コーヒータイム










 サロンの扉を開けると、そこには芳しい香りがいっぱいに広がっていた。
 全く覚えのない香りではないが、この船ではあまり馴染みのないそれに、カルマとスノウは思わず顔を見合わせる。
「ああ、カルマ様。いいタイミングだわ。丁度今、コーヒーを淹れたところです。飲んでいきませんか?」
 カウンターの向こうからサロンの女主人が朗らかな笑みを二人に向けた。
 ここに置いてある飲み物は酒の類が大半を占めるが、アルコールを飲めない乗組員の為に、茶や果汁なども常備してある。
 カルマ自身も時々この場所へルイ―ズの淹れた紅茶を飲みに来ていたが、そう言えばここでコーヒーを出された経験は記憶している限りではただの一度もない。
「珍しいですね、コーヒーだなんて」
 そう言うと、ルイーズは白磁器のカップに黒い液体を注ぎながら、器用にウィンクしてみせた。
「良い豆が手に入ったんですよ」
 女主人に手招きされて、カルマとスノウは勧められるままにカウンターに着座する。差し出されたカップは女主人の気持ちそのままのように温かい。何とも言えぬ良い香りが鼻腔をくすぐった。
 実はカルマは今までコーヒーというものを飲んだことがなかった。コーヒー豆は群島では高価な品であり、流通は主に貴族の嗜好品としてであることが多く、一般の人の口に入る機会はあまりない。カルマもフィンガーフート家にいた時に伯が嗜んでいるのを見たことはあるが、実際に口にするのはこれが初めてだ。
 カップにそっと唇を寄せ、恐る恐る啜ってみる。
「………!!」
 たちまち口いっぱいに広がる苦味に、カルマは思わず顔を顰めた。淹れてくれたルイーズの手前、何とか平静を装おうとするものの、想像していたよりもずっと刺激的な味に、自然と表情が歪んでしまう。声すら立てずに目を白黒させているカルマの姿に、ルイーズは堪えきれずに吹き出した。
「あっはっは。カルマ様のお口にはちょっと合いませんでしたか」
 決死の努力も空しく豪快に笑われてしまい、カルマはちょっと拗ねたように下唇を突き出すと、上目遣いにルイーズを睨んだ。こういう表情をすると年相応に子供っぽく見える。
 と、隣から落ち着いた声が聞こえた。
「ネイ産の高級豆だね。高地のほうの」
 スノウは優雅な手付きで、カップをソーサーに戻した。
「あら吃驚。正解よ、お坊ちゃま」
 ルイーズが大袈裟に両手を広げて驚いてみせる。カルマも目を丸くしてスノウを見詰めた。
「スノウ、コーヒー飲めるの?」
「あ、うん。父がコーヒー好きで、よく群島の商人から豆を買い付けてたから。僕も時々飲んでたよ」
 そうだった。伯が飲んでいるものをスノウも飲んでいたとしても何の不思議もない。
 カルマは自分の手の中のカップと、隣で大人びた仕草でコーヒーを啜るスノウとを交互に見やった。
「………」
 彼の隣にこうして座って、手の中のカップには彼が飲んでいるのと同じ飲み物。
 スノウの仕草を真似て、カルマはもう一度、カップに口を付けてみた。だが、口の中にはまだ、最初のひとくちを啜ったときの苦味が残っている。あの味を更に体験しようという気にはどうしてもなれなかった。
「………」
 溜息を零して、カルマは結局、カップの飲み物を口に含むことなくソーサーに戻す。
「苦手な味だったら無理して飲まないほうが良いよ」
 スノウが気遣うような声を出したが、だからと言ってそれで気分が晴れるわけでもなかった。

 折角同じ席にいて、同じ物を貰ったのに…僕だけ飲めないなんて!!

 よほど残念そうな表情をしていたのに違いない。見兼ねた女主人が宥めるように笑った。
「まあまあ、そんなに拗ねた顔しないの。ほら、これならきっとカルマ様も飲めますよ」
 彼女はそう言って、コーヒーの入ったカップの中に、ミルクを注ぎ入れ、ついでとばかりに角砂糖をふたつほど放り込む。匙でかき混ぜると黒い液体はみるみるうちに柔らかな褐色に変わった。立ち上る湯気にさえ甘い香りがついたような気がする。
「さ、これで大丈夫」
 ルイーズはカップを示して悪戯っぽく笑う。カルマは恐る恐る口を付けてみた。
「あ………」
 中の液体は、苦味が完全に消えたわけではないものの、驚くほど優しい味になっていた。香ばしさは幾分薄れたような気がするが、あの顔を顰めたくなるような刺激的な味はなくなっている。
「美味しい」
 カルマがそう言うと女主人は満足そうに微笑った。
「良かった。じゃ、次からカルマ様にコーヒーを出す時にはミルクと砂糖もつけることにしますね」
 ルイーズは一度店に来た客の好みはけして忘れない。カルマは安堵の微笑と共に頷いたが、ふと隣でスノウが飲んでいる黒いままのコーヒーを思い出して訊いてみた。
「スノウはそのまま飲んでも平気なの?こんなに苦いのに」
「うん。本来コーヒーは香りと、苦味の中にあるコクとを楽しむ飲み物だからね」
 事も無げにそう答えるスノウを見て、カルマは再び残念そうな表情になる。ルイーズの気遣いで飲めるようにはして貰ったものの、スノウにそう言われてしまっては取り残された感があるのは否めない。
 いつも感情の変化をあまり表に出すことのないカルマがここまで拗ねてみせるのは珍しい。そんな彼の様子を見たスノウは、なんとなく理由に気付いて苦笑する。少年らしくない大人びた表情で、常に人々の先頭に立ち続けるカルマが、しかし自分の前では年相応に子供っぽい反応を見せてくれていることに、いつの頃からかスノウは気付き、同時にその事を嬉しく思っていた。
 スノウは、自分のカップの中の液体を飲み干すと、ルイーズに向かって声を掛ける。
「もう一杯頂いてもいいですか?今度はミルクと砂糖も入れて」
「えっ?」
 隣の席のカルマは目を丸くするが、女主人も二人の様子から薄々気付いてはいたのだろう。心得たとばかりに頷いて、褐色の液体の入ったカップをスノウの前に差し出す。
 スノウはカップを取り上げ、ひとくち啜ってみせてから、カルマに向かって微笑んだ。
「ほら。これでおんなじ、だろ?」
 見透かされた事に照れたのか、カルマはちょっと剥れた表情をみせると、スノウの肩にコツンと額をつけて俯いてしまった。
 そんな彼の背中を宥めるように軽く叩いてやりながら、スノウは褐色のコーヒーの甘い香りに目を細めた。

(僕の好みには合わない味だけど―――偶にはこんなのも良いかな)



 それは何処にでもありそうな昼下がりの、ちょっとした出来事。














久し振りの更新ですが恐ろしく駄文で申し訳なく!!
このところ暗めなお話が続いていたので、ほのぼのしたのが書きたかったのですよ…!!
4主とスノウは兄弟みたいな関係だったら良いなぁ…と思います。
ルイーズの口調がよくわかりませんでした。こんな感じで良かったかしら…。





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