共に頑張るつもりよ、と明るく宣言した彼女の横顔が、テッドの脳裏に鮮明に蘇る。
 陣痛が始まったのはその夜のことだった。夫の親友であるという医師が家に呼ばれ、子はまもなく母の胎内から無事に取り上げられた。テッドが異変に気付いたのはその直後のことだった。異様なまでの右手の熱さ。荒れ狂う死神の咆哮は、すぐさま悪夢よりも生々しい現実となって母親となったばかりの若い娘に襲いかかった。出血が止まらない。清潔な布を宛がって止血を試みるも、寝台の上はみるみる血の海と化した。激しい痙攣。そして心拍の停止。急変を知らせる手紙を携えた鳩が、山向こうに向けて放たれたのは明け方近くだった。
 待ち望んだはずの祝福の時が、一転して絶望に彩られる。懸命に介抱を続ける医師の傍らで、年老いた両親が張り詰めた表情で、娘の回復を祈るように見守っていた。祈りが必ず天に通じるものならば、きっと自分も全身全霊で祈っただろう―――。だがしかし、テッドは知っていた。ささやかな望みすらも、非情な死神の嘲笑に掻き消されたことを。祈りなど、運命の前では何の役にも立たないのだということを。
 医師の戦いは続いている―――それはもはや娘の戦いではなく、医師の意地と誇りによる足掻きだったのであろう。既に手遅れであることは誰の目にも明らかなのだ。何故このまま、静かに眠らせてやれないのか。
「………もう…もういいだろう!?彼女だって充分頑張ったんだ…!どうしてこのままそっとしておいてやれない!?」
 無理に命を繋ぎとめようとする行為。見ていられなくなってテッドは悲痛な叫びを上げる。
「…まだだ!!まだ…死んじゃいない…!あいつが来るまで…死なせる訳にはいかない…。生きてるうちに三人で過ごせる時間を与えてやれなくて、何が医者だ!!」
 返された声にはっとする。娘の夫が山を越えてここへ到着するまで、あとどれほどの時間が掛かるのか。それまで医師は戦いを放棄するつもりはないのだろう。それはプライドの為などではなく、ただ一つの、身勝手とも言える思いの為―――。
 唇を痛いほどに噛み締める。限られた時のみ命を繋ごうとするそれを、救命処置とは呼ばない。これは儀式なのだ――願いも祈りも、もはやそれは消え行く命の為などにではなく、人の意思ひとつで容易く覆せる。心臓を動かし続けるその手は、死者の為などにではなく、生者の為に存在するのだ。わかっていて尚も苦いものが込み上げてくる胸を、右手で掻き毟るように押さえた。震えの止まらない身体を、気遣うような表情を浮かべたアルドが、背後から毛布で包み込むように抱き締め、支えてくれた。
 戦場の光景が目に浮かぶ。無残に折り重なった、物言わぬ人の躯。男も女も、大人も子供も関係はない。ただ、死ねばこうなるのだと、漠然と思った。人の手の届かない、運命としか言いようのない渦の中で、命を失うことなどは酷く簡単で、ちっぽけなことのように感じていた。帰る場所があったかどうかもわからぬ、ただ見渡す限りの死者の群れ。等しく土に還るのを待つだけの、それは取るに足りない世界の瑣末。
 だが、今は思う。
 人ひとり死ぬことは、けして易いことではないのだと。














テッドとアルド、ED後の旅の一幕ということで。
……実は9割実話だったりします…。




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