■ただひとつだけ 伝えたい言葉■







 風邪を、ひいた。




 熱はないし、身体もそれほどダルくはないんだけど、見事なまでに喉をやられてしまった。咳は止まらないし、声はがらがらだし。……マジ最悪だし。
(あーーーー…失敗したしー……)
 喉の痛みは、実は一昨日の夜からあった。けど、ちょっと何か引っ掛かるなー、くらいの痛みだったし。ただ、大したことないと思って、昨日イタリアと一日中外で遊び倒したのはマズかったかもしれない。イタリアんちは俺んちより暖かいから大丈夫だろうと思って、冬が近付いているというのに薄着のままだったし。喉の痛みが段々酷くなってる自覚はあったけど、イタリアといると話が弾むから、ついつい調子に乗って喋りすぎたし。
 で、家に帰ってから。疲れていたもんだから、うがいもせず、薬も飲まずに、そのままベッドに飛び込んで。
 朝になったら、このとおりという訳だ。
 余りにも見事な自業自得ゆえに、溜息を吐いて自己嫌悪に陥るしかない。
 取り敢えず医者に行って、咳止めとうがい薬は貰ってきたんだけど。そんなすぐに良くなるもんじゃないし。声が出ないんじゃ仕事にならないので、仕方なく上司にメールで連絡すると、幸いにも今は急ぎの仕事はないから、暫く休んでよしとのことだった。
 思いも掛けず降って湧いた休暇。けれどこんな状況じゃ、嬉しくも何ともない。
(遊びに行く訳にもいかんしー……)
 大人しく家に帰って、たったひとり。ゴホゴホ咳き込みながら、ぽつりと天井を見上げて座り込んでいると、急に自分が世界の全てから取り残された気がして、虚しくなった。
(―――俺んち、こんなに広かったっけ……?)
 話し声がない。それだけで、見知ったはずの家が、火が消えたように寂しくなる。
(喋れん俺とか、マジでありえんし………)
 気を取り直して、テレビをつけてみた。チャンネルを適当に変えながら、暫くモニターをぼんやりと見詰めてみる。―――数分と経たないうちに飽きてしまい、俺はテレビを消した。
 今度はCDを掛けてみる。流れ出した軽快なジャズは、俺の気に入りの曲のひとつだ。いつもならこれを聴くだけで心が弾むのに、今日は何だか気分が乗らない。何故かと考えて、はたと気付く。俺はこの曲が流れると、いつも一緒に口ずさんでいた。けれど今は、声が出せないから歌うことは出来ない。無理に歌おうとしても咳き込むだけだ。何だか益々気が滅入ってしまって、結局CDを聴くのもやめてしまった。
(マジで……何もすることないし………)
 いや、一人なら、やらなきゃならないことは逆に多いはずだ。
 掃除も、洗濯も、食事の準備も。やってくれる存在が他にいないなら、自分でやるしかない。
 そう―――今この家に音がないのは、俺だけの所為じゃない。
 リトがいない。だからだ。
 俺は携帯電話の着信履歴を確認してみた。昨日の朝に別れてから今日まで、リトからは何も連絡は来ていない。
 暫く会えないだろうことはわかっていた。それどころか、メールも電話も当分は来ないだろうことも。つーか、俺が風邪をひき込んだそもそもの原因は……リトと喧嘩したことだし。
 昨日、リトの家に遊びに行っていた俺は、そこで偶々見付けてしまったのだ。リトが自室のデスクの引き出しの中に、大切に仕舞っていた一枚の写真を。
 それは、俺の知らない間に撮られた写真だった。
 中央には、どっかりとロシアが腰掛けて、その右隣にはウクライナが、左隣にはベラが陣取ってる。後ろに並んで立っているのはバルトの三人。向かって右から順に、エストニア、リト、ラト。まだリトたちがロシアの家で、ソビエト連邦として暮らしていた頃に撮られたものだ。写っている顔は、和やかとは言えないまでも、皆それなりに笑顔だった。
 ロシアといえば、俺にとっては嫌な思い出しかない。俺とリトを無理矢理引き離したり、俺の家をメチャメチャに荒らしたり、リトの身体に傷を付けたり。だから、そんな奴の家に囚われていた時間なんて、リトにとっては苦痛でしかない。思い出したくもない過去でしかありえない……俺はそう考えていたのだった。
 でも、写真の中のリトは、それこそあいつお得意の作り笑いなのかもしれんけど、それでも綺麗に笑っていて。
 じっと見ているうちに、俺は段々イライラしてきた。
 何でそんな時に撮られた写真を、大事に持ってるんよ?
 何で、ロシアなんかと一緒に撮られた写真の中で、笑ってられるんよ?
 悔しくて、もうどうにも我慢がならなくて。気が付いたら俺は、その写真を真っ二つに破って、ゴミ箱に突っ込んでしまっていた。
「ポーランド!!何でこんなことしたの!?」
 捨てられた写真に気が付いたリトは、怒りを露わにして俺にそう言った。当然だ。
 けど、この時俺に言葉を吐かせたのは、悪いことをしたという気持ちよりも、悔しさのほうだった。
「じゃ、リトは俺と一緒にいるより、ロシアんちにおったほうがいいん?」
「誰もそんなこと言ってないでしょ?話を摩り替えないでよ!!」
「こんな写真大事に持ってるとか、意味わかんなくね?ラトやエストニアはともかく、ロシアの顔とか、俺だったらわざわざ手元に置いといてまで見たくないし!!」
 リトは困ったような顔になったけど、それでも厳しい声の調子は変えなかった。
「あのね、どんな理由があったって、人のものを勝手に捨てるなんて悪いことだって、ポーランドにだってわかるでしょ?それに、おまえにはわからないかもしれないけど、俺にとっては大事なものだったんだよ。ロシアさんの家では、勿論辛いこともたくさんあったけど、その過去を否定してしまったら、俺は俺じゃなくなる。無駄なことばかりじゃなかった、大切なことも、笑える日もあったって……覚えておきたかったんだよ。皆で写ってるの、これ一枚しかなかったんだから……」
「知らんし!!そんなにその思い出が大事なら、さっさとロシアのとこにでも行けばいいし!!」
 捨て台詞を吐いて、俺はリトの家を飛び出した。多分―――リトが追い掛けて来て「ごめんねポーランド、俺が悪かったよ」と言ってくれることを、心の何処かで期待して。
 けど、当然ながらリトが追い掛けて来る気配なんて全然なくて。
 久し振りに二人でのんびり過ごすはずだったリトとの休日の予定が、突然消えてなくなって。そのまま真っ直ぐ帰るのも癪だったから、腹いせにイタリアの家に押し掛けて、そのまま二人で遊びに繰り出し……その結果が、これという訳だ。
 沈黙したままの携帯電話を見詰めて、俺は深い溜息を吐いた。
(何で全然連絡して来んのよ。俺のこと心配じゃないん?)
 心の中で悪態を付いてみたけど、それが理不尽な言い分なのは自分でもわかっている。
 ―――無性に、リトの声が聞きたくなった。
 短縮ダイヤルの一番目。多分、目を瞑ってても出来る動作だ。けど、掛けたところで、今の俺は碌に喋れない。話せないのに掛ける訳にはいかない。いつもはあいつが何て思うかなんて全く気にせず、好き放題にリトを振り回しているのに。今は何故か躊躇われた。
 昨日のリトの困ったような顔を思い出す。厳しい――そして、少し悲しそうだった声も。
 何で、あの写真を見た時、あんな嫌な気持ちになったのか。今なら何となくわかる。
 多分俺は―――リトが、俺の知らない場所で笑っているのを見るのが嫌だったのだ。
 つくづく勝手な言い分だと、自分でも思う。
 リトがロシアの家で過ごした時間を、自分の一部として大切に思うのは当然だって―――俺にだって本当はわかっていた。俺がイタリアと友達になれたのだって、分割という歴史を経てきたからなのだから。
 リトと別れていた間、辛いこともたくさんあったけど、何もかも悪いことばかりじゃなかった。連合王国であった頃も、他国に侵略されたことも、分割も戦争も、何もかもを含めて俺は、俺という国の歴史に誇りを持っている。
 それはリトも同じはずで。
 なのに―――俺がそれを否定するとか、マジでありえんし。
 リトと話したい。今すぐリトの声が聞きたいし、言いたいこともたくさんある。
 俺らが最初に分割された頃は、電話なんて便利なものはなくて。どんなに会いたくても、形のない意志の壁が間に立ち塞がって、俺らを隔てていた。
 けど今は、声が聞きたいと思ったら。どんなに離れていても、例え地球の裏側にいても、手のひらサイズのこの機械が、ボタンひとつで声を届けてくれる。
 なのに……何で今、俺は声が出せないんだろう。
 考えるのも……起きているのさえ億劫になって、俺は食事もまともに採らずにベッドに潜り込み、毛布を頭から被った。






 ベッドの中でゴホゴホと咳を繰り返し、お腹が空いたら適当にパンを齧り。そんな自堕落で不健康極まりない生活が、三日ほど続いた頃。
 枕元のサイドテーブルに置いてあった携帯電話が、突然鳴り始めた。
 液晶を確認して、俺は思わず息を呑む。
 ―――リトからの着信だった。
「………もしもし。ポーランド?……リトアニアだけど―――」
 電話の向こうから聞こえてくるリトの声。たった三日聞いてないだけなのに、随分久し振りな気がする。
「先日送った書類のことなんだけど。修正が必要な箇所が幾つかあるから、明日の夕方までに―――」
 仕事の話を進めるリトの、他人行儀な淡々とした話しぶりに、まだ怒りが解けていないことを俺は察した。それでも今、リトの声が聞こえる、この電話の向こうにリトがいる―――その事実だけで、俺は胸がいっぱいになった。
 俺の声は、まだ掠れてはいるけれど、何とか会話出来るくらいまでには回復している。
 リト。俺、リトに話したいことがたくさんあるんよ。
 矢も盾も堪らず、胸に溜め込んだ感情を吐き出そうとして……開いた唇からは何も言葉が出て来なかった。
 ―――嘘。何で?
 いつもなら、何も意識しなくても、喋りたいことが次から次へと出て来るのに。
 今は……言わなきゃならないことが、伝えたいことがあるのに。それが言葉として出て来てくれない。
 こんなこと初めてで、頭の中が真っ白になった。
「―――?どうしたのポーランド?何かあったの?」
 俺が何も言わないことを不審に思ったのだろう。リトの声の調子が変わる。
 心配してくれてるのが嬉しくて。だけど、だからこそ余計に焦りが募って。俺は何とか声を出そうとして、喉を引き攣らせた。
「ゲホッ!!ゲホゴホッッ!!」
「ポーランド風邪ひいたの!?大丈夫!?」
 リトの慌てた声が耳元で響く。聞いてたら……何だか涙が出て来た。
 もう駄目だ。居た堪れなくなって、俺は電話を切ってベッドに突っ伏した。
 酷い咳が出て、涙も一緒にぼろぼろ零れた。
 何で――――何も言えなかったんだろう。
 リトが……折角俺に声を届けてくれたのに。
 悔しくて、自分が情けなくて。枕に顔を埋めたら、また携帯が鳴った。
 さっきと着信音が違う。リトからのメールだった。
『窓の外、見てくれる?』
 心臓がドキンと飛び跳ねた。急いで窓を開けて身を乗り出すと、玄関先に佇んだまま、心配そうな顔で二階の俺の部屋を見上げてくるリトと目が合った。
 リト―――!!
 驚きと嬉しさと気恥ずかしさが入り混じって、俺は顔を顰めた。きっと酷い顔になってるんだろう。リトはそんな俺を見て、少し困ったように笑うと、手の中の携帯を操作する。
 応えて、俺の携帯が、メールの着信音を響かせた。
『おやすみ、お大事にね。――――好きだよ』
 慌てて再び下に視線を戻せば、リトは小さく片手を振って歩き去っていくところだった。
 何かを考えている間はなかった。俺は階段を飛び降りるようにして駆け下り、表に飛び出した。
「―――ポーランド!!?」
 気付いてこちらを振り返ったリトに、身体ごとぶつかるように抱き付く。
「駄目じゃない!!具合が悪いならちゃんと寝てないと!!」
 お馴染みのお小言が聞こえたが、俺はリトに抱き付いた腕を緩めなかった。
 とくん、とくん。リトの心臓の音が耳元で聞こえる。触れ合った箇所から、リトの温もりが伝わってくる。それがどうしようもなく嬉しかった。
 やがてリトは、諦めたように溜息を吐いて、俺を包むように抱き締める。
 何かを言わなくちゃいけないのはわかるけど、どう言えば上手く伝わるのかがわからない。想いばかりが先走って、思考が付いてきてくれない。
 ―――だったら、一番伝えたい気持ち、それだけ言葉に出来ればいい。
「――――俺も……好き…」
 涙と咳とで掠れた声しか出なかったけど。
 リトが頷いて、俺の背に回した腕に、そっと力を込めたのがわかったから。
 ―――それだけで充分だった。






 その後、俺は、不摂生が祟った所為か寝込んでしまい。
 泊り込みでの介抱を申し出たリトが、安心しきった俺の全力の我侭に、三日三晩振り回される破目に陥ったのは、また別のお話。
















今まで色気のない話ばっかり書いてた所為か、普通のラブい話を書くのって照れ臭くて困る(汗)
いつも強気で我侭な子が、偶に不安とか迷いを見せたりすると、物凄くときめきます。
で、いつもはヘタレな奴が、いざという時に格好良かったりすると、ときめき倍率ドン、更に倍(古)。





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