■ご褒美■







 ひらひらと、赤いリボンが風に揺れている。
 別に見るつもりはないんだけど、鮮やかな色が視界の端をちらちらするんだから、気になるのは不可抗力だと思う。
 リボンがちょこんと収まっているのは、ポーランドの被ってる麦藁帽子だ。そろそろ陽射しの強くなるこの季節、帽子を被ること自体は別に珍しいことでも何でもない。問題なのは、ポーランドのそれがどう見ても女性用で、しかも彼はちゃんとそれを知った上で堂々と、しかも間違いなく気に入って被ってるんだろうってことだ。
「昨日新しく買ったんよー。な、これマジ可愛くね?」
 今朝、俺の顔を見るなり開口一番そう告げたポーランドに、俺は、ああまたか…と脱力するしかなかった。でも今回は帽子だけで済んでる分まだマシなんだろう。ポーランドは可愛いものが大好きで、気に入ったとあればそれが女性用であっても全く気にしない(というか、彼の心を捉えるのは寧ろ女性物のほうが多い)。お祭りの仮装って訳でもないのに全身バッチリ女性物で決めて、平然と表を歩き回るポーランドに慌てさせられた経験も、一度や二度じゃない。
「市に着いたら果物いっぱい買うしー。それでジャムとパイ作るんよ。リトが」
 ………俺がか……。
「もう、偶にはポーランドも手伝ってよね」
「えー、知らんしー。俺よりリトが作るほうが美味いもん。手伝えとか意味わからんしー」
 ころころと笑うその顔に、赤いリボンの帽子はとてもよく似合っていて、不覚にも俺は一瞬見惚れてしまった。
 …そう、何より始末に終えないのは、ポーランドの選んでくる可愛いものが、実際彼によく似合ってることだ。小柄で色が白く睫毛が長く、整った目鼻立ちをしている彼は、黙って立っていればそれこそ人形みたいに可愛らしい。彼のことを知らない人なら、一見して本気で女の子と勘違いしたとしても可笑しくはない。
 実は…俺も幼い頃は女の子に間違えられることがよくあった。それが嫌で堪らなかった俺には、ポーランドの持ってる感覚は正直ちょっと理解出来ない。時が過ぎて、俺はそれなりに背も伸びたし体格も男らしくなったけど、女装好きなポーランドの身長は今も、ラトビアほどではないにしろ小さいままだ。……逆じゃなくて良かった。神の絶妙なる計らいに、俺は心から感謝の念を贈りたいよ、全く。
「……はいはい。わかったから料理してる最中は、邪魔しないでね」
「邪魔とか人聞き悪くね?俺はリトが退屈せんように相手してやってるんよー」
「退屈なのは、俺じゃなくてポーランドでしょ…」
 相変わらずの我侭ぶりに、苦笑交じりに溜息を漏らしたとき。
 突如、一陣の風が吹き抜けた。
「あっ……!!」
 麦藁帽子が、ポーランドの頭を離れて舞い上がる。赤いリボンをはためかせながら、ひらりひらりと帽子は回り―――傍らの樹の梢に引っ掛かって止まった。
「………リト取るし!」
 急いで樹の根元に駆け寄ったポーランドが、勢い良く俺を振り返る。
「む、無茶言わないでよ、あんな高いところ…!」
 ポーランドは剥れて唇を尖らせた。
「リト情けないしー。あー…今日はマジ運悪いし」
「飛ばしたくなかったなら、ちゃんと顎紐結んでおけば良かったのに」
「えー、顎紐って如何にも農作業用の装備って感じがしてダサくね?可愛いものは可愛いまんま被らんと意味ないしー」
「はいはい、じゃあこれからは、風の強い日にお気に入りの帽子を被るのは控えようね」
 ポーランドは暫く恨めしげな視線で梢の先を見上げていたけれど、やがて唐突にくるっと踵を返した。
「早く市に行くし!葡萄と林檎と洋梨と栗と檸檬をありったけ買って、全部パイにして食ってやるんだし!」
「ちょ…本気でそんなに買い込むつもり!?…っていうか、それ全部俺に持たせる気なのポーランド!?」
「当然だし!」
 肩を怒らせてズンズン歩く彼の後ろを、俺は慌てて追い掛けた。
 帽子を失くしたことが余程残念だったんだろう。この日のポーランドの我侭は、いつものに輪を掛けて酷かった。
 あれ買って、これも買って。あ、やっぱりこれ駄目そっちがいい。あっちの見たい。さっきのも気になるからやっぱり戻る。これ美味しそうだからもう一袋追加だし!
 ポーランドが何かを言う度に右往左往する破目に陥った俺は、帰る頃には口から魂が出そうになるくらいぐったりだったけど…不平を覚える前に、まあ仕方ないか…と思えるようになってしまった辺り、すっかりパシリ扱いに慣れてしまった自分に、ちょっと切ない気持ちになる。
 でも帰り道。またあの樹の傍を通り掛った時。
 ポーランドは一瞬だけ悔しそうな表情になったけど、樹上を見上げることはしなかった。
 多分、目にしてしまったら、余計に悔しさが込み上げてくるからなんだろうけど。
「でさー、羊ってモコモコしとって可愛いけど、やっぱ白一色とかって地味だと思わん?群れん中に何匹かピンクの奴がおったら、水玉模様みたくなって可愛いと思うんよー。な、マジでマジで」
 饒舌なのは相変わらずだったけど、やっぱり帽子の話題には触れようとしない。敢えてそうしてるんだろうな…と思うと、何だかちょっと…さっきとは違う意味で切なくなる。
 散々振り回されて迷惑掛けられても、やっぱり彼を放っておけなくなってしまうのが俺なんだよね…。エストニア辺りに言わせれば、ポーランドが我侭なのは、俺が彼を甘やしてるからだ…ってことになるようなんだけど。あながち間違いでもないような気は…一応、何となく、薄々と…感じてはいる。
 結局、あの赤いリボンの麦藁帽子は、その日一日、俺の心の中にも引っ掛かったままだった。






 次の日。俺は偶々昨日の道を通り掛った。
 この時はポーランドはいなくて俺ひとりだったんだけど、やっぱり昨日のことは気になってたから、例の場所に近付くに連れて気もそぞろになる。あの樹が視界に入った途端、ほぼ反射的に梢を確認して―――俺は思わず、あ、と口を開けた。
 帽子はまだ、そこにあった。
 そのまま通り過ぎるのも躊躇われて、俺は樹の下で足を止めた。梢に揺れる帽子をじっと見詰めていると、昨日のポーランドのがっかりした顔が思い出された。―――さもお気に入り、と言った風に、あの帽子を被って自慢げに笑っていた顔も。「リト取るし!」と、俺を振り返った時の顔も。
 ……多分、ポーランドも、俺が帽子を取りに行くことを、本気で期待して言ったんじゃないとは思う。でも、そんなことを思い起こしながら帽子を見てるうちに、俺は段々―――この樹、頑張れば何とか登れるんじゃないかな?―――という気になってきていた。
 後になって考えれば、どうしてそんな風に思ったのか不思議で堪らないんだけど。とにかく、この時の俺の頭の中は、帽子を取ることだけで一杯になってしまっていて。隣にエストニアかラトビアでもいれば止めてくれたんだろうけど…というか、傍に誰かいれば、そもそもそんな気も起こさなかったのかもしれないけど。不幸にも―――この時の俺にとっては、幸いにも―――他には誰もいなかったので、俺はそのまま勢いに任せて、樹を登り始めた。
 途中までは順調だった。幹も枝も太くてしっかりしてるし、ごつごつとした窪みも多くて、足を掛ける場所に困らなかった。
 けど、目的の梢は酷く遠い。途中で何気なく下を見下ろして、俺は一瞬気が遠くなり掛けた。―――高い。俺はけして高所恐怖症じゃないけど、この時の高さは冗談抜きで身の竦む思いがした。やめときゃ良かったって後悔したことは、勿論言うまでもない。
 でも、もう半分以上登ってる。ここまで来て、ただで引き返すのは癪だったし、それにやっぱりポーランドの喜ぶ顔が見たかった。なるべく下を見ないように気を付けて、俺はそろそろと登り続けた。
 漸く、帽子の近くまで辿り着いた。流石にこの位置まで来ると、枝自体もかなり細くて、下手に体重を掛けたら折れてしまいそうだ。俺は幹に足でしがみ付いたまま、目一杯腕を伸ばして可能な限り枝の先端を掴み、帽子ごと梢を手繰り寄せようとした。
 もう少し…あと少し。しならせた枝を支える腕が重い。
 視線の先で赤いリボンが、俺を誘うように揶揄うようにひらひら揺れる。ポーランドの金の髪に、よく似合っていた赤い色。
 もう少し…あと少し。指の先の先まで全力で伸ばして。
 届いた、と思った瞬間。
 バキッと嫌な音がして。視界が反転した。
 ぽっかりと開いた空の蒼の中に投げ出される。
 それから何がどうなったかなんて覚えちゃいないけど……ただ、落ちるとか、怖いとか、そんなことを感じるよりも先に、俺は視界一面の蒼の中にひらひら揺れる赤を探していた――それだけは覚えている。






 気付いたとき、俺はベッドの中にいた。
 石鹸とお日様の匂いがする。出掛ける前にシーツを洗って干して行ったことを、何となく思い出した。
 枕元にポーランドが座っている。唇をへの字に引き結んで、彼はじっと俺の顔を見詰めていた。
「気が付きましたか、リトアニア」
 ポーランドの背後から落ち着いた声がする。これはエストニアの声だ。
「良かったぁぁ〜〜…もうこのままずっと、目を覚まさないんじゃないかと思っちゃいましたよぉ…」
 ラトビアもいるみたいだ。心配してくれたのはありがたいけど、縁起でもないこと言わないで欲しい。
 光量は絞ってあったが、部屋には灯りが点けられていた。窓にはカーテンが引かれていたが、既に外が暗くなっているのはわかる。夜まで眠り続けていたのか、俺は。
「全く…リトアニアはしっかりしているようでいて、時々とんでもない無茶をやらかしますから…あまり心配させないで下さいよ。さて、静かにしたほうが良いでしょうから、僕たちは席を外しますね」
 エストニアはそう言ってラトビアを促し、連れ立って部屋を出て行った。…静かにするって言ったわりには、一番騒がしくするのが得意な人材が、ここに残されてるような気がするけど。
 すぐさま口喧しく喋り立てるかと思った彼は…しかし、予想に反してひと言も口を利かなかった。
「……ポーランド……?」
 違和感を覚えて、俺は彼の名を呼んだ。掠れた声しか出なかったけど。
 その瞬間、帽子のことを思い出した。そうだ、あれを取ろうとしていたんだった。
「帽子……は……?」
「あんなの、要らんし」
 目覚めてから初めて聞いたポーランドの声は、酷く素っ気なかった。
 強がりの続き…咄嗟に俺はそう思った。―――俺は樹から落ちた時、折角捕まえたと思った帽子を手放してしまったんだろう。あの帽子はもう、ポーランドのところに帰ってくることはなくなってしまったんだ。
「ごめんね……帽子……取れなくて」
 そう言うと、ポーランドはきゅっと眉を吊り上げた。ああ、きっとまた文句や我侭をぶつけられるんだろう。呼吸を整えながら、俺は彼が口を開くのを待った。
 そのままひと呼吸。ふた呼吸。…やはり彼は何も言わない。
 ―――ヤバい。本能的に、俺はそう直感する。
 ポーランドは多弁だ。何があろうとなかろうと、一体どこからそんなに言葉が湧いてくるのだろうと思うほどに、よく喋る。そんな彼がこうして黙りこくるのは―――本気で怒っている時か、落ち込んでる時だ。
 そんなにショックだったんだろうか。そうだよね…お気に入りだったんだもんね…。
「あの…あのね、ポーランド…。明日、街へ行こう…。俺が新しい帽子……買ってあげるから…だから、元気出して……?」
 にゅっと伸びてきたポーランドの指が、俺の頬を抓ねり上げた。
「ほわっ…いふぁい、なひふんの!?」
「……リトは、アホだし」
 俺は目を丸くした。ポーランドの目が、赤く腫れていることに気が付いて。
 もしかして……泣いてたの?俺が寝ている間、ずっと?
 頬から手を放すと、ポーランドは無言でベッドの中に潜り込んで来た。そして、子供の頃からよくそうしていたように、俺をぎゅっと抱き締める。
「ポーランド……?」
 声を掛けても、彼は応えない。俺の肩口に額を押し付けるようにして顔を伏せ、俺に抱き付いたまま離れない。
 怒鳴られるよりも殴られるよりも、こういうのが一番胸に堪える。泣かせるつもりじゃなかったのに。
 謝罪を繰り返しながら、俺はただポーランドの背を撫でるしかなかった。
「―――ごめん……」
「………」
「…ごめん…」
「………」
「――ごめん…」
「………」
「ごめんって…ば……?ポーランド…?」
 動かない頭をそっと揺すってみて、俺は唖然とした。
 ………寝てる……。
 脱力して、俺はがっくり項垂れた。はは…と乾いた笑いが口から漏れる。
 全く……どこまでも俺を振り回してくれるんだから、ポーランドは。どうせ今も、我侭を言って俺を困らせてる夢でも見てるに違いない。きっとそうだ。
 けれど。安らかな寝顔の目尻にちょっぴり残った涙の跡に、少し胸が痛んで、それから泣きたくなるほど温かい気持ちになる。
 我侭で気紛れで。だけど、時々こんな風に全身で俺を想ってくれるから。だからどんなに振り回されても、俺は彼を放っておけないんだろう。
「心配掛けてごめんね…」
 俺にしがみ付いたままの彼の背を、そっと抱き締め返す。こうしてくっ付いて眠るのなんて久し振りだ。
 結局、帽子は取れなかったけど。ポーランドを喜ばせてあげることは出来なかったけど。それでも何となくご褒美を貰ったような、そんな幸せな気持ちを抱えながら、俺も静かに目を閉じた。



















ほのぼのした立波を目指してみました。
バルト三国+ポーランドの組み合わせが凄く好きですvv
リトアニアミレニアム様の11月展示分に投稿させて頂きました。







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