「………今、何て言ったのスノウ?」 「だから、もしひとつだけ願いが叶うとしたら、カルマなら何を願うかって」 深夜にまで及んだ軍議を終え、休もうと自室に戻ってきた軍主に向かって、幼馴染みの青年が発した問いがこれだった。友人同士の他愛ない会話にはけして珍しい話題ではないだろうが、皆が寝静まった夜更けにわざわざ訪室して真顔で口にするようなものでもない―――と思う。 「何でまた、そんな話になったの?」 それでも、疲れているから明日にしてくれ、という発想には至らないのがカルマで、スノウを卓に着かせるとそそくさとお茶の準備を始める。これは訪問者に対する気遣いというよりは、長年のうちに染み付いてしまった習慣だろう。席に通されたスノウも、君は疲れているだろうからそんなことしなくて良いよ、と言えるほど気の回る性分ではないので、あれよあれよという間に深夜に真面目な顔をした男ふたりが差し向かいでティータイム、という珍妙な画が出来上がってしまった。 「ええと……そもそもはタルたちと明日の打ち合わせをしていたときに出た話だったんだけど」 ほんのりと甘い匂いのする香草茶をひと口啜ってから、スノウは徐にそう切り出した。 スノウ、タル、ケネスの三人は明日の甲板警備を担当することになっている。まだ戦闘経験の少ないスノウをフォローする為にケネスの提案で打ち合わせを行っていたのだが、その中で話題はいつしか今後の展望へと移り変わり、「戦いが終わったら何をしたいか」を経て、最終的にスノウが冒頭で発した問いに辿り着いたという訳らしい。 「最初は、早く戦争が終わってくれるようにとか、皆が幸せに暮らせるようになればいいとか、そういうことを言い合ってたんだけど、それは僕たちだけじゃなく誰だって当たり前に願うことだろう?だから、ごく個人的な願い事限定ってことでさ」 スノウの報告によれば、タルは先日ウゲツが捕えた巨大マグロを超える大物を釣り上げたいと答え、ケネスは海上騎士団の再建を願ったという。 「タルはともかく、ケネスのはあんまり個人的でもないような気もするけど…」 「施政の不安定な今のラズリルで、海難遺児たちの後ろ盾になれる存在は騎士団だけだから。早く騎士団に立ち直って貰わないと、って言ってたよ」 自身も身寄りのない境遇で苦労を重ねてきたケネスである。実直で優しい彼は、戦の最中で不安を抱えている同じ境遇の孤児たちに思いを馳せずにはいられないのだろう。 「そうか……ケネスらしい答えだね」 湯気を上げる器を両手で包みながら、カルマは笑みに目を細めた。 カタリナが騎士団の再編を考えていることをカルマは知っている。ラズリルからこの軍に参加した元騎士団の仲間たちを、自分の補佐として再登用したいと考えていることも。ケネスの願いは遠からず叶うだろう。恐らくは彼自身の手で、叶える機会を与えられることになるに違いない。 「大物を釣り上げるのも、タルならいつかやれそうな気がするよ。それで―――スノウは?」 「え?」 「スノウは、何を願ったの?」 海色の瞳に興味深げに瞬かれて、スノウは恥ずかしそうに口籠りながら言った。 「僕は―――強くなりたいと、そう答えた」 「強くって、剣の腕のこと?」 鮮やかな海色の瞳が微かに揺らぐ。 それはかつて、自分の一番の願いだった。大切な人の傍にいたくて、何を引き替えにしてでも守りたくて、だから強くなりたいと切望した。だが今は……力では、強さだけでは守れないものもあるのだと知ってしまった今は、スノウの願いを祝福することに躊躇いを覚えずにはいられなかった。 だが、カルマの懸念を見透かしたように、スノウは微笑って首を振った。 「それもあるけど……。精神的にもというか―――人間的に……かな」 騎士団にいたときは、ただ何も考えずに己の剣を磨いてさえいればそれで良かった。必要なものは全て周囲が与えてくれるのが当然で、そのことに特に疑問を抱きもしなかった。今は違う。進むべき道を教えてくれる人はここには誰もいない。何をすれば良いのか幾ら考えても答えは見えず、悩んだ末に自分は何をしたいのかを考えることにした。 「僕は…君の隣にいたい。君の隣で戦えるような人間になりたい。君にはもう、僕の守りなんて必要ないだろうし、どんなに剣の腕を磨いても、君の歩いた道には届かないだろうこともわかってる。だから―――それでも君の傍にいたいなら、ただ強くなるだけじゃ駄目なんだと、そう思った。どんなに辛い現実にも、真っ直ぐ立ち向かっていける自分にならないと駄目だって」 カルマが羨ましいと、ずっとそう思ってきた。 自分が望んでも得られなかったものを―――人望も名声も剣の腕も、彼は全てを持っていて。 ずっとずっと、羨ましくて悔しくて妬ましくて。それでも、君は世界にたったひとりのスノウだから、と…たったひとりの幼馴染みにそう言われて、漸く気付いた。 どんなに望んでも、自分はカルマにはなれない。 ならば、彼が彼の道を進むように、僕は僕にしか歩めない道を歩こう。僕に他の誰かの代わりは出来ないのと同じように、他の誰にも僕の代わりは出来ないはずだから。誰かの代わりじゃなく、僕と共にいることを、彼に望んで貰えるように。彼と共にいることを、誇れるような自分になる為に。 「だから、まずは自分の力で、自分の道を探せる強さが欲しいと……そう思ったんだ」 静かに、だがひたむきな瞳でそう言い切ったスノウの顔を、カルマは穏やかに見詰めていたが、ややあって軽い溜息と共に手にした器を受け皿に戻した。 「残念。80点」 「――――え?」 「スノウ。強さは欲しがるものではなくて勝ち得るものだよ」 呆気に取られた顔でパチパチと瞬きを繰り返すスノウに、カルマは悪戯っぽく笑いかけた。 「でも大丈夫。スノウなら、きっと叶えられる。強くなれるから。残りの20点は、そのときまでの楽しみに取っておけばいいよ」 冗談めかした口調だったが、その声には純粋な優しさが滲んでいた。他でもない彼に決意を受け止めて貰えた安堵に、胸の中がふっと温かくなるのを感じて、スノウは笑った。カルマの手を取り、ああ、と力強く頷いて、それから漸くスノウは自分がこの部屋を訪れた目的を思い出した。 「それで…君なら何を願うのかなって気になって。良かったら教えて貰えないか?」 好奇心というには余りに真剣な目で問いかけてくる幼馴染みに、カルマは、うーん…と困惑した表情を返した。 「願い、かぁ…。早く戦争が終結して皆が平和な暮らしを取り戻せればそれで良いと思うんだけど……個人的な願い、なんだよね?」 「ああ」 「軍資金にもう少し余裕が欲しいから真珠の相場が上向きになりますようにとか、防具の数が足りないからダイヤモンドと黒蝶貝があと五つずつ欲しいとか、海賊服さえ引き網に掛かればコンプリートなんだよシラミネお願い!……とかってのは駄目なんだよね?」 「―――却下」 「う〜ん、軍やこの船に関しての改善点とか希望とかなら幾らでも思いつくんだけど、私的な願い、となると難しいもんだね。改めて言われると」 最後の願いは割りと個人的だったような気もしないではないが、そこは敢えてスルーして、スノウは思案顔に天井を眺めるカルマを見遣った。 「叶うか叶わないかは別にして…何でも良いんだ。欲しいものとか、やりたいこととか。何かないかな?」 実は、これはケネスたちから頼まれていることでもあった。 カルマが元々、自身のことには余り構わない性格なのは知っている。しかし、軍主になってからの彼は、これまでに輪を掛けて自分の為に何かを望むということをしなくなった。加えて、カルマは生に対する意欲や執着が人より欠けているきらいがある。考えたくはないが、もし必要だと判断されれば、彼は自分の全てを厭うことなくあっさりと放棄してしまうだろう。そして、軍主という立場上、今後そういった局面が訪れる可能性は極めて高い。 偽善や押し付けと言われようと、友人として、そんな生き方を彼にさせる訳にはいかなかった。喩え軍主であろうと、自分の為に生きる権利くらいはある。誰の為でもなく、叶えたい望みを抱き、それの為に生きたいと願うことが悪いとは思えない。寧ろ、そういったごく個人的な欲求こそが、彼に欠けているものの代わりになってくれるかもしれない。 だから、カルマにも少しぐらいは我侭な願いを抱いて欲しいとケネスたちは考えた。そして、もしその願いが自分たちの手の届く範囲にあるものなら、何とかして叶えてやりたいとも。どうにかして探ってくれないか、と、ケネスとタルはスノウに頼んだ。無論、こんな深夜に部屋に押し掛けてまで聞き出せとは言わなかったけれど。 「夢を―――もう一度見たい…かな?」 考え込んでいたカルマが不意にポツリと漏らした呟きに、スノウははっと目を瞠った。一瞬、殆ど反射的に彼の左手に注いでしまった視線を慌てて引き剥がす。幸いカルマは気付いていないようだった。 「うん。実は最近、眠っても全然夢を見ないんだよね。別に眠れないって訳じゃないから、特に体調に問題はないんだけど」 「あ、ああ…そうか。寝ているときに見る夢か…」 安堵して、スノウは思わず大仰な溜息を吐く。その様子にカルマはスノウが何を考えていたのか見抜いてしまっていたのだが、敢えて気付かない振りをする。 眠っても夢を見なくなった。これは本当だった。 だが、最近というのは少し違う。正確には、ラズリルを追放され、無人島に流れ着いた辺りから。紋章の記憶と覚しい紫紺の悪夢を別にして、だ。 元々、それほどはっきりと夢を見る性質ではない。何か朧げに見たような気はしても、どんな夢であったかを目が覚めた後まで覚えていることは少なかった。しかし毎回そうという訳でもなく、断片的に思い出せることもある。それはいつか見た風景であったり、よく見知った人たちであったり、心に思い描いていたことであったり。辻褄の合わない内容であることが殆どだったが、それでも夢の中の自分はいつも真剣であったように思う。 それが……全くなくなった。 覚えていないのではなく、見ていないのだと断言出来る。眠りに落ちた後に訪れるのは刹那の闇。そして気が付けば朝を迎えている。寝台の中で意識の途切れる瞬間。それは、死の訪れる瞬間に似ているのかもしれないと思ったこともある。これで最後かもしれない、次に眠りに落ちればもう目覚めることはないかもしれない。夜が来る度にそう考え、そうして朝が来る度に、まだ終わりではなかったのだと考える。そんなことをもう、幾度も幾度も繰り返した。そんな毎日だから、時折現れる紫紺の悪夢が、一際鮮明に心に圧し掛かってくる。 日を追う毎に、自分は確実に死に近付いている。予感はやがて確信へと変わったが、不思議と恐怖は感じなかった。多分、自分は既に未来を諦めてしまっているのだろう。だから夢を見ない。過去に未練はなく、未来に願うものも何もないから。スノウも言っていた。「戦いが終わったら何をしたいか」を話し合っているうちに願いの話に辿り着いたと。願いとは、未来があることを前提として抱くものだ。 だから―――そう、先ほどスノウが感じたであろう懸念は、恐らく間違いではない。 あらゆる意味で、今の自分は夢を見ていないのだ。この戦争が終わった後、平和を謳歌する人々の中に自分は存在しない。まるで他人事のように平静に、カルマはそう感じていた。 僕には未来がない。でも、君たちは持っている。それで良い。 願いは君たちが叶えてくれるだろうから。僕はそれで良い。 肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せて、カルマは穏やかに微笑んだ。 「つまらない願いだよね。ごめん。今のは忘れて」 だが、見ればスノウは酷く深刻な顔つきで考え込んでいる。 「夢か……何か精神的なことが関係しているのかな?何か思い当たることはない?悩みとか、ストレスとか。僕で力になれることなら相談に乗るよ。あ、僕よりジーンさんのほうが、こういう話では頼りになるかな?もしくはユウ先生に言って、気持ちを落ち着ける薬を処方して貰うとか」 スノウがここまで真剣に受け止めるとは思わなかったので、カルマは少しばかり慌てた。 「スノウ、大したことじゃないから、そんなに気にしなくて良いんだよ。さっきも言ったけど、別に体調が悪い訳じゃないんだから」 「そうだ!!」 突然大声を上げたスノウに、カルマは驚いて椅子から腰を浮かせかけた。 「な…何?」 「小さい頃、夜ひとりの部屋で寝るのは寂しいからって、よく君の部屋で一緒に寝ただろ?覚えてるかな?で、朝目が覚めたとき、お互いどんな夢を見たかって言い合ってた、そんなことあったよね」 そう言われれば、そんなこともあったような気がする。自室を抜け出してきたスノウと同じ寝台に潜り込んで眠る夜、傍らに感じる温もりに酷く安心した気持ちになれたことを思い出す。そんな夜は決まって幸せな夢を見た。夢の舞台は見慣れた伯爵家の屋敷だったり、当時は内装も知らないはずの騎士団の館だったり、見たこともない大きな船の上だったり。だが、どんな夢であっても隣には必ず、大好きで大切な幼馴染みの姿があった。思い返せばこの頃が、一番よく、そして鮮明に、夢を見ていた時期かもしれない。 「カルマ、今夜は一緒に寝よう。あの頃みたいに」 「え………?」 「もう子供じゃないのはわかってるけど…もしかしたら、あの頃みたいな楽しい夢が見られるかもしれないじゃないか」 言うなりスノウは立ち上がって寝台へと歩み寄り、躊躇いもなく中へと潜り込む。 「ほら、もうこんな時間だ。明日も早いんだろう?早く寝ないと」 誰の所為でこんなに遅くなったと思ってるんだよ、とは無論口にしない。素直に観念し、カルマは促されるまま、スノウの隣に寄り添うように寝台に滑り込んだ。こんな近くに自分以外の温もりを感じることは久しくなく、緊張で僅かに強張った肩を、スノウの手が優しく引き寄せた。 「子守歌でも歌ってあげようか?そのほうが、よく眠れるかもしれないしね」 とく、とく……と、耳元で聞こえる鼓動に、酷く懐かしく、温かい心地になる。あの頃に戻れはしないと知っているのに、あの頃夢見ていた未来はけして来ないと知っているのに、無性に何かを願いたいような気持ちになって、カルマは小さく苦笑した。 未来なんてなくても良い。今があれば、それで良い。 その思いは今も変わらない。 ―――いっそこのまま、刻が止まってしまえば良いのに。 一瞬、胸に浮かんだ思いに気付かない振りをして、カルマは中途半端に身体に掛けられた毛布を、スノウの肩の辺りまで引っ張り上げる。頭上からは、早くも安らかな寝息が聞こえてきていた。子守歌を歌うと言っておきながら、結局自分が先に撃沈してしまう辺りがスノウらしい。くすくす笑いながら、カルマはスノウの胸に額を摺り寄せた。 この温もりも、閉ざされた未来の前では気休めに過ぎないのかもしれないけれど。 それでも、今夜だけは良い夢が訪れてくれそうな…何故だかそんな予感がして。酷く嬉しく、優しい気持ちを胸に抱いたまま、カルマは静かに瞳を閉じた。 ―――ありがとう。おやすみなさい。 「また……明日ね」 |
お題10「願い」―――「4主だったらどんな願いを抱くだろう」と考えて書き始めて、偉く梃子摺りました…。
だって本当に何も考えてないんだものウチの4主!!
でも久々に4主&スノウでほのぼのしたのが書けて楽しかったですvv
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