SINCERE















 波間に漂う人影を見たとの噂に、カルマは躊躇うことなく、船を西へと向けさせた。
 彼と最後に会った場所。そこから海流と季節風とを計算する。有り得ない場所ではなかった。
 無論、漂流者が彼だという確証は何一つない。あれから既に何日も経っている。運良く発見出来たとて既に死体になっていないとも限らない。
 無駄足となる可能性のほうが遥かに高いのはカルマとて承知している。自分のやろうとしていることは、大海に沈んだたった一粒の真珠を探すようなものだ。それがどれほど無謀で困難なことかは理解していたが、喩え浅ましい未練だと笑われようとも、ゼロでないのならば賭けたいとカルマは思っていた。
 幸いにして、天候は此方の味方をしてくれたようだ。空は雲一つなく清々しく晴れ渡り、海はどこまでも穏やかに凪いだ。季節はずれの追い風さえもが加勢して、船足を遮るものは何もない。
 抜けるような青に彩られた世界を、ブリュンヒルデ号は真っ直ぐに進んで行く。
 船首に陣取り、黒衣を風に翻らせながら、一心に海を見詰める軍主の傍らへ、テッドは静かに歩を進めた。彼の隣に並んで立ち、舳先を渡る心地よい海風に髪を弄らせる。凪いだ水鏡は陽光を跳ね返して、世界を神秘的なまでに美しく、鮮やかな色彩で染め上げた。
 見渡す限り、一面の青。モルド島を出航してから約半日。目的のものはまだ見付かっていない。
「なんでそんなに必死なんだよ」軍主と視線を合わせないまま、テッドは言った。「生きてるのかどうかすら、わからないんだろ?」
「生きてるよ」迷いなど微塵も感じさせない声で、カルマは答えた。「どんなに絶望的な状況だろうと…真実をこの目で確認するまでは、僕は諦めない」
「どうしてそこまでそいつに拘るんだよ?おまえを裏切ったようなヤツなんだろ?」
 テッドは切り込むような眼差しでカルマを見た。カルマは海から目を逸らさない。その横顔は触れることを躊躇わせるほどに清冽で。海色の瞳は水面に映る蒼穹の輝きに照らされて、見る者に冷たさを感じさせるほどに澄んでいた。
「僕が信じると決めたからだよ。何があっても、スノウを信じると。僕が決めた」
「バカじゃないのか、おまえ」
「そんなの最初からわかってるよ」
 カルマの表情は変わらない。テッドは船縁の手摺りに凭れ掛かり、天を仰いだ。
「つくづくお人好しだな、おまえってヤツは。そうやって何でもかんでも許しちまってたら切りがないぞ。懐が深いにもほどってもんが…」
「違うよ」
 今までより一段、硬質の声音で返された言葉に、テッドは眉根を寄せ、視線を再び軍主に向けた。
 カルマもテッドのほうを見る。二つの視線が交わった。
「僕はそんな優しい人間なんかじゃない。これは全て、僕の我侭だ」
 柔らかく、穏やかな眼差しは、そのくせ何者にも侵し難い孤高をもって、真っ直ぐにテッドを射抜く。
「喩え彼に何があっても、どんな立場に立たされたとしても、僕だけはスノウの味方だと。他の誰に言われた訳でもない。僕が僕の意志で決めたんだ」
「何故だ?」
「人の心が移ろいやすいものだってことは僕も知ってる。心に秘めた思いが、一瞬にして他の思いに摩り替わってしまうなんて、よくある話だ。でも、僕はそんな不確かなものは欲しくないから」
 カルマは再び、視線を前方の海に投げた。一際強い海風に、赤いバンダナが大きく靡く。
「僕はね、テッド。自分の生まれも両親の顔も、本当の名前すら知らない、何一つ確かなものなど持たないままで、たった一人、ラズリルに流されたんだ。運命に抵抗する術も持たない無力な子供に、周囲は様々なものを理不尽に与え、また理不尽に奪っていった。自分のことすら自分の意志では決められず、流れに翻弄されるままだった僕に、初めて何の打算も偏見もなく、向けられた笑顔を―――差し伸べられた手を―――僕は一生忘れない」
 遠い遠い昔―――自分の無力さを嘆く事すら知らなかった幼き日。
 この世界の何処にも存在しないと思っていた自分の居場所へ、導いてくれた小さな手―――確かなものなど何一つ持たない自分にとって、あの手だけが唯一絶対の真実だった。
「人の心は移ろうものだ。だけど、僕はそれを言い訳にはしたくない。喩え周りがどう変わっても、それは僕の決意を変える理由にはならない。スノウが僕に差し伸べてくれた手に、僕は僕自身の精一杯の確かさをもって応えると決めた。だから、誰がなんと言おうと、スノウ自身がどう思おうと、僕はスノウを最後まで信じる」
「だけど―――おまえがそんなにまで思ってたって、報われるとは限らねぇんだぞ。現にそいつはおまえを何度も裏切ってるじゃねぇか」
「言っただろ、僕の我侭だって」
 澱みなく返される言葉には、されど僅かばかりの自嘲の響きがあった。
「今言ったことは全部、僕一人の勝手な思い込みだ。スノウの意思は関係ない。報われるかどうかなんて、そんな事はどうでも良いんだ―――僕はね、自分の気持ちを押し付けることでしか、大切な人を守ることの出来ない強欲な人間なんだよ。相手の思いなど考えず、ただ自分の決めた事だけを貫き通す愚かしいまでの利己主義者だ―――でもね、いつかこの愚かさが僕自身の足元を掬うことになったとしても、後悔はしないって…そう決めてるから」
 きっぱりと言い切った横顔は強く、逃げることに慣れすぎたこの目には直視出来ないほどに眩しくて―――テッドは思わず瞳を伏せる。
 傲慢な自分自身を愚かしいと嗤いながらも、その痛いほどの決意からくる強さは、確かに彼があの霧の船で見せたのと同じもので。人を信じることなど疾うに忘れていた自分にさえ、この手を取りたいと思わせた、鮮烈なまでの輝きが確かにそこにあった。
 他でもないその強さこそが、彼自身に苦難の選択を強いている枷なのだとしたら、これ以上の皮肉はないのだけれど。
「………バカだな。おまえ」
「知っているよ」
「本当に……バカだ」
「でも僕は、僕に嘘を吐きたくないから」
 吹き抜ける海風に目を細めながらも―――カルマの瞳の奥は揺らがなかった。
 静かに――ただ静かに――己を待ち受ける運命すら己が自分で選んだのだとでも言うような確かな覚悟を持って。どこまでも透明なそれを、テッドは泣きたいような気持ちで見詰めた。
 おまえは怖くはないのか?裏切られることが。
 信念と誠意が必ず実を結ぶ、そんな保障は何処にもないのに。
 そんな曖昧なものを、どうしておまえはそこまで確かに信じられる?
 視線に乗せた無言の問い掛けが聞こえたのだろうか。カルマは海風を孕んで靡く栗色の髪をかきあげると、テッドに向かって微笑んだ。
 海から零れた宝石のように深く碧いその瞳は、穏やかな中にも底知れぬ光を湛えて、どんな言葉よりも雄弁に、その心情を物語っていた。
 きっと、己が身を滅ぼすほどの強い信念さえも、彼にとっては呼吸をするのと同じくらい、自然にそこにあるものなのだろう。
 人の意志は時に運命をも動かす。
 一度は全てに絶望した自分にさえ、そう思わせずにいられない鮮やかな瞳だった。


「カルマ様!!前方に何か見えます!!…人……?人です!!」
 見張りのニコの声が、海風を切り裂いて、甲板中に響き渡った。
 それまで微動だにしなかったカルマの肩が、びくんと大きく跳ね上がる。
「すぐ行く、船を可能な限り寄せてくれ!!それから小舟の用意を!!救出には僕が出る!!」
 叫ぶなりカルマは身を翻し、振り向くことなく駆け出していく。その足取りに迷いはなかった。
 遠ざかっていく後ろ姿を見送って、テッドは、ふっと吐息をつくように微笑する。
 きっと、彼には躊躇う必要など最初からないのだろう。
 喩え、どれほどに世界が歪んでも、彼の信じた道こそが彼にとっての「確かさ」なのだから。
 祈るような気持ちで胸にあてた右手に、護るように触れた左手の温もりを思い出す――。
 初めて会った時………奈落に吸い込まれるが如くに宙に投げ出された自分に、躊躇うことなく伸ばされた力強い手―――。
 人が生きるのに真実が必要なら、俺にとっての真実はあの手で良い。
 俺にもう一度未来をくれたおまえに、俺も俺自身の精一杯の確かさをもって応えよう―――。



 手摺りから身を起こし、テッドはカルマの後を追って、静かに歩き出す。
 彼の選んだ「真実」の結末を、この目で見届ける為に―――。
















勢いに乗って途中までは一気に書き上げたのですが、
書いてる最中で段々訳がわからなくなってきて、最後は無理矢理こじつけた感じになってしまって脱力…あー。
相変わらずテッドと4主の関係が掴めておりません…つか、ウチの2人はお互いを認め合ってはいるものの
お互いの間にある微妙な距離を埋めて近付こうという努力はしようとしないので
いざ話を書くとなると非常に動かしづらくて悩みます…。むー。





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