華やかに、艶やかに。
 美しく咲き誇るそれは、花の意志か―――人の意志か。




「ただいま、カルマ」
「お帰りなさい、スノウさ…」
 庭から戻ってきたスノウの手に、綻び始めたばかりの薔薇の蕾が数本握られているのを見て、カルマは出迎えの言葉を途中で途切れさせた。
「ああこれ?裏の薔薇園で貰ってきたんだ。この蕾は要らないんだって」
「要らない…の?」
「花瓶に生けておけば大丈夫だって。ちゃんと花も咲くって言われたよ」
 スノウは嬉しそうに微笑んで、蕾にそっと顔を寄せた。まだ開ききっていないその淡い花弁に、カルマの胸は何故かチクリと痛んだ。
「気を付けて持たないと、棘が刺さりますよ」
 だから、わざと明るい声で、カルマは込み上げてくる痛みを誤魔化した。
「平気だよ。ちゃんと棘は抜いて貰ってきたから。ねえ、それよりカルマ、婆やに言って花瓶貰って来て。僕の部屋に飾って、花がちゃんと咲くかどうか確かめなきゃ」
「は、はい」
 頷いて小走りに行き掛けたカルマは、しかし途中で足を止め、スノウを振り返った。
「スノウ様――じゃなかった、スノウ。その蕾は………どうして要らなくなったの?」
「春に綺麗に薔薇を咲かせる為なんだって。今の時期に蕾がついてしまうと、そちらに栄養を取られてしまって、いざ春になったとき、花のつき方が悪くなるんだって。だから余計な蕾や伸びすぎた枝は、今のうちに切り落としちゃうんだって、庭師が言ってたよ」
「そう……なんですか………」
 この蕾たちは…犠牲になったのだろうか。美しい薔薇園を作る為に。
 咲いた花は咲いたままに、何故そっとしておいてやれないのか。
 胸の痛みが、ズキリと増した。
「折角、頑張って咲こうとしてるのに…可哀そう…ですね」
「でも、そうしないと春に綺麗に咲かないんだから仕方ないよ。切っちゃった花は花瓶に生けておけば良いんだし」
 カルマはもう一度、蕾に視線を落とした。
 人間の手の中で儚げに揺れている薔薇たちは、果たして「仕方がない」と思っているのだろうか。
 剪定という言葉など、この時のカルマはまだ知りもしなかったが、心に引っ掛かった棘は容易に抜けそうになかった。
「花瓶、貰ってきますね」
 だから、綺麗な作り笑いだけを残して、カルマはスノウに背を向けた。




 この屋敷が無人の場所となってから、既に数ヶ月の時が経過していた。不意に湧き上がった懐かしさに誘われるままにここを訪れたカルマだが、数刻も経たぬうちに、やはり来るのではなかった、と後悔の念に苛まれていた。
 人の営みの温もりを感じない空間は酷く寂しく寒々しい。無人の廊下にコツコツと響く自分の靴音が、息の詰まるような静寂を、より一層際立たせている。
 幾つか目の部屋を覗いたときに、埃のつもった卓の上にポツンと置かれたままの花瓶が目に留まった。中の水は完全に蒸発し、生けられていた花は枯れ果て、かさかさに乾燥してしまっている。
「――――」
 ふと、胸をざわめかせるものを思い出して、カルマは裏庭へと足を向けた。
 遠き日に見た花の蕾、その薄紅色の面影が瞼の裏に蘇る。
 目に飛び込んできたその光景に―――カルマは思わず動きを止めた。
 薔薇は……枯れていた。
 鮮やかだった緑は見る影もなく、生気のなくなった枝は、痩せさらばえた魔女の指のような姿に変わり果てていた。地の上には無残に変色した花や蕾が幾つも落ち、生い茂った雑草に半ば埋もれ掛けている。
 幼馴染みの愛した美しい薔薇園の、その余りにも寂しい終焉を前に、カルマはただ立ち尽くすしかなかった。
 カルマは、この花たちは人の為に存在しているのだと知っていた。懸命に伸びてゆく枝も、今正に開こうとしている蕾も、人にとって必要のないものと判断されたその瞬間にあっさりと摘み取られてしまう。美しく整えられたその姿は、型通りに作られたものであって花自身の意志ではない―――そんな思いをどうしても拭いきれず、カルマはここに咲く薔薇に、どこか哀れみにも似た感情すら抱いていた。
 だが…花にとっては、人のどのような思いも、所詮はただの独善でしかないのかもしれぬ。
 他者の手によって管理され、縛られて、永久に美しく咲き続けるのと、そこから解放され、思うがままに自由に生き抜いて朽ち果てるのと―――果たしてどちらが薔薇にとって幸せだったのだろうか。
 そして……この屋敷で、彼の傍で、与えられた世界しか知らずに過ごしてきた過去の自分と、彼を失う代わりに自由を得た今の自分は―――果たして、どちらが。






 ただ今は―――今この場に、この瞬間に、自分の隣に彼がいないことを。
 美しかった薔薇園の無残な最期を、彼に見せずに済んだことを。
 美しかった薔薇園の最期を前に立ち尽くす彼を見ずに済んだことを。
 彼がこの場に居合わせぬよう定めた皮肉な幸運に――感謝するしか…なかった。

 
















お題5「思い出」―――ブログで「Rose garden」のタイトルで公開してた小話を、少しだけ手直し。
偶々読んだ本に薔薇の剪定のことが書いてあって、ウチの4主はこういうこと嫌がりそうだなぁ…と思ったので。
お題話なので拍手で公開すべきかとも考えたんですが、
どう見てもお礼向きの話じゃないのでダイレクトにこっちに収納(笑)






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