ブルー ノッテ







 軍主が海に落ちた、との知らせに、静かだった船上は一気に騒然となった。
何しろ巨大な船である。どんなに腕の良い操舵手がいてもすぐに停止出来るものではない。潮の流れの速いこの海域では尚のこと。
 だが、だからこそ、僅かの遅れが落ちた人間の生死に関わる。ましてや落ちたのは他ならぬ軍主その人である。誰もが必死になった。
 一際大きな揺れと共に、ようやく船がその場に止まったときには、既に彼は船から離れた波間にあった。
 海流に流されながらも懸命に泳ぐその姿は、何かを探しているかのように見えた。
 即座に小舟が下ろされ、救助活動が始まる。
船内の全ての人の祈る中、小舟が無事にその役目を終えたのは、それから一刻ほど経ってからであった。
 ぐったりとした軍主が、シグルドに支えられて船に戻ってくるのを、テッドは遠巻きに眺めていた。
 この頃にもなると周囲の会話から大体の状況は掴めてくる。どうやら軍主は誤って転落した訳ではなく、自ら進んで海に飛び込んだらしい。
 一体何をやっているんだと怒鳴りたい衝動に駆られたが、今にも倒れそうな彼が、それでも その腕に固く抱き締めていたものを目にして、全てを理解する。
 ところどころ破れかけた一枚の上着。その色彩の鮮やかさ。
水に重く濡れてなお艶やかなその翡翠は、彼がこの世で最も愛した色であったから。





 波音に誘われるように甲板へと出たのは、何か予感があったからかもしれない。
 静寂に包まれた夜の海は、穏やかに闇を湛えて昏く、深く。
 凪いだ水面は、遠い昔に置き忘れたかと思っていた、優しい時間を思い出させる。
 細波と自分の靴音だけが響く中、テッドはゆっくりと星空の下にたつ。

「――――――」

 そこに、彼が居た。

 昼間の出来事を思って、テッドは盛大に顔を顰めた。
 体力だってまだ回復してはいないだろう。こんなところにいていいヤツじゃない。
 だが、他ならぬその「昼間の出来事」こそが、彼の足をここへと向かせたそもそもの原因だろうことは容易に想像がつく。
 引き上げられたあの上着は今はフィルの手元にあるはずだ。常になく動揺を隠せない軍主に、彼の心を少しでも和らげようとの配慮だろう、群島一の仕立て屋は進んで修繕を申し出た。
 だが、服は直せても。肝心の、それを纏うべき人は今。

 彼は、不安なのだ。

 それが手に取るようにわかったから、テッドは彼へと踏み出す足に力を込める。

「何をやってるんだ。こんなところで」

 掛けた声が存外に苦々しい響きを持ってしまった事に気付いて、テッドは内心舌打ちする。
 振り返った軍主の碧い瞳は、夜の影を深く映して、底は見えない。

「テッド」
「安静にしてろって言われなかったか?今にもぶっ倒れそうな顔色してるぜ」
「僕は大丈夫だよ」
「嘘つけ。本当に大丈夫なヤツが、夜中に一人でこんな所へ来るもんか」

 俺を含めて―――とは胸のうちでだけ呟く。
 図星を差されたらしい軍主は瞳に困惑の表情を浮かべる。滅多にない事だった。
 だが。
 それでも彼は本心を語ろうとはしない。
 ―――いつからだっただろう。彼の心の闇に気付いたのは。
 相手が誰であろうと分け隔てなく接し、穏やかな笑顔を見せるこの少年は、その実、自らの領域には誰も踏み込ませぬように振舞っていた。
 彼とは長い付き合いではない。戦闘に駆りだされることが多い為、顔を合わせる機会は割りと多いほうだと思うがそれでも友好な関係を築いているとは言い難かった。だが、こう見えても人の心の機微には聡いほうだと自負している。伊達に150年生きてはいない。
 周りが気付いているかどうかは知らないが、彼の周囲にはたしかに「壁」があった。
 自分も周囲に「壁」を作りながら生きてきた身だ。彼の振舞いに自分と同じ匂いを嗅ぎとったとしても不思議ではない。だが、彼がそういう生き方をするのは左手の所為ではないという事にもすぐに気付いた。
 おそらく彼は昔からこうなのだろう。誰も受け入れず、誰にも受け入れられる事を望まない。
 そんな彼が、自ら海に飛び込んで見せるほどに執着した存在。





 感情の揺らぎが夕闇のヴェールを透かして震えるほどに伝わってくる。それだけでも、彼の受けた衝撃がどれほど大きかったか知れようというもの。
 だが。それでも。
 彼は自らの思いを、心の声を、形にしようとは…誰かに伝えようとはしないのだ。
 そのたった一人の存在を除いて。

 普段のテッドなら、語りたくないなら語らなくても良い、と何も言わずに引き下がったところだが、どういう訳か、この時は苛立ちを抑えきれず。
 気が付けば軍主の左手首を右手で掴み、声を荒げていた。

「言いたいことがあるんならはっきり言え!!そういう中途半端なのが一番ムカつくんだよ!!」

 腕を引かれた衝撃でさらりと揺れた栗色の前髪の下、さざめく碧い海がテッドを見つめた。
 射るような強い琥珀の光に驚いたのだろう。これほどまでに感情を剥き出しにしたテッドを見るのは初めてだったから。

 親愛も憎悪も執着も孤独に哭く声も。
 俺には持つことを許されないものたち。この右手に死神がいる限り。
 だけど、おまえはそうじゃない。そうじゃないだろう?


 見開かれた碧い瞳がふっと、穏やかに微笑んだ。

「テッドは、優しいね」
「なっ………!!?」

 思いも寄らないことを突然言われて、今度はテッドがうろたえる番だった。
 挑むような光を取り戻した碧い瞳にぎくりとし、手首を掴んでいた手を離し、力なく目を逸らす。
 見る者の胸を灼く、真っ直ぐな光。見透かされたのは果たしてどちらだったか。

「心配してくれてありがとう」
「別に…心配してた訳じゃねえよ」
「でも、気に掛けてくれてたんだ?」
「………おまえに何かあったら、困るヤツがいるからな」

 敢えて誰が、とは言わない。
 軍主は、全てわかったといったふうに、微笑みながら頷いた。

「覚えておくよ。…でも、もう大丈夫だから」
「…あのな」

 おまえちっともわかってない、と呆れ顔を浮かべたテッドに軍主は苦笑し、それじゃ僕はそろそろ部屋へ戻るから、と踵を返す。

 だが、一瞬。

 擦れ違い様の一瞬。軍主は足を止め、こう囁いたのだ。

「僕はね。本当は月になりたかったんだよ」

「――――――は?」

 意味がわからない。だが、軍主はそれきり振り返ることなく、船内に通じる扉の向こうに消える。
 わからないならそれでいいんだ。その背中はそう語っていた。


 月―――月。そう言えば今宵は月がない。
 満ち欠け、移ろいゆくその光は、優しくはあったが彼には似合わないように思う。
 彼の魂はもっと鮮烈なものであったから。そう、寧ろ月というよりは―――。

 そこまで考えて、唐突にテッドは気付く。

 月は自らは輝かない。陽の光を受けることによって、初めて己の存在に意味を見出す。
 だが周囲が求めたのは、自分達を導く不変の光だった。
 生を受けた瞬間から輝く力を持ってしまった哀れな月は、いつしか人々を照らす希望となった。
 しかし、彼の望みが月で在り続けることならば、彼と共にあるべき太陽は―――。





「あのバカ―――寂しいなら寂しいって、泣けばいいじゃねぇかよ…」





 しじまに零れた独白に、答えるものは誰もいない。





 碧い夜。
 星々の呼び声に導かれるようにして、
 孤独な月は今日もまた、主のいない空に昇る。




 まだ見ぬ遠い夜明けを思い、琥珀の瞳はゆっくりと天を仰いだ。












頑張ったつもりですが、割りと普通に玉砕してるっ…!!
元ネタはわかる人にはわかる一人主スノ(笑)なんですが、
4主が服を抱き締めて終わり…じゃお話にならないので(笑)テッドさんに頑張ってもらいました。
…が、ウチの4主は思った以上に頑固者だった…!!
つか、幻水小説2作目が主スノ前提テド主って…なんだってそんな茨道を行くのか…
ウチの4主とスノウはすれ違いカップルですが(爆)
4主とテッドはそれ以上の勢いで、すれ違いを繰り返す間柄のようです(汗)
報われないなおまえら…!!



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