最初に交わした言葉が、何だったかも覚えていない。
 切っ掛けとは、いつだってそんな些細なものだ。






 漂流者との接触。それが偶然か、はたまた運命の女神の気紛れな悪戯かなど、この際どうでも良かった。大海原を渡るに頼むには余りにちっぽけなその船が流刑船だと知ったときも、乗っていたのが帯剣しているとは言えど、まだ年端もいかぬ数人の少年少女ばかりなのを見たときも、然程の感慨は抱かなかった。自分が始めて戦場に出たのも、彼らくらいの歳の頃だったか――と漠然と考えたくらいだ。
 ガイエンは確かに敵国だ。だが、だからと言って、そこに属するものの全てが敵であり、排除する対象なのだとトロイは考えていない。追放者ともなれば尚更である。刺客ならともかく、騎士権を剥奪された若者たちに止めを刺す必要性を、トロイは感じなかった。それでも剣を抜いたのは、単に、忠実なる副官のお小言が煩わしかっただけに過ぎぬ。
「よろしいですな、艦長」
「…………仕方あるまいな」
 乗り気では無論なかったが、互いの立場を知ってしまった以上、彼らをこのまま船に乗せておく訳にいかないのは事実だった。無益な殺戮はトロイの好むところではないが、戦争にはそういう側面もあるということは、重々承知している。それを天命などという言葉で正当化するつもりはない。だから、トロイは彼らの剣を取り上げはしなかった。斬ることに躊躇いはなかったが、一方的な処刑として終わらせたくはなかった。
 来い。声には出さず、唇の内だけで、トロイは呟いた。ここで潰えるも潰えぬも、おまえたち次第だ。
「はっ!」
 短い気合いと共に、少年達は向かってきた。動きは悪くない。海上騎士団に所属していたという話は嘘ではないのだろう、よく連携が取れている。だが、惜しいことに、彼らはまだまだ未熟だった。戸惑いと迫り来る死への恐怖とが、その太刀筋を鈍らせている。
 ―――無理もないか。
 憂いに満ちた溜息を夜の狭間に落とすと、トロイは剣を大きく薙ぎ、打ちかかってきた黒髪の青年を一息に弾き飛ばした。呻き声と共に青年の身体は吹っ飛び、背後にいたネコボルトを巻き込んで転倒する。倒れた仲間を見て、銀髪の少女が上げた痛ましい悲鳴も、どこか他人事のように感じられる。
 ここまでか。トロイは小さくかぶりを振ると、手にした剣の切っ先を倒れた青年に向けた。
 彼らの命運は尽きた。海は彼らの味方をしなかった。それだけのことだ。
 だが。物思いには今一歩及ばない、その気だるげな思考を、脇から飛び出してきた影が遮った。ぶつかり合った刃が、眼前で激しく火花を散らす。
 月光の照り返しを受けた白銀の煌きの向こうに、トロイは闇よりも尚深い、二つの碧い海を見た。
「ケネス!」
 鍔迫り合いの体勢を崩さぬまま、栗色の髪の少年が背後に向けて叫ぶ。
「ジュエル!チープー!今のうちに船尾へ走れ!」
 この絶体絶命の場で、それでも仲間を庇おうというのか。見上げた根性だ。トロイはふっと微笑った。
「カルマ、無茶するな!」
 仲間達は少年に気遣わしげな視線を送りながらも、退路を確保するべく後方へと下がっていく。彼らが充分な間合いを取ったのを視界の端に確認して、トロイは改めて目の前の少年へと意識を戻す。
 おまえの仲間は無事だ。もういい。おまえも早く行け。
 だが、剣に込められた力が緩められる気配はなかった。全身をばねにして、少年はトロイの剣を押さえつけている。一体この華奢な身体のどこに、これだけの力があるのだろうか。退くことなど知らぬかのように、少年は尚も踏み込んでくる。仲間がこの船から離脱するまで、一歩もこの場を動くまいと言うかのように。まるで―――命など、惜しくはないとでも言うかのように。
 間近に迫った少年のその瞳の色に、トロイの背に微かな戦慄が走った。
 真っ直ぐにトロイを見詰めてくる碧。そこには悲壮も焦燥もなく、ただ夜のように冷たい凪だけが広がっている。
 先程の彼らの動きでわかる。訓練を受けてはいても、実戦の経験は殆どないに等しいに違いない。喩えどれほど血気盛んな若者であろうとも、慣れぬ戦場では普通、自分の身を守ることだけで手一杯になってしまうものだ。トロイとて例外ではなかった。初めて戦場に立った日―――剣戟の響き、迫り来る殺意とそして恐怖―――勝敗よりもただただ、生き残る為に夢中で剣を振るったことだけを覚えている。
 だが彼は―――この少年は躊躇わなかった。防御を全く失念したかのような、無謀とも言うべき先程の一撃。まるで自らが剣そのものであるとでも言うかのような、迷いのなさすぎるそれ。
「おまえは……………のか?」
 トロイの唇の動きを読み、少年の腕の力が一瞬怯む。
 キン……ッ………!
 鋭い金属音が響き、少年は後方へ弾き飛ばされた。転倒しかかるも、巧みに身体をしならせて反動を消し、すぐさま体勢を立て直す。だが、その碧い瞳に、今は微かに動揺の色が滲んでいた。驚愕というよりは困惑に近いそれに、トロイは密かに嘆息を漏らす。
 図星……か?
 しかし、トロイが足を踏み出すより早く、轟音と共に炸裂した稲妻が、足元を鋭く抉った。
「カルマ、逃げるぞ!来い!」
 雷の魔法を放った青年が叫ぶ。少年は仲間へと視線を走らせ……そして、はっとしたような表情でもう一度、トロイのほうを振り返った。薄らと開かれた唇から、何か言葉が漏れてくるのを、トロイは待った。だが、結局少年は何も語らず、トロイから視線を引き剥がすようにして身を翻し、仲間の後を追って駆け去った。
「ええい待て!待たんか小僧ども!」
「行かせてやれ」
 コルトンの喚き声を片手を上げて遮り、トロイは剣を鞘に収めた。
「しかしトロイ殿!奴らをこのまま逃がしては…」
「構わぬ。彼らの裁定は海が下すだろう」
 遠ざかって行く小船を、目を細めるようにして見送りながら、トロイは胸に蟠った靄を吐き出すように長い溜息を吐いた。
 夜の凪を思う。凪に囚われた少年を思う。月明かりを弾き、青褪めた絶望に染まった瞳は、酷く冷たい。まるでタナトスの指先のように。




 ―――あれは、死に場所を求めているものの瞳だった―――




 或いは、この手で引導を渡してやるのが情けだったのかも知れぬとも思う。果たして、それを救いと呼べるかどうかはわからぬが。
 諦念混じりの苦笑を口の端に浮かべ、トロイは静かにかぶりを振った。
 所詮、自分は神ではないのだ。彼が真に終焉を望むなら、海がそれを叶えるだろう。
 彼がまだ、潰える定めにないものならば。
 海は彼に、生への道を示すだろう。




 そうなれば良い、と。どこか祈りにも似た思いで、トロイは僅かに白み始めた東の空に瞳を凝らす。
 水平線に生じた光の筋に向かって、小船は音もなく進んで行った。
 その先には、誰も知らない明日がある。

 
















お題7「瞳」―――ゲーム序盤のどん底4様&トロイさん。
この続き…エルイールでの再会ネタも考えているので、そのうち書きたいです。





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