君がここにいたこと
















「おまえ、相当なバカだろう?」
 軍主である自分に向かって仏頂面でこんなことを言う人間は、この船にはひとりしかいない。
 カルマは悪びれもせず、しれっと答える。
「やっと気付いたの?」
 おまえなぁ…とたちまち眉を吊り上げるテッドにカルマは苦笑したが、彼の怒りは自分のことを心配してのものだとわかっているから、その気持ちを嬉しく思いながらも、胸の鈍い痛みを抑えることは出来なかった。





 オベル奪回戦、特攻を仕掛けてきたクールーク艦隊の自爆艦から仲間を守る為、カルマは左手の紋章を使った。そして、いつも紋章を使った後にそうなるように、カルマは昏倒し―――、目が覚めた時にはブリュンヒルデ号の中の自室にいた。
 力を解放した衝撃の名残だろう、身体の中で何かが燃えているかのような違和感がまだ残っている。焼け付くような喉の痛みも、不自然なまでの倦怠感も、まだ消えてはいない。だが、気だるさを堪えて伸ばした左手の甲に黒い刻印は依然として存在していた。それを確認し、自分の命がまだ尽きていない事を知ってカルマは安堵の溜息を洩らす。同時に、自分がこの部屋に静かに寝かされていたということは、オベルの解放はリノ達の手によって恙無く行われたのだろうと察して、カルマは口許に満足そうな笑みを浮かべた。
 これで戦の最大のヤマ場は越えた。後はより一層の戦力の増強を図って―――。
 そう考えながら、寝台の上へ上体を起こした所へテッドが入って来たのである。
「おまえ…!!」
 もうカルマの意識が戻っていたとは思ってもみなかったのだろう。テッドの手には水を満たした木桶と手拭いがあった。如何にも病人の様子を見に来ましたといわんばかりのその姿は、常日頃徹底的に人を避けている彼からは全く想像もつかないもので―――滅多なことでは動じないカルマも流石に驚いて、大きな瞳を何度も瞬かせた。
「テッド…お見舞いに来てくれたの?」
「…それ以外の用に見えるかよ」
 テッドは素っ気無く、だが何処か照れたようにそう言うと、持っていた物を枕元の卓に置く。そんな彼を見て、カルマはくすりと笑った。
 自分に寄せられる好意は棘のある言葉で突き返そうとするくせに、人のことになると放っておくことが出来ない彼は、やはりとても優しい人間なのだと思う。
「もう起き上がって大丈夫なのか?」
「うん。明日には普通に歩けると思う。ごめんね。心配掛けて」
 そう言った時だ。テッドの肩がピクッと震えたのは。
「…そう思うんなら、なんで使ったりしたんだ?」
「え?」
「死ぬかもしれないってわかってて力を使って、それで今更、心配掛けたことを謝るのか!?」
「テッド………」
「…その紋章使うの、今日で一体何度目だ?知らないって訳でもないのに、何でそんなに簡単に命を放り出すような真似が出来るんだ?…このままじゃ本当に…死ぬんだぞ、おまえ…」
 消え入りそうな語尾に、言いたくなかった言葉を言わせてしまった罪悪感を感じて、カルマの表情は翳る。テッドの言っていることは脅しでもなんでもなく、正しく事実であったから。だから、余りにも自分の命に頓着していないかのような自分の行動が、彼の気に障るのだということは痛いほどに承知している。
 だが、彼のその優しさに、応えてやれない自分であることも、カルマはまたはっきりと自覚していた。
「ごめん……でも…」
 だから、謝罪はしても、改めるつもりはない。
「あの時はあれしか方法はなかったし…今後もまた同じようなことが起こったら、僕はやっぱりこの紋章を使ってしまうと思う。きっとね」
「なんで…!!おまえがそれを使う度に、周りがどんな思いをしているか、知らない訳じゃないだろう!!?」
 激昂してテッドは傍らの卓を拳で叩く。突き刺すような琥珀色の視線を、カルマはしかし逸らさずに正面から受け止めた。
 彼の怒りはわかる。痛いほどにわかっている。
 勿論カルマとて、死に急いでる訳でも自殺願望がある訳でもない。死にたいかと訊かれれば、答えは当然、否、である。だが、何をしてでも、どんな手を使ってでも生き延びたいかと問われれば、どうだろう…というのが正直なところであった。確かに生きることを諦めたという気持ちは微塵も無いのだが、自分の周りに在る人々の危機に、果たして何もせずにいられるかというとそれは無理な話で。考えるより先に身体が動いてしまう自分自身をよく知っているが故に、紋章に命を食ませずにこの戦いを終えるのは不可能だろうという推察は最初からあった。だから結果的に紋章によって命を落とす羽目になったとしても、それは仕方の無いことだとカルマは思っている。その気持ちを諦めと呼ぶつもりはなかったが、テッドはきっとそう考えてはいないのだろう。
 けれど…わかって貰おうとは思わない。
 この思いは悲愴な決意でも覚悟でもなく、カルマがカルマ自身であるという証だから。
「ごめんね…テッド…。でもきっと、僕は僕の思いを捨てられない。
皆が僕を思ってくれてるのと同じように、僕は皆が大切だから。
だから、紋章を使うのは、僕にとっては犠牲になることじゃない。
皆の為に、僕に出来ること―――僕にしか出来ないことをやっているだけなんだよ」
 テッドの顔がふっと歪む。奥歯をぎりっと噛み締めて、苛立たしげにカルマを見据えた。苦しそうな顔だ、とカルマは思った。
「そうして身体を張っても…命を賭けても……。戦いが終われば、忘れるぞ…人は…」
 カルマという人が、ここにいたことを。
 自らの命を代償にしながら、それでもこの海を守ろうとした少年の存在を。
 少年がこの世から消えた後―――過ぎ行く時の狭間に、人は残酷に忘れ去るだろう。
 だが、カルマは海色の瞳に揺るぎない光を湛えて、穏やかに微笑んだ。
「忘れてくれても、いいんだよ」
 驚いたのだろう、テッドは琥珀色の瞳を大きく見開いた。驚かせるようなことを言った自覚はあったから、カルマは小さく苦笑する。
 けれど、今告げたことは紛れもなく、自分の本心で。だから撤回も弁解もしない。
「皆が、僕のことなんて忘れてしまうくらいに幸せになってくれるのなら。それで、いい」
 テッドは拳をぐっと握り締めて、そのまま俯いた。小さく震える肩は、まるで泣き出すのを堪えているかのようで。カルマは何も言わずに、そんなテッドを見詰めていた。
 やがてテッドは顔を上げ、呆れたような表情を此方に向ける。
「おまえ、相当なバカだろう?」
「やっと気付いたの?」
 悪戯っぽく笑いながら、肩を竦めて答えてみせる。
「おまえなぁ…いっぺん本気で死んだほうがいい。そうしたらちょっとはバカも治るかもしれねーぞ」
「う〜ん、死んだくらいで治るような可愛らしいバカだったら、今頃こんな所にいないと思うけどなぁ…」
「自覚があるんなら、ちったぁ改善すべく努力しやがれ。それで周りがどんだけ苦労してるか考えろ」
「こんなバカを軍主にしたのは他でもないその『周り』の方々ですから。まぁここはひとつ、持ちつ持たれつということで手を打ちません?」
「…おまえそれ、言葉の用法、間違ってるから…」
 そう言って、脱力したとばかりに卓に突っ伏してしまったテッドに向かって、珍しくも声を立てて笑いながら、カルマはふと、何処か遠くを見詰めるような目になった。





 移ろいゆく時の中、いつしか僕は、この世界から忘れられてしまうかもしれないけど。
 だけど今は、僕の目の前に、僕の為に泣いてくれる人がいる。
 それを嬉しいと思うことは―――罪でしょうか?













ウチの4様はある意味、物凄く我侭な人です。
人には死んで欲しくないと思ってるのに、自分が死ぬなと言われると戸惑ってしまう方。
更には死ぬつもりはないけど、自分の命を投げ出す事に躊躇いのない方。矛盾しまくりです。
テッドの額から青筋が消える日が来るのは、まだ当分先の事のようです(笑)



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