■イレギュラーな僕たち■
「チェックメイト…です」 「あ〜マジで…?やっぱ勝てんかったかぁ…」 盤上を穴が開くほど見詰めてみても、追い詰められたキングの逃げ道は見付らない。がっくり肩の力が抜けて、俺は情けない声を上げた。 勝った日本は、何故か申し訳なさそうな顔で笑う。 「すみません」 「何で謝るん?」 「あ、いえ…余りに残念そうなお顔をなさっておられましたので、何だか申し訳ないことをしたような気が致しまして…」 「日本、変なトコ気にしすぎじゃね?別に誰が相手でも、負けたら悔しいのは当たり前だし。手ぇ抜いて貰って勝っても、嬉しくも何ともないしー」 椅子の背にふんぞり返って、俺はそう答える。…今のが、お人よしの相棒には聞かせられない台詞なのは、勿論承知の上だ。 「ヴェ〜、日本強いね〜」 傍らのイタリアが、のんびりした口調で言った。 「日本、チェスやるの今日が初めてなんだよね?俺、何度やっても誰にも一度も勝てたことないのに。凄いなぁ」 「我が国にも、チェスに似た将棋という盤上遊戯がありますからね。ルールは多少違いますが、要領は殆ど同じですので。それでも、対局などもう何年もしておりませんので、久々に緊張しましたよ」 日本の言葉はあくまでも控えめだ。柔らかい笑顔に何となく心が和む。今まで国際会議の席でちらっと見掛ける程度の付き合いで、実際にこうして話をしたのは殆ど初めてのようなものなんだけど。雰囲気がおっとりしていて誰かさんみたいな妙な威圧感がないお陰で、慣れない相手と顔を合わせるのが大の苦手な俺でも、落ち着いて話をすることが出来た。 イタリアの家でチェスで遊んでいる最中に、偶々こちらのほうに来る用事があったので…と日本が訪ねて来た時は、正直言って焦ったんだけど。今は、来たのが日本で良かったしー…とつくづく思う。これがドイツ辺りだったら、今頃イタリアの背中は俺の指定席になっていたはずだ。 折角だしということで日本も交えて、三人でそれぞれ相手を変えて二戦ずつ対戦することになった訳だけど。勝負の結果は日本が二勝、俺が一勝一敗。残るイタリアの戦績は言うまでもないだろう。推して知るべし、だ。 「緊張しとって楽勝とか、マジありえんしー」 「いえいえ、私が勝てたのは単なる年の功のお陰です。ポーランドさんも充分お強いですよ。若い人の駒運びは、やはり勢いがあって良いですね。ただ、幾分攻めに重点を置きすぎる傾向があるようですので、そこを注意すれば、恐らくもっと伸びるのではないかと」 いつも相棒に言われていることと、同じことを言われる。その相棒に、俺は今まで一度もチェスで負けたことはない。………ずっと俺のターン!…でだけど。 「ねぇねぇ日本ー。どうやったら強くなれるの?俺、一度くらいはドイツに勝てるようになりたいよー」 「そうですねぇ…」 イタリアの問いに、日本はちょっと小首を傾げた。それは俺も是非知りたいところだ。俺だって、一度くらいはポーランドルールなしでリトに勝ちたいと思ってるんよ、いやマジでマジで。 「私はプロの棋士ではありませんから、余り偉そうなことは言えませんけど…基本としてはやはり、相手の手の先を読むこと…ですかね。自分がどう動くかだけではなく、相手がどう動くかを見定めないと、大局を掴むことは出来ませんから。名人と言われる方になると、相手の千手先を読むことが出来る…と言われています。如何に先を読み、その裏をかくかが、勝敗を握る鍵なのでしょうね」 「う〜ん……」 俺は眉根を寄せる。日本の言ってることはわかるのだが、そんなに簡単に出来るもんじゃない。短気だという自覚はあるのだけど、俺はちょっとでも相手に隙があるのを見付けると、一気に畳み掛けたくなるタイプなのだ。リトとの対戦では何度も誘いに乗ってしまって返り討ちに遭い、結局毎回ポーランドルールに頼る破目に陥ってる。 で、俺が思うにリトは、流れの先の先を読むのを得意とするタイプだ。そして恐らくチェスに限って言えば、経験の少ない日本よりもリトのほうが強いだろう。つまり、リトに勝ちたければ、少なくとも日本には勝てるようにならないと駄目ってことだ。何か……急に道程が遠く険しくなったような気がしてきたんだけど? 「そんな難しいこと、俺には無理だよ〜。自分がどうしたらいいかもわかんないのに、相手の考えてることまでわかんないよー」 ヴェー、とイタリアが情けない声を出す。 「まあまあ、習うより慣れろですよ。それに…」そこまで言って、日本は何かを思い出したように、くすりと笑った。「今だから言いますけど、実は私、イタリア君と対戦した時、かなり焦ったんですよ」 「「ええっ!?」」 イタリアの声と俺の声が、期せずして綺麗にハモった。 「何で〜?俺何か変なことした、日本?」 「まあ、何かしたというかしなかったというか……何もしないのがある意味良策というか…」 「―――日本。イタリアの頭、情報処理能力の限界値突破でショート起こしかけとるんだけどー?」 俺の指差した先ではイタリアが、へら〜っとした笑顔を浮かべたまんまフリーズしてしまっている。 「すっ、すみませんイタリア君!大丈夫ですか!?」 「……えー……どうしたの日本〜?」 あ、動き出した。 ほっと胸を撫で下ろす日本に、俺は話の続きを促す。 「で?結局日本は何が言いたかったんだし?」 「ああ、すみません。話が中断してしまいまして」 そんなに謝らんでも。いちいち腰の低いヤツだし。 「えーと、つまり、イタリア君の手はですね、私には読もうとしても読めなかったんです。ここへ来るだろうと予測したら、全く違うところに駒が来る。ならばここはどうだと身構えたら、またしても予想外の展開に持ち込まれる。これはイタリア君が計算ではなく、感覚で打っているからそうなるのでしょうけど…自分が頭の中で組み立てた手が悉く覆されていく様を見るのは、なかなかのスリルでしたよ」 「……そういうもんなん?」 俺は自分とイタリアの対戦を思い返してみたが、日本が言ってる風なことは感じなかった。多分、俺自身がそもそも相手の手を読んで動くタイプじゃないからだろう。 「え?じゃあ、もしかして、俺って本当は強いの?」 「ま、まあ…何というか…個性的ではありますね」 褒めてるのか何なのか。日本の表現はイマイチわかり難い。 「ただ、勝敗に拘る必要はないのではないかと思いますよ。先の手が見えない対戦というのは、何が起こるのかわかりませんから、却って楽しくもありました。計算し尽された駒運びというのは、それはそれで見事なものですけど、感じるままに動いてみることが、時として良い結果を齎すこともありますから」 「〜〜〜ヴェー………?」 あ、またフリーズし掛けてる。 「つ、つまりですね!無理に強くなろうとしなくても、イタリア君は今のままで良いってことです」 「えー…でも、弱いままの俺とチェスやっても、ドイツは面白くないんじゃないかなぁ…」 「そんなことないですよ。思いどおりにことが運ばないというのは、そこから先の展開を想像する楽しみが出来るということです。時には驚いたり、慌てたり、がっかりしたり…そういうのって、ただ平坦な道を何事もなく歩くよりも、素敵なことだと思いませんか?計算や駆け引きに囚われないで、イタリア君はイタリア君の遣り方で、チェスを楽しめば良いんですよ。それに、イタリア君が楽しければ、きっとドイツさんだって、同じように楽しいと思っているはずですから」 サプライズ、ケアレスミス、イレギュラー。そんな言葉が脳裏を過ぎる。そして、俺の我侭や悪戯に、吃驚したり怒ったり笑ったりするリトの顔も。 長い付き合いだからわかることだけど、リトは本当はそんなに表情豊かって訳じゃない。感情を表に出すよりは溜め込むタイプだし、自分の意見を主張することも少ない。 けど、俺はリトがぐしゃぐしゃに泣いた顔を知ってるし、大口を開けて笑うところを見たこともある。声が出なくなるほど驚かせたことも。あの時のリトの顔、今にも痙攣起こしそうなほど引き攣ってて、マジウケたんだし。 自分の進む先に何が待っているか、それを全部先に知ってしまっていたら、驚いたり喜んだりなんて出来ない。もしかしたらリトにとって、俺は歩くびっくり箱みたいなもんなんじゃね?そう考えたら、意味もなくワクワクした。 俺が、真面目で忍耐強くて、頭の回転が速くて聞き分けの良い優等生だったら……俺とリトが、こんな風に近い存在になることはなかったかもしれない。 俺は俺で、リトはリトで。他の誰でもなかったから。喧嘩したり躓いたりで、全然計算どおり進める道なんかじゃなかったから。だからこそ、今の俺らがある。 今更かもしれんけど、それって、結構凄いことじゃね? 「うんうんイタリア、おまえは今のままでええんよ〜。逆にチェスの超強いイタリアとか、俺マジで想像出来んし」 「あはは〜そうだね。俺もそんな自分想像出来ないよ」 素直に朗らかに、イタリアは笑った。変な見栄とかプライドに囚われないのは、こいつの美点だと心底思う。 「それに、弱いから絶対勝てんとは限らないんじゃね?イレギュラーなのが持ち味ってんなら、誰も想像出来んようなイレギュラーな勝利が、いつか転がり込んでくるかもしれんしー」 これは、イタリアと同時に自分自身にも向ける言葉だ。 「そっかー、そうなったら嬉しいなぁ。あ、それじゃあ日本ー、もう一戦やらない?」 「ええ、勿論。私で良ければ幾らでもお相手致しますよ」 「あー俺もやる俺も俺もー」 うん、イレギュラーってんなら、ポーランドルールを使わずにリトに勝つのも、ある意味イレギュラーなのかもしれない。 だったらやっぱりこの機会に、日本を相手に特訓しとかんと! イタリアと一緒に子供のようにはしゃぎながら、俺は次に相棒を驚かせてやる楽しみに胸を弾ませた。 |
ポーランドが「ずっと俺のターン!!」をやる相手はリトだけだったらいいな、という妄想から生まれたお話。
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