はらり、はらり。花が流れる。海へと還る葬送の列を導くかのように。 物言わぬ彼らの最後の旅路が、せめて安らかであれと祈る資格は、果たして自分にあるだろうか。 |
エレジー
元は名も知らぬ小さな漁村だった所だ。惨劇の爪痕は鋭く生々しく。運命の女神の悪戯と呼ぶにはそれは余りにも残酷な光景だった。 群島の民は皆、海から生まれた。だから役目を終えた身体はまた、海へと還す。 浜に集められた遺体を花で飾り、酒を注いで清める。本当なら定められた装束に着替えさせてやりたいところなのだが、数の多さに、流石にそれは断念せざるを得なかった。せめて顔だけでも綺麗に拭いてやり、同じく花で飾られた小舟に乗せる。 誰もが敬遠しがちなこの作業を進んでやっているのは、他ならぬ軍主である。言葉少なく、その表情も殆ど変わらないが、それでも哀れな死者達を他の誰よりも丁寧に扱った。群島の古い挽歌を口ずさみながら、自ら摘んできた花を海に流す。 海に生きる者たちの歌声が響く中、小舟は静かに旅立ってゆく。見送る者の胸に重い軌跡を残して。 切っ掛けは、ちょっとした小競り合いとしか呼べない程度の戦闘だった。 群島には、ナ・ナルやネイ等の大きな島以外にも、地図にすら載っていないような小島が数多く点在する。少数ながらも、人が棲んでいる島も幾つかあった。 この船…ブリュンヒルデ号が海賊達の襲撃を受けたのは、やはりそんな島の近くを航行している時だった。 この海域で、自分達に喧嘩を売ろうと考える海賊達は実はそれほど多くはない。戦力差を考えれば当然の事だろう。勝てない戦はしないのが得策である。だが、今や群島全域にその名を轟かせるブリュンヒルデ号を討ち取ることは手っ取り早く名を揚げたいと考える若い海賊達には魅力的な誘惑だというのも事実のようで。時には数を頼みにして無謀としか呼べないような襲撃を掛けてくる血気盛んな輩もいない訳ではなかった。尤も、所詮は烏合の衆。闇雲に突っ掛かってくる連中は今まで全て綺麗に返り討ち。招かれざる客人たちの壮大な夢が叶えられた事はただの一度とてない。 この日の襲撃もそれは変わらなかった。数が多いのは相変わらずだったが、機動力も、紋章砲の威力も、彼方と此方では大人と子供ほどの開きがあった。 此方は、常日頃行動を共にしていたガイエン船を所用で遠方に派遣していたが、それでもブリュンヒルデとグリシェンデ、あの海神の申し子率いるクールーク第一艦隊が相手ならばともかく、艦隊戦の経験すらまともにない小物の海賊に戦力で遅れを取るには至らない。 白兵戦で一気に片をつける手もあったが、味方に負傷者を出したくないとの船長の判断だろう。戦いは紋章砲での砲撃戦に持ち込まれた。周りを囲まれぬよう島の入り江に布陣し、相手の出方に応じて、その時々で最も適した砲で応戦する。どちらかと言えば守りに重点を置いた布陣なので、撃退には多少時間が掛かるだろうが、此方の被害も最小限で済むだろう。元より負ける戦ではなかった。 油断をしているつもりはなかったが、状況に慣れすぎていて考えが及ばなかったところがあるのは事実だろう。そしてこの時は、それこそが悲劇を生んだ。 双方が撃ち合う紋章砲の衝撃により、標準の狂った敵船の放った砲の一つが、背後にあった島の漁村を直撃したのだ。 「―――――――!!」 一瞬の出来事だった。 不吉な黒煙が上がる。それを目にしてカルマは息を呑んだ。小さな島ではあったが、問題の漁村は戦闘の行われている入り江からはかなり外れた場所に位置していたのだ。まさしく不運としか呼べない流れ弾だった。 突如として起こった悲劇にブリッジは水を打ったように静まり返る。重苦しい沈黙は時が止まったかのような錯覚を起こさせた。 その凍り付いた空気を引き裂いたのは、カルマの張り上げた一声だった。 「紋章砲、打ち方用意!!標準、敵艦隊旗艦、メインマスト!!」 聞きなれた軍主の声に、明らかな怒りの気配を感じ、乗組員の間にさっと緊張が走る。 「発砲と同時に進路転換、全速前進!!敵艦隊の中央を突破!!一気に蹴りをつける!!」 「りょ、了解!!」 伝令が飛び交い、ブリッジは俄かに慌しくなる。空気がピンと、耳が痛くなるかと思うほどに張り詰めた。 切り込むような鋭い視線で、カルマはじっと敵艦隊を見詰めていた。固く握り締めた掌にじっとりと汗が滲んでくる。全身の神経を目の前の敵に集中する。その耳に紋章砲の発砲音が響くのが届いた。 文字どおりの全滅だった。 海賊達を追い払った後、カルマはすぐに島への上陸を命じた。今ならまだ助けることの出来る者がいるかもしれない。 だが、微かな望みは残酷な現実の前に無残にも打ち砕かれた。 海賊の放った砲撃は、かつてイルヤを襲った脅威に比べれば、それこそ児戯にも等しいささやかな威力でしかなかったが、それでも、ここに住まう人々の穏やかな暮らしに終止符を打つには充分だった。 尽く倒壊した家屋が、衝撃の凄まじさを物語っている。血と死臭に塗り潰された村は、元々口数少ないカルマの言葉を更に失わせた。 「―――あの状況じゃ仕方なかったさ。この村が不運だったんだ。お前の所為じゃない」 惨劇を前に立ち尽くすカルマの肩にそっと手を置いたのはリノだった。 勿論彼の胸中にも遣り切れない思いはあるだろう。オベルから離れているとは言え、同じ海の民同士、見知らぬ者であってもその絆を大切にする心はこの海域に生きる人々の中に深く根付いている。努めて平静を装っていても声に含まれた沈痛な響きは隠し覆せるものではなかった。 長い長い沈黙のあと、ポツリと呟くようにカルマは言った。 「…そうかもしれません」 吹き抜ける砂混じりの風に栗色の髪を靡かせながらカルマは振り返った。落ち着きを取り戻した海色の瞳がじっとリノを見上げる。 「でも―――ならばせめて弔いを。誰の所為でもないのに命を落とさねばならないのは余りに理不尽だから。戦争だから仕方ない――――そんなひと言では許されない。…………そう思う」 その晩、船はそのまま島に停泊した。作業をしているうちに日が暮れてしまったので、出航を見合わせたと言ったほうが正しい。 鎮魂の重い雰囲気はまだ島全体を包んでいる。幾人かは船に戻ったようだが、大半の者は今夜は島で過ごすつもりなのだろう。あちこちで野営の為に熾された焚き火は、黄泉路を照らす送り火のようにも見えた。 葡萄酒の入った酒瓶を手に、テッドは砂浜を歩いていた。件の漁村からは少し離れた所まで来た所為か、人の気配もここまでは感じられない。月明かりは煌々と眩しく、視界には困らなかった。穏やかな波音を心地よく耳にしながら、宛てもなく歩を進める。 その目線の先に蹲る人影があるのに気付き、テッドは口元に苦い笑みを浮かべる。 (やっぱりな……) 彼との付き合いは長くはないが、こういう時に一人になりたがる性分である事はすぐに気付いた。そういう人間なのだから放っておけば良いのだと、深入りは時として破滅を招く行為であることは重々承知しているはずなのだが、テッドはどうしても彼から目が離せなかった。弔いの感傷に気紛れを起こしただけだと自身に言い訳して、テッドは彼の傍まで歩み寄る。 「……」 声を掛けはしなかった。カルマは黙ってじっと海を眺めている。まったく気配を隠すことなく近付いたから、よもや気付いていないということはないだろう。 テッドも言葉もなく彼の隣に腰を下ろす。カルマは一瞬此方に目をやったが、すぐに視線を前方の海へ戻した。 手の中の酒瓶を煽る。熱い雫が胃に落ちた。一口呑んで、テッドは酒瓶を軍主に無言で手渡した。受け取った彼もやはり無言で静かに煽る。 心情を吐露するのに酒の魔力を借りようとは思わないが、溜め込んだ物を逃がす道とて時には必要だろう。 軍主から返された瓶を手にしてテッドは立ち上がった。そのまま彼を背にして海へ向かって歩き出す。 足元に波が届くかと思われる辺りで立ち止まり、瓶を海へ向かって傾ける。流れ落ちた酒は波に攫われ、闇に呑まれて消えていく。 カルマは何も言わない。 空になった酒瓶を手に、テッドは軍主を振り返った。その表情は逆光に呑まれて伺いしれないが、穏やかとしか言いようのない気配に逆に底知れない翳りを感じて、テッドは眉を顰める。 「………おまえ。自分の所為じゃないだなんて、これっぽっちも思っていないだろ?」 テッドを見詰める瞳は揺らがない。テッドも負けじと睨み返した。張り詰めたような静寂が周囲に満ちる。寄せては返す波の音すら空々しく聞こえるほどに、痛く、重く。 沈黙に先に耐え切れなくなったのはカルマだった。 「避けようと思えば避けられた事態だった。入り江に布陣せず、敵旗艦に乗り込んで白兵戦に持ち込むことも出来たし、グリシェンデの機動力を生かして相手を撹乱することも可能だった。砲撃戦に拘るにしても、相手の紋章砲のタイミングをもっとしっかり計っていれば流れ弾なんて撃たせやしなかったし、そもそも最初から本気で攻めていれば、あんな事が起きる前に決着は着いていたはずだった。―――これは確かに戦争で、そして僕はこの軍の指揮官だ。勝とうが負けようが、僕の判断一つで大勢の人が死ぬ。ましてや今回の犠牲は完全に僕の判断ミスが招いたことだ。…………責任を感じるなというほうが無理な話だよ」 カルマがここまであっさり胸の内を明かすのは珍しい。たった一口の酒の所為という訳ではないだろうが、彼とて気紛れを起こしたくなる時もあるだろう。いつになく気弱なのは、やはり弔いの感傷の所為かもしれないとテッドは思う。 「償わなければならない罪がどんどん増えていくね…。罰の紋章に好かれる訳だ。この戦いが終わるまでは何とか持ち堪えて欲しいものだけれど、果たしてそれも許されるのかどうか…」 「………」 バカ、と怒鳴ってやろうかと思ったが、そんなことはきっと彼も百も承知だろう。 何より、魂を奪うことの残酷さと罪深さは自分が一番よく知っている。 彼が自分を責めることこそ仕方のないことなのだ。 だから、代わりに口にする。 救いにも慰めにもなりはしないとわかっていても。 「………おまえが望んだ戦いじゃねぇだろ……」 「うん……」 消え入りそうな小さな声でカルマは頷き、でも、と続けた。 「それでも選んだのは僕だ。だから逃げることは出来ないし、逃げたいとも思わない」 不器用なヤツだ、と思わずにはいられない。 だが、迷いを知らないこの瞳こそが、自分をあの霧の船から導き出す鍵となったのだ。 望まぬ悲劇に傷つこうと、残酷な現実に打ちのめされようと、カルマはどこまでもカルマだった。 ならばせめて。彼の進む先に僅かにでも光をと、そう願わずにはいられない。 「―――それで全部背負い込んで、身動きが取れなくなっちまったんじゃ意味ねぇだろ」 テッドの言葉にカルマは微かに目を見張る。 「捨てろとは言わない。けど、おまえ一人が全部抱え込んで、それでどうなるものでもない。少しぐらい、周りに分けてやったって構やしねぇさ。あんなにいっぱい船には乗ってんじゃねぇか。肩を貸してやろうなんて考えるお人好しが一人くらいはいるかもしれないぜ」 常になく饒舌なテッドに、カルマはようやく、その瞳に微かな笑みを見せる。 「テッド。本当に構われたくないんだったら、そうやって人を甘やかすのやめたほうが良いよ」 「甘えもしない可愛げのないガキに言われたくねぇな」 「僕のはただの親切な忠告だよ」 「自分で親切だなんて言ってんじゃねぇよ」 むすっとした表情で、テッドは再びカルマの傍まで行き、その隣に腰を下ろした。 砂浜に並んで二人、視界に同じ海を映す。テッドは右手を伸ばして、そのままカルマの肩を引き寄せた。カルマは意外にも抵抗なく、テッドの肩に凭れ掛かる。 「………いいから、偶には素直に甘えてろ」 明日はきっと雨だね、と呟くカルマの後頭部をコツンと軽く小突いてやる。 細波のように広がる笑みの気配に、いつしかテッドの口元も綻んでいた。 全てを包み込む夜の闇に、見えない涙をひっそりと流しても。 朝になれば、コイツはまた戦場に立つのだろう。振り返ることもなく。 だから今はせめて、この伸ばした手の温もりが彼の救いになればと、 切に願う。 |
ちゃ、ちゃんとテド主になっておりますでしょうかドキドキ(汗)
今回は珍しくもスノウの面影を引き摺っていない4様です。
甘々ラブラブな雰囲気とはほど遠いですが、ウチの可愛げのない4様ではこれが精一杯!!
つか、ウチのテド主はあくまで主スノが根底にありますので
この2人がこれ以上近付くことはないと思われます…鬼?(爆)
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